第10話
合宿が終わってしばらくした八月の頭、紅太郎は玲央に誘われて莉子の実家であるライブハウスに来ていた。身内のライブだから気楽に来てほしいと言われたとおり、会場には子どもの姿もある。
「外、出てるか?」
「いや」
紅太郎は隣に立っている星斗に声をかける。距離もあるしダメ元で誘ったのだが、星斗は意外にも一緒についてきた。ただ、紅太郎が出番まで莉子や玲央と話していた時は少し離れたところで誰もいないステージを見ていた。
夜ににぎやかなところへ出るのは久しぶりだった。引っ越す前に住んでいた地域と近くて誰かに合わないか心配していたが、照明が落とされると人の見分けはつかなかった。
「やーすごかったなぁ」
帰り道、紅太郎は駅まで星斗と歩きながら高揚した声をもらした。ライブは内々とはいっても見ごたえのある演奏だった。あまり詳しくはなくても、二人が学校でのライブと違って自然体なのがわかった。
「レオとリコさん、かっこよかったなぁ」
「ああ」
周りに物怖じせず演奏する彼らは大人びて見えた。健全な空気とはいえ、普段は行かない夜のライブハウスの雰囲気がそう思わせたのかもしれない。紅太郎は見知らぬ路地を歩きながら余韻に浸っていた。
「俺は楽しかったけど、星斗も?」
「うん」
一歩先を歩いている星斗の返事は珍しく素直だった。退屈なのではと案じていたが、始まってしまえば音楽に合わせて体を揺らしたりしていた。
「脚本にも使えるしな」
いつもの星斗らしい理由も付け加えられて、紅太郎は笑う。
星斗は喉が渇いたと言って、途中のコンビニに入った。手持ちぶさたの紅太郎がアイスのショーケースを眺めていると、隣に来た星斗が「買うのか?」と言う。結局二人してアイスを買って、近くにあった公園で食べることにした。
公園──といっても、住宅街の片隅にある二、三の遊具があるだけの空間──は暗く、街灯がぽつんと一つだけ立っている。かろうじしてコンビニの明かりが届く、車止めのポールの上に腰かけた。
「脚本とミニフィルムの編集、順調?」
合宿のあと、撮影した映像の編集作業は星斗がやると言って持ち帰っていた。ミニフィルムは準備会が全面的に協力しているものの、脚本の名義としては星斗の作品になる。しかし、紅太郎は編集作業までは荷が重いのではと案じていた。
「ミニフィルムのほうは来週には仕上げるから椿原と確認してくれ」
「わかった」
「他の脚本のミニフィルムはどうなってる?」
「ひよりさんと手分けしてやってるよ。あんまり詳しくは話せないけど……」
ミニフィルムとはいってもイメージ映像のようなものでメインの選考はあくまで脚本だ。ただ、生徒の投票には大きく影響するのではと予想していた。準備会では依頼があれば他の脚本のミニフィルム撮影も請け負っている。
星斗にとってはライバルになるわけで、別に秘密にしないといけない決まりがあるわけではないがベラベラと喋るのは気が引けた。
「まぁいい。どんな脚本がきても俺のが一番に決まってる」
「ふっ」
星斗が言いきったので、思わず紅太郎は息をもらした。自分を信じて疑わない星斗を見ていると、くよくよ悩んでいることが馬鹿らしくなってくる。
「なんだよ?」
「いや、俺もきっとそうなるって信じてるよ」
星斗は疑い深いまなざしで紅太郎の足を軽く蹴ってくる。紅太郎は謝りながら溶けそうになったアイスを慌てて口の中に押し込めた。
「あとは……」
「ん?」
星斗は目線を暗い公園の奥へ向けて何かを考えている。食べ終わったアイスの棒を袋に戻して握りつぶした。
「いや、前にプロットを北山雪花に見せたって言っただろ。その時に言われたことがあって」
「へーそうだったのか」
聞いたような気もするが、紅太郎の記憶は曖昧だった。
「まぁでも、先生とかより詳しそうだな」
「ああ、映画制作に関しては学校で一番知識があるからな」
星斗が純粋に人を褒めるのは珍しい。雪花も色々あったが、脚本の選定を抜本的に改革するなど実力は確かだった。雪花でなければ短期間で実現できなかっただろう。そのあたりは星斗も認めているようだ。
「なんて言われたんだ?」
「サブストーリーに恋愛を絡めてみたらどうかって」
「それは……星斗に?」
思わず首を傾げてしまう。すると星斗が笑った。紅太郎は星斗の顔をまじまじと見つめた。だいたい真顔で表情が変わらないので、気を抜いた時の笑顔は貴重だった。
「うけるだろ」
「うけるっていうか……難しそうだけど」
紅太郎は遠まわしにフォローのつもりで言った。まだ笑い続けている星斗のツボがよくわからない。普段古臭い言い回しを好む星斗にしては珍しい言葉だった。夜のライブの高揚感が伝染したのだろうか。
──北山先輩も無茶言うなぁ……。
脚本のことは何もわからないが、恋愛は星斗から一番遠い現象だった。紅太郎が星斗に告白の返事を迫った時に面と向かってわからないと言われたことがある。
「俺も最初はクソみたいなアドバイスしやがって、と思ったんだけど……」
