第12話 

 夏休み最後の日、星斗が脚本をひと段落させて階下へ降りると紅太郎が来ていた。


「なんだ、来てたのか」

「おう」


 紅太郎は居間でテラリウムの世話をしていた。ピンセットを片手にガラス容器と水槽を行き来しながら苔の植え付けをしている。南に言いつけられたのだろう。


「ご本人は?」

「部屋で苔の処理してる。カビが生えちゃったらしくて……俺は新しい植え付け担当」

「そりゃ大役だ」


 星斗は一服して紅太郎をねぎらうか、と二人分の茶を淹れに行く。母と帰省した琴音は買い物に出ていて留守だった。琴音が土産に買ってきた菓子を一緒に持って、居間に戻る。


「星斗は脚本どんな感じ?」


 紅太郎が苔から顔を上げずに聞いた。


「もうほぼできてるよ。ミニフィルムも仕上がったしな」


 執筆は順調だった。数日前には仕上げて、最終調整に入っている。雪花のアドバイスに沿って恋愛要素も組み込んだし、紅太郎も出演してくれる。玲央と莉子のバンドも一年生が入ってうまくやっているようだ。

 それに加えて、今日送られてきたミニフィルムの出来がよかった。他人に依頼するのは気が進まなかったが、星斗が提出したものより格段に洗練されていた。


「今回は自信がある」


 星斗は今までになく充足を感じていた。

 合宿の最中に莉子に言われたことだけが少しだけ気にかかっていたが、今のところ目立った問題はない。


「……そっか。よかった」

「なんだよ? 元気ないな」


 先日、玲央と莉子のライブに行った帰りも体調が悪そうだった。その後は倒れることもなく家に帰り着いたが、何かあるのかと心配になる。星斗と違って、昔から体力だけは自信のある紅太郎だった。


「実は宿題が……」

「はぁ? じゃあうちで苔の世話してる場合じゃないだろ」


 星斗はなんだそんなことか、とあきれた。紅太郎は黙々と手を動かしながらうめき声を上げる。


「仕方ないな。それ終わったら持って来いよ」

「え! まじで?」


 ミニフィルムと脚本を読ませて感想をもらいたい星斗は交換条件に宿題を見せることを提案した。


「丸写しはするなよ。バレたら困るから」

「ありがとうございます!!」


 紅太郎は一も二もなく頷き、途端に元気になる。星斗は現金なやつだと思いながらもつられて笑った。出会った頃からするとずいぶん背が伸びて体格もよくなったが、目じりに皺のでる笑顔は昔と変わらない。


「しかしそんなんで来年大丈夫か?」


 水槽の上で右往左往していた紅太郎の手が止まった。


「星斗は……」


 その時、玄関の開く音が居間に届いた。間髪をいれず母と琴音の声が響く。


「誰かいるー? ちょっと荷物手伝ってー!」

「はーい! 紅太郎、なんだって?」

「や! なんでもない。荷物運ぶわ」


 紅太郎はピンセットを机の上に置くと立ち上がった。座っていた星斗の横を通り過ぎて、先に玄関のほうへ歩いていく。星斗はやけに早足の背中に首を傾げながらも後に続いた。



 ***


 

 夏休みが終わり、新学期がはじまった。

 九月に入ってすぐ、三年生を除いた各クラスに脚本データが配られミニフィルムが上映された。脚本オーディションに参加するのは星斗を含めて九名、今年から映像制作が義務付けられたせいか例年より少なかった。


 星斗と紅太郎は準備会の塔のなかで開票結果を待っていた。

 一週間ほどの選定期間を経て、いよいよ今日が投票の最終日であり開票の日でもある。ミニフィルムに出演した玲央と莉子も一緒に待っている。唯一ひよりだけは別の教室で行われている開票作業に参加していていなかった。


 星斗はその辺の椅子に座って、無言で他の脚本を読んでいた。なにせ八名分もあるので読むだけで一苦労なのだ。もちろん全てに目を通していたが、他の生徒がこの行為を一週間でできるかは疑問だった。

