第23話
冬休みに入った年末、
「ほら、見て」
「おーすごい」
紅太郎があげたガラスポットに綺麗に苔が繁殖している。傾斜をつけた岩肌はしっとりとしていて様々な種類の苔の間に小さなジオラマが置いてあった。
「ちゃんと定着してる」
「自分で着生させたからね」
そんな会話を交わしているうちに星斗が台所から戻ってきた。緑茶と羊羹の乗ったお盆を日当たりのいい縁側に置く。
「久しぶりに来てるからって自慢ばっかしてんなよ」
「ちょっとくらいいいでしょ。紅太郎が来てない間しょげてたくせに」
急須を傾けていた星斗の手が揺れて「あちっ」という声が上がる。お茶が手にかかったらしい。南は勝ち誇ったように低い声で笑いながら去っていった。
「あいつ……」
「大丈夫か? 火傷してんじゃ」
紅太郎は慌てて星斗の手を取ろうとしたが、星斗は袖の中に隠すように引っ込めた。
「大丈夫だって! ちょっとかかっただけだから」
紅太郎は黙った。星斗はすぐに手を出して、今度はゆっくりとお茶を注ぐ。きれいな早緑の液体からふわりと湯気が立った。
「さすがに寒いな。中入るか?」
「あ、あー……でも」
十二月の縁側はいくら日当たりがよくても冷える。だから星斗の提案は当然なのだが、紅太郎は離れがたかった。
「まぁいいけど」
返事をためらっていると、星斗は障子をあけ放って居間から電気ストーブを持ってきた。
「母さんが帰ってきたら閉めよう」
「いいのか?」
「うん」
色の少ない冬の庭はさみしいようでいて、手入れが行き届いて清々した気持ちにもなる。いつだったか、星斗は祖父が住んでいた頃から冬の縁側が好きだったと言っていた。
「……星斗に聞いてほしいことがあるんだ」
紅太郎は緑茶をひと口飲んでから、言った。隣に座った星斗のほうは見れず、手で包み込むようにした茶碗の水面に目を落とした。ぼんやりとした影が揺れている。
「聞いてくれるだけでいいんだけど」
「わかった」
星斗はそれきり黙っている。紅太郎がふと横を向くと、眉間に皺を寄せて唇を内側に押し込むようにしていた。
「なんだよ、その顔」
「余計な口を叩かないように」
紅太郎は思わず笑ってしまって肩の力が抜けた。
「真面目に言ってんだよ。俺が口を開くとろくなことにならないから」
「自分で言うなよ」
今回の騒動でよっぽど懲りたらしかった。紅太郎は少しさみしいような複雑な気持ちになる。
「別に思ったこと言ってくれていいよ。ただの昔話だし」
「じいさんかよ」
すかさず横目で見ると、星斗ははっとしてまた同じ顔をした。紅太郎は声を上げて笑う。
「まあ縁側で茶飲み話しながら羊羹食べてる時点でじいさんかも」
紅太郎が言うと、星斗は「そうだな」と納得したように湯飲みを口に運んだ。羊羹をうまそうに食べている。紅太郎は本当のじいさんになっても、星斗とこうしていたかった。
「俺がこっちに引っ越してくる前の話なんだけど……」
紅太郎はぽつぽつと昔の話をはじめる。それはうまく言葉にならず詰まって、時々取り落とし、見失って行方がわからなくなった。それでも、紅太郎は諦めることなく言葉を探した。
***
話し終わった頃には陽がとっぷりと暮れていた。星斗の母が帰って来て夕食を食べて行くように言われた。一緒に帰ってきた
今日は父が友人に会いに行って帰りは遅くなるだろうし、母も出張でいなかった。
結局、その夜は弟妹とともに星斗の家でご馳走になることになった。久しぶりの賑やかな夜だった。食後にボードゲームをすることになったが、夜が更けてくると星斗はいつの間にかいなくなっていた。
紅太郎もきりがいいところで引き上げると、帰る前に星斗の部屋を訪ねた。
もう遅いので控えめにノックするが返事はない。紅太郎はそっと引き戸をあけた。寝ているかと思ったが星斗はイヤホンをつけて机に向かっていた。紅太郎はしばらく声をかけずに前かがみになった背中を見つめていた。
縁側で紅太郎の話を聞いたあと、星斗は「そうか」とだけ言ってしばらく黙っていた。宣言した通り余計な口は一度も挟まなかった。紅太郎も「聞いてくれてありがとう」とだけ返した。
「星斗」
紅太郎が声をかけて部屋の中へ足を踏み入れると、星斗はやっと気づいてイヤホンを外した。
「ああ……紅太郎か。まだみんなやってんのか?」
「南ちゃんと
星斗はよくやるよとでも言うように肩をすくめた。
紅太郎も引き止められたがさすがに眠くなってきた。明日は休みだがそろそろ日付が変わろうとしている。星斗が起きていたらひと言話して帰るつもりだった。
「じゃあ……」
「さっきの話だけど」
言葉が重なって二人は顔を見合せた。星斗が何か話しだそうとしている気配を感じて、紅太郎はベッドに腰を下ろした。
