第22話

 文化祭当日、雲出くもず玲央れおは部室から体育館へ機材の運搬をしていた。学園内は一般の人々も多く、にぎやかだった。山奥にも関わらず人が集まるのは芸能界に縁があって、有名なアーティストや俳優を呼べるからだと聞いた。


 ──軽音部のライブにはどれくらい来てくれるんだろう……。


 結局、玲央の声は出ないままだった。それでも莉子が第一軽音部と相談し、ボーカルを変えてバンド自体は出ることになっている。玲央にできるのは肉体仕事くらいだった。

 部員たちと機材を舞台裏に運び込んだところで第一軽音部の部長と話していた莉子が玲央たちのところへ歩いてきた。


「よし、じゃあ一旦解散で。出番の三十分前には戻ってきて」

「はーい」


 他の一年生は待ってましたとばかりに去っていった。グラウンドの特設会場にはアイドルや芸人・映画関係者が入れ替わり立ち替わり出演しているし、各教室で映画上映や出し物、校門前には屋台が立ち並んでいる。

 

「玲央は行かなくていいの?」


 答えようとして、玲央はクロッキー帳とスマホを部室に忘れて来たことに気づいた。マスクをずらして口パクしながら莉子を指さした。


「私は……なんかあった時のために近くにいないと。昼まだでしょ? せっかく初めての文化祭なんだし見てきたら?」


 玲央は意図が伝わってほっとする。それなら屋台で何か買ってくるから一緒に食べようと言いたかったが、どうすれば伝わるかわからない。身振り手振りを使ってなんとか意思疎通を試みた。


「うん、いってきな。え? あー……私の分? 買ってきてくれるの?」


 案外ジェスチャーと口パクでなんとか伝わるものだ。玲央は頷いて、行ってくると手をあげた。笑いながら手を振りかえす莉子に見送られて、体育館を出る。


 ──ついでにチラシもくばろう。


 突然声が出なくなって迷惑をかけた自分にできることはこれくらいだ。校門前から伸びる一番大きな通りでチラシを配っていると、星斗と紅太郎が向かい側から歩いてきた。


「ちょうどよかった。これから行こうとしてたんだよ」


 星斗がやきそばの入ったパックを抱えて言った。紅太郎はジュースの入った袋を持っている。


「差し入れのつもりだったんだけど……足りる?」


 第一・第二軽音部を合わせても十分足りる数だった。玲央は驚きつつ先に昼食を買わなくてよかったと思う。マスクをずらして「ありがとう」と口パクで礼を言った。


「明らかに多いだろ」

「少ないよりはいいじゃん。余ったら俺らが食べればいいし」

「俺はいらない」


 玲央は仲のいい星斗と紅太郎を見てかすかに胸が痛んだ。ただ、それだけではなくなぜか安心している自分もいることに驚いた。抱えたやきそばを受け取ろうとすると、星斗の目線がふと玲央の手元に向く。


「それ、ビラ配りか?」


 玲央はうなずいた。すると、星斗はやきそばを渡すと同時にチラシを奪っていった。目を丸くしていると、追い払うように手を振られる。


「俺たちがあと配っとくから、先に戻れよ」

「そうだな。でもレオ、ひとりで持っていけるか?」


 ジュースは一袋にまとめられているし、やきそばは両手で抱えればいけそうだ。玲央は二人から差し入れを受け取るともう一度頷いた。


「バンドは絶対見に行くからな! 永尾さんによろしく」


 紅太郎が声をあげる後ろで、星斗はもうチラシを強引に道行く人に手渡している。揉めなければいいが、と案じていると紅太郎が側からフォローしていた。玲央はそれを複雑な気持ちで眺めて踵を返した。


 歩き出すと抱えたパックの隙間からソースのいい匂いが鼻先をかすめた。

 十一月に入ったばかりの中庭は色づいた銀杏が低い日差しを受けてきらきらと輝いている。そんなことに初めて気がついた。玲央はしばらく立ち止まったまま、黄金色の景色を眺めた。なにひとつ解決したわけでもないのに不思議と気持ちは清々しかった。


