第7話 きみの神様になれたなら

 土日はバイト体験には厳しいということで、俺は部屋で母さんを怒らせないように簡単なボイトレなどをして過ごしていた。


 そして、母さんの冷たい視線を背中にスタンドマイクと発電機とアンプ、ミニスピーカーを持って繁華街に出かけるのだ。


 土曜日の今日はたまたま許可が下りていたのが浩之たちがバイトが終わるころだった。狙ってやったわけではない。許可が下りたのがたまたまこの時間なだけだ。


 今日は雪が降っていた。厚着をしてきて正解だな、と思う。


 土曜日ということでカップルが多い繁華街で歌いだす。しっとりとした、雪が降っている今日という日にぴったりの書き下ろし曲。


『不安がる君を抱きしめる。もう大丈夫だよと』


 メジャーデビューの夢を諦めたわけではない。女の声でも、やれるってことを示したかった。


 声がかかるなんてわからない、これは賭けだ。シンガーソングライターなんてなれるかわからない。でも、あがきたかった。また、音楽の世界に戻りたい。


『もう君が泣かない世界を作るよ。二人で描こう、希望のストーリーを』


 丁寧に息を吐ききって歌い終えたそのとき、一人分の拍手が届く。あれ、と思って顔を上げると、そこには浩之の姿があってげっと思う。


 また歌を聞かれた。だからこの時間のライブは嫌だったんだ。


「相変わらず上手だなあ。お客さんつかないのが不思議なくらい」


「お世辞はいい。……なんでいるんだよ」


 浩之が近寄ってくるのをフードの下から睨む。勝手にハグされたこと、まだ根に持ってるからな。


 そう視線で主張するのに、浩之は恐れるどころか今にも抱きつかん勢いで胸の前で両手を握って興奮気味に話す。


「最後のフレーズすっごくよかった! 途中からしか聴けてないのが残念だけど……。でも、いい曲だってすぐわかったよ! 瑛太、本当に才能あるんだな」


 そう目を輝かせる浩之にイライラする。


 何も知らないくせに、褒めることだけ一丁前で。これでも男のときはメジャーデビューかかってたんだ。人一人感動させられなくてどうする。


「……お前。俺がもし昔はプロ候補だったって言ったらどんな顔するの」


「え……。ええええ!? そうだったの!? 昔ってことは、男の子のときか。え、すごくない? やっぱり瑛太才能あったんじゃんか!」


 純粋無垢な反応が返ってきて、ぎり、と歯を食いしばる。


 じゃあなんで今俺は誰にも相手にされてないんだよ。声は確かに高くなったが、根本はほとんど変わってないはずなのに。


 出ない低音ができたことも、歌の幅を狭めている原因なのはわかっている。わかっているけど。


「そうかよ。本当におめでたいな、お前は」


「瑛太……?」


「俺がどんな気持ちで今歌ってるかとか、考えたことないのか? メジャーデビューなくなって、今こんな路上でしか歌えなくなって。みじめでどうしようもないやつって思わないのかよ。しかも、女になってまで歌にすがってさ。お前は偽善者だ。優しいふりをした、偽善者なんだよ。反吐が出る」


 浩之は一瞬戸惑ったようだった。


 そうだ、それでいい。そうやって俺のことを嫌いになってくれれば、こっちは誰とも関わらずに済む。


 しかし浩之は、そこから考え始めた。うーんうーんと唸って、首をひねって、やがてにぱっと笑った。


「おれ、バカだから難しいことはわかんないけどさ。そうやって今も歌ってるってことは、歌が好きなんだろ? 違ったらごめん。でも、歌ってるときの瑛太は楽しそうに見えるから」


「なっ……」


 俺の嫌味も恨みも全部すっ飛ばして、こいつは偽善者と罵られてもなお善意を投げつけてくる。どうなってるんだ。普通だったらここキレるところだろ。


 歌は、好きだ。歌うと昔はみんな笑顔になって、楽しくなって、もっと歌いたくなって。でも今はどうだ。誰も俺の歌なんて聞いてくれてない。昔はいっぱいお客さんがいて、歌うのが楽しくてしょうがなかったのに。


