第11話
「……どう?」
八月の半ばの夜、
「うーん」
「微妙?」
唸るひよりの目の下にはうっすらと陰が差している。合宿が終わったあとのひよりはバイトが忙しく、この日やっと予定を合わせて会っていた。
「んー……」
二人は星斗が編集したミニフィルムを確認しているところだった。紅太郎も家を出る直前に渡されたので初めて見ている。ひよりの表情を見て、星斗が渡すときに冴えない顔をしていたのを思い出した。
「俺は悪くないと思ったけど……星斗も納得はしてないみたいだった」
星斗にはもう出かけるから、という直前まで粘られて今はこれが限界だと伝えられた。
「短期間でこれだけ形にできるのはすごいよ。ただ、すごーく言いにくいんだけど……」
ひよりはそこで一旦言葉を切って紅太郎を見つめた。紅太郎はパソコン画面とひよりの顔を見比べて次の言葉を待つ。
「全体的にダサくない?」
「ひよりさん……」
紅太郎は今日星斗が来てなくてよかったと息を吐いた。二人の衝突は必至だっただろう。
「星斗がふだん参考にしてる映画、じいちゃん世代だからなぁ」
「いや、じいちゃん世代でも題材と合ってれば全然いいけどさ……高校生の青春コメディだよ⁉ ちょっと堅苦しすぎない?」
「うーん、確かに……でも全体的ってなるとどこをどう直したらいいかわかんないな」
その時、注文したメニューが運ばれてきた。とりあえず食べてから、ということになり一旦パソコンを閉じる。紅太郎はひよりの様子を改めて正面から眺めると口を開いた。
「ひよりさん、疲れてない?」
「わかるー? もう今週ずっとシフト入ってて……」
ひよりはお手拭きのビニールを破りながら、ぐったりと肩を落とした。アイスクリーム屋と知り合いの美容院のアシスタントを掛け持ちしているというのだから当然だ。
「無理しすぎなんじゃない?」
「やー、稼ぎ時だからね。夏休み終わったらあんま入れないし」
ひよりが少しでも学費の足しになればとがんばっているのを紅太郎は知っている。合間に準備会の活動もあって夏休みなのにろくに休めていないようだった。
「それよりさ! どうなの? その後、星斗君とは」
紅太郎は星斗とライブに行ったことを話した。体調が悪くなった経緯は隠し、玲央と莉子の演奏の様子や脚本の進行具合などをかいつまんで説明する。
「じゃあ紅太郎君、映画出るんだ?」
「星斗の脚本が決まったらだけど……」
ひよりから意外そうに問われると、紅太郎はぎくしゃくした返事になった。
「へー! あんな嫌がってたのに、なにか心境の変化でもあったの?」
「いや……その、レオに頼まれて」
紅太郎は目の前にあるハンバーグをのろのろと口に運ぶ。出てきた時は熱い鉄板に肉の焼ける音がしていたのに、すっかり冷めてしまっていた。対するひよりは揚げ物の乗った定食をほとんど食べ終わっている。
「一緒なら緊張しないって言われて……星斗もレオとリコさんが入ってから脚本順調だしさ。レオを誘ったのも俺だから」
「……紅太郎君は?」
ひよりは手を合わせて食器を脇にどけると、ドリンクを飲みほして言った。
「え?」
「紅太郎君は出てもよかったの?」
「うん。だからそう言って……」
なんだか会話がかみ合ってない気がする。その証拠に不自然な沈黙が落ちる。紅太郎は胸がざわめくのを感じた。このところ、星斗の手を振り払った直前のような悪い予感が続いている。
──俺はってなんだ?
ひよりの言葉が溶け切らない砂糖みたいに紅太郎の心中をぐるぐると回っていた。
「ごめん、それならいいんだ。わたしも紅太郎君が映画に出るのは大賛成! やっぱり準備会からひとりくらいは出演してほしいし」
ひよりは重くなった空気をとりなすように明るい声を上げた。気を使わせている。紅太郎はハンバーグを無理やり胃につめこんで浮かんだ問いを打ち消した。
「ひよりさんも出ればいいじゃん」
「わたしは一応会長だから! あ、そうだ。ミニフィルムに使った撮影のデータやっぱり星斗君から戻してもらっていい? 雪花先輩に誰か編集できる人がいないか相談してみるよ。締め切りに間に合うかわからないけど……」
紅太郎は星斗に伝えることを約束する。それからは二人ともあえて映画制作には触れず、くだらないバイトの愚痴や夏休みの宿題の話などに花を咲かせた。
***
夏休みもいよいよ終わりに近づいた昼間、ひよりは雪花の自宅を訪ねていた。ミニフィルムの編集作業を依頼できる当てがあるというのでデータを渡すためだった。
しかし、午前中に雪花の買い物に付き合ったひよりは服の山を前に雪花と問答を繰り広げていた。
「……そっちのTシャツは持ってたスカートに合わせるんですよ! それで今日買ったミニと、こないだ着てたブラウスあったじゃないですか。そうそう、それです!」
「でも変じゃない? ブラウスは母のもので、古いし……あとやっぱりミニスカートは抵抗が……」
「なに言ってるんですか! 先輩がこういうの着てみたいって言ったんですよ!」
「私は別に、素敵だなって言っただけで着てみたいとは……」
「はいはい。じゃあ、その組み合わせで次お願いします!」
ぶつぶつ文句を言っている雪花をクローゼットに押し込める。今二人がいるのは雪花の家の衣装部屋だった。ウォークインになったクローゼットには絨毯がひかれて、着替えができるようになっている。