「……~♪」


 試しに鼻歌を歌ってみると、喉の奥からかすれた音がした。狭い空間でもがいて必死に外へ出ようとしている。

 玲央は荷物を抱えなおして、歩き出した。

 体育館の外にでてきた莉子が辺りを見回している。駆け寄っていくと、手にいっぱいのやきそばを持った玲央を見て目を見張った。



 ***



 文化祭が終わって数日経った。

 椿原つばはらひよりは勢いよく階段を駆け上がって渡り廊下に向かっていた。先生に見つかったら絶対に怒られるとわかっていたが、はやる気持ちを抑えられなかった。朝一番に巻いた髪の毛が肩の上で跳ねる。


「ひよりさん⁉ なんかあった?」


 息せき切って走ってきたひよりに紅太郎が何事かという顔をしている。柵にかけていた足を降ろした。


「……み、みどり先輩から返事きた!」

「え⁉」


 ひよりはそれだけ言うと、膝に手を当てて肩で息をした。さすがに三階まで一気に駆け上がるのは無謀だった。


「なんて?」


 紅太郎にちょっと待ってくれるように頼んでから深呼吸して息を整える。ひよりはまだ現実だと信じられず、ブレザーのポケットからスマホを取り出した。朝から何度も見ているメッセージをもう一度開く。


「か、帰って来るって!!!」

「え?」


 ひよりは自分の頬を引っ張りながらスマホの画面を紅太郎に見せた。頬はちゃんと痛いし碧からは一言『帰るよー』とメッセージが来ている。紅太郎はスマホに顔を近づけて食い入るように画面を眺めた。


「えーと……これだけ?」

「うん!」


 二人はしばらく無言で見つめ合った。紅太郎の言いたいことはわかっている。あまりにも情報が少ないし、半年も音沙汰なしでこれは結構ひどいと思う。ひよりは今朝メッセージを確認してすぐに電話をかけたが繋がらなかった。


北山きたやま先輩に聞いた?」

「まだ! いや、でも返事が返ってきたってことが! 大事だから!」

「それは……そうだな!」


 しばらく間があったものの、二人はどちらからともなくハイタッチを交わした。紅太郎のノリがよくて助かった。


「一時帰国とかかな?」

「んー……そうかも。あっちで学校に通ってるって雪花せつか先輩が言ってたし」


 碧からのメッセージは昨日の深夜に届いていた。朝一で三度見くらいしたあと電話を勢いでかけてしまったが、寝ていたのかもしれない。雪花にもメッセージを送ったがまだ返信がなかった。


「ちょっとごめん。朝から衝撃過ぎて心臓が……」


 ひよりは急にぐったりと柵にもたれかかった。紅太郎が隣から憐みの視線を送ってくる。


「……グミ食べる?」

「うん」


 甘い菓子を摂取すると、乱された心がようやく静まってきた。


「ありがとう。落ち着いてきた」

「詳細、早くわかるといいな」


 紅太郎はほがらかに言った。文化祭が終わり、いつの間にか星斗とも仲直りしたようで一時期の暗さがなくなっていた。準備会は年末までに繰り上がりで採用になった脚本を急ぎで台本にしてもらいながら配役に奔走しているところだった。


「あれ、そういえば星斗君は?」

「なんか脚本見てもらう約束してるらしい」

「脚本って……辞退したのに?」


 ひよりが尋ねると、紅太郎は両手をわからないという風に上げて見せた。


「よく知らない」

「へー……紅太郎君、気になるんじゃない?」


 紅太郎はグミを咀嚼しながら笑って遠くを見た。少し雰囲気が変わったように見えるのは気のせいだろうか。


「いいんだ。全部わかろうとするなんて無理だから」

「そっかー……ま、わたしなんか碧先輩のことひとつもわかんないしな」


 二人は並んで空を見上げる。屋上からかすかに歌声が響いてきた。冷たい風が渡り廊下を吹き抜けていく。ひよりはふと、今年も終わりに近づいているのだと気づいた。



 ***



 早朝、烏丸からすま星斗ほしとは雪花に呼び出されてラクロス部の練習場に来ていた。雪花は練習を抜けると校庭の東屋に星斗を連れて移動する。


「時々混ぜてもらってるの。気晴らしになるから」


 引退した先輩が来るのは嫌でしょうけど、と雪花は冗談めかせて言った。星斗にしてみれば十分慕われているように見えたし、人望のない自分に対する嫌味かと言いたかった。しかし、これはたぶん言わない方がいいと判断してぐっとこらえる。

