第21話
この方法が正しかったのかどうかわからない。
星斗は準備会でひよりに頼まれた裏方仕事をしていた。一年生がやめた分、そして予定が大幅に変わった分、後回しになった仕事が山ほどあった。
星斗は玲央に頭を下げ、卒業制作の脚本を辞退すると伝えた。
──もう考えても仕方ない。
やることが沢山あるのが今はありがたい。星斗は無心に印刷したプリントを折ってホッチキスで止める作業に没頭しようとした。普段は苦手な作業だが、イヤホンをして音楽を聴くことでどうにか集中する。
どのくらいの時間が経ったのか、半分ほど終わったかという時、ふいに頭の後ろに何かの感触を感じた。驚いて振り返ると玲央が立っていた。
「雲出……なにしてんだ」
玲央はマスクをずらして口パクで『バン』と言う。ピストルの形にした指が星斗の頬に突き刺さった。どういう顔をしていいかわからずに固まっていると、脇に挟んだクロッキー帳を出した。
『返事しにきた』
「ああ……」
星斗は卒業制作を辞退すると伝えたあと、もうひとつあるお願いをしていた。その場では返事を保留にされていた。
それにしても相変わらず不思議な奴だ。もっとも星斗には大抵の人間はわかるようでわからない生き物なのだから、全くわからないほうが清々しくもあった。
星斗は作業の手を休めて適当な機材の上に座った。
「悪いな。声がでないのに」
玲央は立ったまま首を振って、持っているクロッキー帳にペンを走らせる。
『書いてきた』
「書いてきたって……それに?」
星斗がクロッキー帳を指さすと玲央は頷いた。それなら、と受け取るために手を伸ばしたが、玲央は渡そうとしなかった。星斗は首を傾げる。
「なんだよ。違うのか?」
戸惑っていると、玲央は同じページに何かを書きつけた。
『渡す前に聞きたいことがある』
「なんだ?」
ページをめくり、またクロッキー帳。今度は長い。星斗は書いてきたんじゃなかったのかよ、と心の中で突っ込んだ。世の中には思っても口に出してはいけないことがあるとここ数日で紅太郎とひよりから繰り返し教えられた成果だった。
『そこまで僕にこだわる理由がわからない。卒業制作の脚本を手掛けるためにトリスに入ったんじゃないのか?』
星斗は、そんなことかとため息をついた。
「卒業制作のためじゃない。脚本家になるためだ」
まずはそこを否定した。玲央は首をかしげたあと、またクロッキー帳の新しいページをめく
『同じに聞こえる』
「同じじゃない。卒業制作は脚本家になるための足掛かりでしかない。あの脚本は雲出にやってもらわないと意味がないんだ。理由は……」
玲央にこだわる理由はあの日、準備会を追い出された夜、一心不乱に考えた。考えても考えても答えは出ず、脚本の配役を別人に置き換えて書きなおそうとしたができなかった。脚本を書いていて徹夜することは何度もあったが書けなくて徹夜したのは初めてだった。
朝方短い眠りに落ちて、起きると同時に紅太郎の家に行った。
「わからない」
なぜ玲央でなければならなかったのか──答えはいまだに言語化できていなかった。
「でも、俺には足りないものがあるってわかった……だから頼んだんだ。今の俺にはできないけど、いつか必ずあんたを撮らせてほしいって」
星斗は卒業制作の脚本を辞退すること、そしていつか──卒業後に準備が整ったら玲央を主役にした映像作品を撮らせてほしいと頼んだ。
役者は自分の思い通りに動かせる駒ではない。紅太郎とひよりに頭を下げてどうしたらいいかわからないから教えてほしいと言った時、二人から言われた。今でも完全に理解できているとは言い難いが、星斗の自分本位な行動が玲央を追いつめたのは事実だ。誠意を示すために脚本を辞退した。
しかし、今は無理でも星斗は諦めてはいなかった。
「勝手なことを言ってるってわかってるよ……でも、あの脚本は雲出じゃないとダメなんだ」
星斗はもう一度きっぱりと玲央に向かって言った。玲央は垂れてきた長い前髪を左手でかき上げると、両方の目で星斗を見つめ返す。しばらくして目を閉じると立ち上がってクロッキー帳を星斗に渡し、準備会をあとにした。
玲央が立ち去ったあと、星斗はクロッキー帳のページをめくった。さっきまでの会話の他は白いページが続き、最後になにかが書いてある。
『口だけの約束はいらない』
『俺は執念深い』
それだけだった。星斗は首を傾げてどういう意味か考えたあと、諦めて作業に戻った。なんにせよ自分は変わらなくてはならない。それだけがはっきりしていた。
***
星斗が卒業制作の脚本を辞退した数日後、紅太郎は玲央を呼び出した。屋上に続くドアを開けると、フェンスの前に立っている玲央の後ろ姿がすぐに目に入る。再会した日の風景とよく似ていた。