 紅太郎は隣でスマホを片手に、舟を漕いでいる。


「そろそろかな」

「ご、五時からだからもう一時間たってるね……」


 莉子はバンドの一年に楽器を教えていた。どことなく場に漂っている緊張感を逃すためだった。さっきから紅太郎を気にして落ち着かない玲央は莉子の言葉に時計を見て答えた。

 星斗もちらりと腕時計に目を落とす。


 それから三十分後のことだった。ひよりが激しい音を立ててドアを開けて走りこんできた。準備会の面々を見回して透き通った声を上げる。


「決まったよ! 来年の卒業制作『神バン』で!」


 星斗の書いた脚本のタイトル『神様が僕にバンドを組むように言った』が長いのでひよりは『神バン』と略して呼んでいた。

 しばらくの無言のあと、わっとみんなが沸いた。


「よかったな! 星斗、決まったって!」


 ひよりの声で飛び起きた紅太郎は思わず星斗の肩を掴んで揺さぶった。莉子と玲央も笑顔になる。一年生の数人も顔を見合せて拍手していた。

 しかし、星斗は座ったまま眉間に皺のよった仏頂面を崩さなかった。


「ちょっと聞いてる? 星斗君の書いた『神バン』が卒業制作だよ!」


 ひよりは卒業制作の作品が決定した瞬間、顧問の教師に言って少しだけ抜けてきたのだ。正式な発表は後日になるが、せっかく直接伝える許可をもらってきたのに──と星斗の顔を覗き込む。


「その変な略し方やめろって言っただろ!」


 星斗は顔を背けた。


「照れてる?」

「照れてない!」


 ひよりは「はーん」と納得した。喜びを表現するのが恥ずかしいなんて、可愛いところもある。


「よかったなぁ! あー俺、入試より緊張したかも」


 今度は紅太郎が後ろから星斗の髪をぐちゃぐちゃにした。星斗はひよりと紅太郎に挟まれてうるさそうに立ち上がる。


「紅太郎の入試より絶対確率は高かったはず」


 星斗は手を払いのけて憎まれ口を叩いた。

 いつの間にか玲央と莉子も練習の手を止めて、三人の後ろに立っている。ひよりは振り返ると、改めて礼を言った。


「莉子ちゃん! 玲央君も! ほんとありがとう! 二人がいなかったらここまで来れなかったよ。ね、星斗君」

「ああ……」


 星斗が珍しく同意すると、莉子と玲央は顔を見合せて微笑んだ。


「私たちからも礼を言うよ。無事に部活の認可も下りそうだし、新しい部員も増えたからね」


 莉子は奥でどうしていいかわからないでいる一年生を手招きして呼んだ。練習に熱心に参加している生徒で正式にバンドのメンバーになりそうな二人だった。


「ぼ、僕も……! あ、ありがとうございます!」


 玲央もはにかんだ笑顔で紅太郎を見つめる。

 場にはひととき温かい空気が満ち、春からの努力をお互いにたたえ合うように握手をしたり抱き合ったりした。


「おまえら、もう終わったみたいになってるけど大変なのはこれからだからな! 特に玲央、主役だぞ。わかってんのか?」

「は、はい……!」


 星斗がうんざりしたように口を開くと、玲央が慌てて姿勢を正す。その背中を紅太郎が軽く叩いた。


「がんばれよ」

「う、うん!」


 途端に玲央の頬は赤らんだ。紅太郎は苦笑しながらこれから忙しくなるだろう準備会のことを思った。いよいよ星斗の脚本が映画になるのだ。


「またまた~。嬉しい癖に! 今くらい素直に喜んだらいいのに。玲央君、変にプレッシャー感じなくていいからね」

「は、はい! でも……僕、こんなに嬉しいの初めてです。が、がんばりますね!」


 ひよりがフォローすると、玲央から力強い言葉が返ってきた。星斗もさすがに表情をやわらげる。夏の気配を残す光が窓から差し込んで、塔の中はあたたかな色に染まっていた。

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