 東屋に向かい合って座ると雪花は星斗から預かった脚本を取り出して机に置いた。


「卒業制作、辞退したそうね」

「ああ」


 卒業制作用のプロットを雪花に読んでもらったのは今年の春のことだった。ずいぶん遠い昔のように思える。あの時の自分に卒業制作を辞退すると言っても信じてもらえないだろう、とも。


「理由を聞いてもいい?」

「そうすべきだと思ったから。それだけだ」


 枯れた広葉樹の葉が落ちてかさかさと音をたてる。朝日がまぶしく差し込んで、雪花は目を細めた。


「ひよりから大体の事情は聞いたけれど……」

「なら聞くなよ」


 星斗は思わず言い返してしまってから、はっと口をふさぐ。雪花はなぜかにっこり笑ってこちらを見ている。


「あなたが態度を改めたって」

「クソッ、嵌めやがったな」

「……人間そう簡単には変われないものよね」


 雪花はどうあがいても一枚上手だった。星斗はため息をつくと、さっさと本題に入ることにした。ぐずぐずしていたら授業が始まってしまう。


「あんたは俺に足りないものがあるって言ったな」

「あなたにじゃなくて脚本にね」

「同じだろ」

「違うでしょう」


 星斗はここでぶつかると相手の思う壺だと判断し、先を促した。


「どっちでもいい。それで、どうだったのか聞かせてくれ。読んだんだろ?」

「面白かった。これを映像化しないのはもったいない」


 雪花に断言されて星斗は目を見開いた。拍子抜けする。てっきり辛口なコメントが返ってくるとばかり思っていた。咄嗟に皮肉を口にする気にもなれなかった。ごまかすように咳払いをして目線を外す。


「……必ずするつもりだ。主役と約束したからな」

「そう。トリスの卒業制作として残らないのは残念だけど」


 雪花は玲央について深くは聞いてこなかった。卒業制作を辞退するまでの経緯を知らないはずはなく、あえて流しているのだろう。星斗は雪花が突っ込んでこないことに安心する一方で、脚本に関して一点だけ確認したいことがあった。


「あんたの言ってた恋愛要素は入れられなかったけど……それはいいのか?」


 卒業制作を辞退したのをいいことに、一度は入れた玲央の恋愛描写を削ってしまった。星斗にはどうしてもストーリーの邪魔に思えて理解できなかったからだ。

 だからこそ、雪花の言葉は意外だった。


「ふふっ、例えばって言ったでしょう? 私はわかりやすい例を出しただけ。この脚本を読むかぎり伝わったと思ったけど……」


 雪花は笑いながら「違った?」と聞き返した。

 星斗は困惑する。何が伝わったというのだろう。プロットを見せてから脚本を書きなおすまでに雪花の意見を一旦は取り入れたが、結局書きたいものを書いただけだった。


「俺にはどうしてもわからない……興味深い題材ではあるけど、やっぱり向いてない。でもわからないことは誰かに聞けばいいってわかった。引き続き、取り入れる努力はしていく」


 雪花は微笑んで頷いた。よくわからないが満足そうだ。星斗は話を終える前にこれだけは念を押しておかねば、と背筋を伸ばした。


「だから、準備が整うまで待っていてほしい──犬に」

「ま、そこはムエット次第ね」


 星斗は脚本に登場する犬役をムエットに勤めてもらえるように依頼していたのだ。


「なんだよ。あんたに脚本を見せたのはそのためだぞ」

「私はトリスの卒業制作だから協力したの。それにムエットは賢い犬だけど、年齢のこともあるから。当たり前でしょう」


 雪花は立ち上がると、脚本の冊子を星斗に返すように差し出した。


「だから……早いところ脚本家としてデビューしてもらわないとね」

「望むところだ」


 受け取った星斗が答えると雪花は笑った。晩秋の風が二人の間を吹き抜けて、枯れ葉が軽やかな音をたてて転がっていく。

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