「俺は虫が怖いんだ」
「ん? あー……そういえばそうだっけ」
小さい頃、星斗が庭に出て姉たちと遊ばなかったのは虫が苦手だからだった。しかし、さっき話したこととの関連性がわからない。紅太郎は首を傾げたが、星斗は構わずに話し続けた。
「この間見た夢で雨の日に人が倒れてて、額から血が出てるからなんだろうと思ったら毛穴の中から細長い黒い蛭みたいなのが出てくるんだ。一見すると髪の毛が生えてるみたいなんだけど、うねうね動いてるんだ。それが気がつくと濡れた俺の腕からも出てきてて、必死に引っ張って取ろうとするんだけど全部の毛穴から出てくるもんだからキリがなくてさ。しかも最初は細長かったのが毛穴から血を吸ってどんどん大きくなっていって……」
「ちょっと待て!」
紅太郎は流暢に話し続ける星斗を遮った。そのままにすると深夜に気味の悪い話を延々と聞かされるはめになりそうだ。
「……なんの話だって?」
「俺が見た怖い夢の話」
星斗は話を遮られて不快そうに眉をひそめた。
「えーと……もしかして俺が悪夢のこと話したから?」
星斗は首を縦に振った。どうやら星斗なりに考えて慰めてくれようとしたらしい──ちょっとだいぶ慰め方が独特ではあるが。
「紅太郎だけ話すのは不公平かと思って」
「ありがとう。気持ちだけ受け取っとく」
紅太郎は今夜変な夢を見ませんように、と心の中で祈った。
「でもいつか脚本に活かせないかなって」
「巨大な蛭と戦う映画か?」
そんな映画は見たくないが、なんでも脚本に活かそうとするのは星斗らしい。紅太郎は冗談で言ったのに星斗は真剣に天井を仰いでいた。前向きに検討しているなら止めなければ、と思っていると先に星斗が口を開いた。
「でも、その前に玲央の映画を撮らないといけないからな。紅太郎も頼んだぞ。せっかく北山雪花にも犬に出演してもらえるように頼んだからな」
「ん? 犬って?」
星斗は当然だろ、とでも言うように頷いた。卒業制作は辞退したが星斗は映像化を諦めたわけではない。それは再三聞かされていたし、紅太郎だって協力は惜しまないつもりだった。
「それって俺となんか関係あったっけ?」
「大ありだろ。オマエの役じゃないか」
紅太郎の頭に疑問符がいくつも浮かんだ。しかし、この感覚にはなじみがある。星斗から大事なことを聞き忘れている──あるいは星斗が言ったつもりで忘れている時の感覚だ。紅太郎は嫌な予感がした。
「……俺の役って確か神様じゃなかったっけ?」
紅太郎は夏に玲央から星斗の脚本が通ったら映画に出るように頼まれて承諾した。しかし、夏休みが明けてからは忙しくなり、最終的に卒業制作も辞退することになったので正式な台本はまだ読んでいない。
「そう。主人公が発見した祠に飼い犬が粗相をして怒った神様が犬にとりついて喋り出すんだ。紅太郎にやってもらうために付け足したんだからな」
紅太郎はそんな話だっけ、と内心で思っていた。バンドの青春ストーリーの部分は合宿でミニフィルムの為に繰り返し撮ったので覚えていた。しかし、それ以外の部分はおぼろげだった。紅太郎がぽかんとしていると、星斗は眉をひそめた。
「なんだよ、やっぱり不満なのか?」
星斗は引き出しから脚本の冊子を取り出しながら、犬は紅太郎しかないと思ったんだけど、などとぶつぶつ言っている。
「仕方ないな。また変更……」
「いや、やるよ! 犬でもなんでも」
この際、神様でも犬でも構わない。それよりも、いつか星斗が映画を撮る日に側にいられるほうが大切だった。
「絶対実現させような」
紅太郎が言うと、星斗は目を細めてにやりと笑った。
「当たり前だろ」
紅太郎も笑うと同時に大きなあくびが出た。本当にそろそろ帰らなくては明日に差し障る。星斗は泊まっていけば、と言ったが断って部屋を出た。階下へ降りると居間も静かになっていた。さすがにみんな引き上げたらしい。
玄関で靴を履いていると、星斗の母親が鍵を閉めに出てきた。ご馳走になった礼と騒がしくしてしまったことを謝ると、首を振る。
「紅太郎君こそ、いつも星斗を気にかけてくれてありがとう」
星斗の母に改まった調子で言われて、紅太郎はどう返事をしたものか迷った。結局「いえ」とか「こっちこそ」とか、しどろもどろに答える。星斗の母は笑って「あたたかくしてね、おやすみなさい」と言って送り出してくれた。
玄関を出ると途端に冷たい風が頬を打った。肩をすくめるようにして、小走りに門を出る。紅太郎は自宅に入る前にもう一度隣の家を仰ぎ見る。二階の星斗の部屋にはまだ明かりがついていた。
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