「レオ!」
紅太郎が呼びかけると、玲央はぱっと振り向いた。放課後の屋上に人の姿はなく、二人だけのようだ。
「……ごめん。待ったか?」
マスクをした玲央が首を振る。オレンジ色の西日が長い影を屋上に伸ばしていた。紅太郎は声の調子を尋ねようか迷い、結局やめて隣に並んだ。近くの山にちょうど日が沈んでいくところだった。
「授業、早く終わったのか?」
紅太郎は午後の授業が終わるチャイムとともに屋上に走ってきた。同じ時間に終わると聞いていたので、玲央が先に来ていたのは予想外だった。玲央は再び首を振って、手に持っていた真新しいクロッキー帳を開いた。
『さぼった』
「おいおい」
玲央は意外とアウトローというか、度胸がある。十年合わないでいるうちに臆病な幼い玲央ではなくなった。そんな当たり前のことを紅太郎はこの一年に満たない期間でやっと気づいた。
『明日は出るよ』
「うん」
紅太郎はどこから話そうかと迷いしばらく黙った。寮を訪ねた日、玲央から好きだと告白された。紅太郎は混乱しながら待ってほしいと答えた。すぐに返事をしなかったのは頭を整理する時間が欲しかったからだ。ようやく決心がついて玲央を屋上に呼び出した。
「返事をしにきた」
体ごと玲央のほうを向いて、ようやく切り出した。玲央は下を向いて自分の爪を見つめたあと顔を上げて紅太郎のほうへ首を向けた。
「レオの気持ちには答えられない。好きな人がいるんだ」
紅太郎はしっかりと目を合わせてひと息にそう言った。強い風が玲央の髪を乱している。マスクと髪のせいで表情はほとんどわからない。
やがて、玲央は体を背後のフェンスにあずけた。ぎ、と金属のきしむ音がする。
『約束、やぶるんだ』
再び書きつけられた文字は突き放すように冷たく、尖っている。紅太郎は伏せられた玲央の顔の下に座り込むように腰を落とした。
「ごめんな」
前髪の隙間からかろうじて見える玲央は無表情だった。その目が紅太郎の言葉にぎろりと向けられる。
「俺は星斗が好きなんだ。それはどうしても変えられない」
星斗が早朝に紅太郎の家に来て「俺のどこが悪かったか教えろ」と迫った時に確信してしまった。前日まではもう二度と関係は修復できないとさえ思っていたのに、いとも簡単に覆されてしまった。
「でも、俺たちにはレオが必要だ」
紅太郎が言うと、玲央は何が言いたいのかわからないという風に首を傾けた。
「だから、一緒に映画つくらないか?」
玲央は黙って紅太郎を見返している。ややあって、手がのろのろと動き出してペンを取った。
『声がずっと出なくても?』
「うん。別に出演しなくてもいい。まぁ星斗は意地でもレオを撮るつもりだろうけど……俺みたいに裏方やったっていいしな。それだとずっと一緒にいることにはならないかな?」
玲央はフェンスに預けた背をずるずると落として、尻を地面についた。そのまま膝の間に顔を埋める。
『無理だよ。ずっと一緒になんていられない』
クロッキー帳の上にぽた、と水滴が落ちて文字が滲んだ。
「俺も一人だったらそう思ってた。でも、星斗は死ぬまで脚本書いてると思わないか? 融通の利かなさはレオも知ってるだろ」
紅太郎は鞄からタオルを取り出して、玲央に渡した。
「だけど、星斗一人だと今回みたいにすぐ暴走するからさ。できるだけ周りに信頼できる人がいたほうがいいと思うんだ。俺はレオがいてくれたら心強いし、一緒にやりたい。もちろんリコさんやひよりさんも」
都合のいいことを言っていると、紅太郎もわかっていた。それでも、紅太郎はここまで追いかけてきてくれた玲央を一人にしたくなかった。たとえそれが玲央の望むかたちではなくても。
『よくばり』
「うん」
玲央はタオルを口に当てたまま、鼻をすすった。紅太郎は我ながら欲張りだし、我儘だと思っていたので素直に頷いた。開き直るわけではないが、星斗の強引さがうつったのかもしれない。
『こうちゃんがあいつを好きなの、最初は意味わかんなかったけど……今はちょっとわかる』
「え? そ、そっか……」
膝の間から顔を持ち上げた玲央がやっと、紅太郎の目を見た。前髪の間から覗いた瞳は潤んで、鼻の頭が赤くなっている。さっきまでの剣のある雰囲気がやわらいでいて、紅太郎はほっと息をついた。
玲央はおもむろに片手を上げると、小指を差し出してきた。視線がまっすぐに紅太郎を射貫く。今度やぶったら許さない、と目で訴えている。
「わかった」
紅太郎も目を逸らさずに玲央を見つめ返すと、力強く小指をからませた。
トリス学園映画準備会~サブストーリーに恋愛は必要か~ 丘ノトカ @notoca-oka
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