 いつの間にか浩之が目の前にいて、手首を優しく掴まれる。振りほどこうとしても、男と女の力の差では振りほどけない。


「おれ、瑛太の歌が好きだ。だから、広めるお手伝いをさせてほしい」


「はあ? どうやって」


「どうやって、って言われると困っちゃうけど。例えば俺の友達連れてくるとか。それが嫌なら、ちょっとになっちゃうけどビラとか作って配るとかさ。やれること、いっぱいあると思うんだ」


 どうして。


 どうしてそこまでしてくれるんだ。


 確かに昨日友達にはなった。だが、たった一日友達になって、まだ出会って一週間のやつにそこまでするやつがいるか? こいつ、どっか狂っちまってるんじゃないのか。


 俺が答えないでいると、瑛太が顔を覗きこんでくる。


「どうかな?」


「……勝手にしろ。俺はビラ配りしても無駄だと思うけどな」


「やってみないとわかんないじゃん! ガチで瑛太歌うまいんだからさ。おれにお手伝いさせてよ。大丈夫、バイト代ちょっとならビラ書く紙買うのに使えるからさ。友達だもん。当然だろ」


 そう笑顔で言ってのける浩之に、俺は神様、という単語が浮かんだ。


 こいつは俺の神様になって支配したくてこんなことをしているんじゃないか。人間、利益なしで何かをしてのけようなんて無理な話だ。


「……お前」


「ん?」


「俺の神様かなんかになって俺のこと抱きたいの?」


「なっ!? ば、ばばばばばばか! そんなんじゃ……」


「じゃあ、なに?」


 一歩浩之に詰め寄る。吐息と吐息がかかる距離まで近づく。


 浩之はぼりぼりと頭をかいて。恥ずかしそうににへらと笑う。


「俺、死にたかったんだよ」


「は?」


 死にたい? こいつが? 学校でも友達が多いし、バイトもして充実してる浩之が?


「は? って感じだよな。なんだろ、漠然とさ、そんなふうに最近思ってたんだ。将来のこととか考えるとうーってなるし、家では親父とおふくろが毎日喧嘩してるしさ。学校でも気を使うことって多いし。だから、なんとなく漠然と死にたいと思ってた」


「それが、どうして」


「瑛太の歌だよ。俺と同じだって思った。一人で、苦しそうに、悲しそうに歌っててさ。でも、歌声がそうじゃないって言ってた。悲しい歌だったけど、前を向いてた」


 浩之の目はきらきらと輝いている。暗闇の中でうずくまって、一人でいじけているだけの俺にはまぶしい。まぶしすぎた。


「だからおれ、瑛太の歌が聞きたいから生きたいって思えた。だからこんな短期間でも、俺にできることならなんでもしてあげたいって思ったんだ。さっき瑛太が言った神様じゃないけど、そんなことができたら幸せだなって」


 ストレートな好意に、俺は顔を逸らす。


 俺の歌にそんな力なんてない。まだ歌にすがっているだけのガキの歌なんかに、そんな力があるわけない。


「あ、またいじけてる。けど、本当なんだから仕方ない。パートさんとの兼ね合いで土日10時まで毎回働いてるわけじゃないからさ。……俺にお手伝い、させてくれる?」


「……いいんじゃねーの」


「えっ」


「なに驚いてんだよ。俺の歌で生きたいって思えたんだろ。だったら、俺に感謝して働いてもらわないとな」


 ほんの少し顔を赤らめて俺が言うと、浩之は俺の両肩に両手を乗せてぴょんぴょんと跳ね始めた。


「わっ! ちょ、なに……!?」


「嬉しくって! ファン第一号として、こんな嬉しいことないよ! いや、これから瑛太を支えるんだから俺、マネージャー!?」


「調子に乗るな」


 俺は自分でもびっくりするほど穏やかな声が出た。そしてその口元を見た浩之がますます驚いた顔をする。


「……笑った」


「え」


「瑛太、笑ってる! えー! よく見せて!」


「ふざけんな! お前の時間でライブ時間終わっちまったじゃねーか!」


 俺は腕時計を見ながらしっしっと浩之を遠ざけようとするが、スイッチが入った犬は止まらない。


「うおー! やるぞー!」


「だから! 声が大きい!」


 お互いのジャンパーに雪が落ちては体温で消えていく。そんなこんなで、その日のライブはダメになってしまったが、俺は浩之というマネージャーを得るに至った。

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