いざ買い物に付き合うと雪花の予算はひよりにとって目が飛び出るほどだった。その割に何を買うかはぼんやりしている。とりあえず大型ショッピングセンターに連れて行って流行のものをあれこれ提案したが、最終的には疲れ果てた雪花に全て任された。
ひよりはクローゼットの前にあるカウチソファに腰かける。傍らに置いたスマホに通知がきていた。紅太郎からだ。
「あーあ……」
メッセージを開いたひよりが声を出すと、ばっと目の前の扉が開いた。
「なに?」
「わ! やっぱり似合ってる~! ぜったい一緒に着たほうがいいですよ!」
「そ、そうかな……?」
雪花は鏡の前で首を傾げている。シルクの上等なブラウスにミニスカートから引き締まったまっすぐな足が伸びていた。基本的に素材がいいので何でも似合うのだが、せっかくならより高みを目指したい。
「それでー……髪はポニテでもいいけど、おろして毛先だけ巻いてもいいですよね~秋とかは上にニットとか羽織ってもいいし。あ、レザーもかっこいいかも!」
「ちょっと待って。何言ってるのか全然わからない……あとでもう一回説明して。それで、そっちは大丈夫なの?」
雪花はひよりのスマホを指し示した。
「なにか緊急の連絡とか……」
「あー、紅太郎君からです。なんか落ち込んでるみたいだけど大丈夫だと思います」
雪花は服を着替えると階下のリビングにひよりをつれていった。そこには飼い犬のムエットがいて、尻尾を振って近づいてきた。碧が拾ってきたという雑種犬は賢くて、雪花の隣にぴたりと寄り添う。
「お嬢さま、お茶ならわたくしが……」
「いいの。もう時間でしょ? 食事の用意だけで十分よ」
ダイニングに向かった雪花とお手伝いさんの声が聞こえる。ひよりは現実にお嬢さまと呼ばれる人間がいるのだと衝撃をうけた。
「すごいおうちだ」
「なにか言った?」
立派な庭を見ながら思わずつぶやいていると、雪花がうしろに立っていた。机に置かれた大きなお盆の上にはティーセットとクッキーが並べられている。
「それで? 紅太郎君はなんて?」
雪花は砂時計の砂が落ちると優雅に琥珀色の液体をティーカップに注ぎ切った。心配そうな様子にひよりは笑って答える。
「や、あれです。恋愛相談みたいな」
「ああ。それならいいけど……いや、よくはないか」
ひよりは繊細な小花模様の描かれたカップを落とさないようにそっと口に運んだ。丁寧に淹れた紅茶は嗅いだのことのないいい香りがする。
「大変ね」
「相手が相手ですからね~。ほんと、どこがいいんだかわかりませんけど」
紅太郎が星斗を好きなことは雪花も知っていた。ひよりが言ったわけではなく、紅太郎から直接聞いたわけでもないようだがバレている。
「意外とやっかいそうよね、紅太郎君」
「え? 星斗君じゃなくてですか?」
ひよりが聞き間違いかと思って顔を上げると、雪花は傍らに座ったムエットを撫でていた。
「うん」
「えー! なんでですか?」
「なんでって……彼はなんていうか、星斗君に執着してるところがあるでしょう」
ひよりは首を傾げる。雪花は静かに紅茶を口に運びながら視線を遠くへやった。大きな窓から深い庇の影が伸びて、その向こうに明るい英国風の庭が見える。
「それって、わたしが碧先輩を好きなのとは違うんですか?」
碧の名前が出ると、雪花は自嘲気味に口角を上げて笑った。
「そうね……人の気持ちは全部ちょっとずつ違うものだと思うけど、私には全く違って見える」
ひよりは何と答えていいかわからず黙った。「雪花の碧に対する気持ちは?」と聞きたい気がしたが聞けなかった。
「そういえば、合宿はどうだった? 人数が急に増えたから大変だったんじゃない?」
雪花が話を変えてくれて、正直ほっとした。
「なんとか大丈夫でした! 雪花先輩みたいにうまく采配はできなかったですけど……」
「私とあなたとじゃ状況が違うんだから一緒にはできないでしょ。そうだ、ミニフィルムの編集の件は……」
雪花の言葉で本題を思い出した。ひよりは持ってきていた撮影データの入ったDVDを鞄から取り出す。
「あと星斗君からの要望と……わたしと紅太郎君の考えた改善案も送るので編集してくれる方に渡してもらっていいですか?」
編集は雪花と同学年の元準備会の生徒が請け負ってくれると聞いていた。去年の映画制作でも編集作業担当だったらしく、受験生にも関わらず引き受けてくれた。
「わかった。それにしても、星斗君が脚本を書いてるのに映像編集もしようとしてたなんて無茶な話よね」
「誰にも任せられないから自分でやるって聞かなくて……一旦やってみたら満足したみたいなんですけど」
「そう……それならいいけど。手が足りないなら早めに相談しなさいよ」
雪花は準備会の二年生が足りないことや、制度が変わって混乱していることに責任を感じて今回のように協力してくれている。これ以上、心配をかけるわけにはいかなかった。ひよりは不甲斐ない自分をごまかすように明るい声を出した。
「ありがとうございます! 先輩、そんな面倒見良かったですっけ?」
「私はより面倒なことになる前に忠告しただけ。でも無用な心配だったみたいね。手帳取ってくるから、さっきのコーディネイトをもう一回説明してもらえる?」
ひよりは「もちろん!」と元気よく答える。笑って立ち上がった雪花のあとを、ムエットが尻尾を振りながらついていった。
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