紅太郎は決してそこまでは言ってない。学校であれば即座に訂正するところだが、今は二人きりなので少々の暴言は聞き流すことにする。
「でも実際なにか足りない気はしてたからさ。じいちゃんに電話したら新しいものを取り込めとか言われて……それで玲央たちに取材をさせてくれないか頼んだんだ。結果的にまったく想定してなかったバンドを題材にすることになってミニフィルムの撮影もできたし、今は脚本をブラッシュアップしてるところだ」
星斗の声は明るい。紅太郎も頷いた。
「それはほんと、よかったよな。レオとリコさんに協力してもらったおかげで準備会に人も増えたし」
紅太郎は同意の言葉を返す。玲央に声を掛けたことを一度は後悔しかけたが、結果的に準備会の抱えていた問題は一挙に解決した。多くの一年生が入って予想外の苦労はあるにせよ、あのまま誰も集まらなかったらと思うとぞっとする。
「だから、北山雪花の言うことも試してみる価値はあると思った」
星斗の目線が紅太郎にうつされた。暗い公園の生垣越しに通行人の談笑する声が響いてくる。夏の夜はどこか開放的で浮かれた気分にさせるのかもしれない。
「試してみるって……」
「紅太郎にも感謝してるんだ。卒業制作が決まったら俺の映画に出てくれるんだろ?」
じっと見つめてくる星斗の真っ黒な瞳に一つきりの街灯の明かりが映っている。紅太郎の胸は高鳴った。星斗から面と向かって感謝を告げられるなんて今までになかった。
「あ、ああ……レオに頼まれて」
「俺が何度言っても聞いてくれなかったのに」
今度は拗ねた様子で口をとがらせる星斗に、紅太郎は都合のいい夢を見ているんじゃないかと思い始めた。星斗の周りにふわふわしたフィルターがかかっているような気がする。
──なんだこれは。セリフの練習か?
誰もいない夜の公園で星斗と二人きり。これはもしかして、俗にいういい雰囲気というやつではないのか。試してみるってどういう意味なんだろう。いや星斗に限ってそんなまさか──紅太郎の心中に様々な疑問が飛び交った。
「どうかしたか?」
眉間のあたりにチリチリとむず痒いような感覚がある。紅太郎は立ち上がるとポールの上に腰かけた星斗の前に立った。
「あの、聞きたいんだけど……」
「うん?」
星斗は座ったまま紅太郎を見上げた。家を出る際に着古したシャツのまま出て行こうとする星斗を一番上の姉・
ついでに跳ねた癖毛も整えてくれたせいで、額が露わになっている。いつもと違って見えるのはそのせいか、と紅太郎は気づいた。
「俺が映画に出たら、星斗は嬉しい?」
星斗は紅太郎の質問の意図がわからないようで、眉をひそめている。
「そうじゃなきゃ何回も出ろって言わないだろ」
「その、それはレオが映画に出てほしいのと同じ意味で?」
紅太郎はどういうふうに言葉にしていいか迷う。星斗に回りくどい言い方は通用しないとわかっていても、一度急ぎすぎて失敗した経験があるせいで慎重にならざるを得なかった。
「……全く同じではないけど。おまえは体格もいいし、声もでかいし、役者映えするって前から言ってるだろ」
「いや、そうじゃなくて」
「はぁ?」
星斗が苛立ちを隠さなくなってきて、紅太郎は矢継ぎ早に言葉を重ねた。
「だから、俺が映画に出たくなかったのは目立つのが嫌なのもあるけど、星斗が俺にがっかりするんじゃないかって心配で……」
紅太郎は星斗にとって脚本と映画制作がなによりも大切だと知っている。だからこそ、星斗に再三役者になれと言われて怖気づいた。もし紅太郎が星斗の意に添えなくて失望されたら──星斗が好きだからこそ興味を失って去られるのは何としてでも避けたかった。
そう伝えても、星斗は怪訝そうな表情を崩さなかった。腕を組んでしきりに首をひねっている。
「なんでそんなこと思うんだ?」
「え?」
「なんで俺がおまえにがっかりするんだよ。俺ってそんなに……」
星斗は傷ついたような表情で黙ってしまった。紅太郎は辛抱強く続きの言葉を待った。
「……そんなに信用ないのか?」
「え?」
じっと見つめられて紅太郎は動揺する。
「いやいやいや……そうじゃなくて!」
言葉が伝わらないもどかしさに紅太郎は髪をかきむしった。
「俺が映画に出るのを渋ってたのは星斗にがっかりされたくないからだけど! それは星斗のことを信頼してないからじゃなくて……それくらい臆病になるのは星斗だけっていうか……」
紅太郎の顔が熱いのは気温のせいばかりではない。言葉を重ねれば重ねるほどドツボにはまっていく気がしたが、星斗に誤解されるよりはましだった。
「なんで俺だけ?」
「なんでって……」
紅太郎は信じられない、という目で星斗を見返す。からかわれているのか、と思ったがしごく真面目な瞳にぶつかって本気で聞いているのだとわかった。
「だから星斗のことが好きだからって言ってるじゃん!」
色々限界に達した紅太郎が叫ぶように言うと、星斗は文字通り手を打った。
「そうか、なるほど……好きだと臆病になるのか」
「おまえ……」
「わかった。なんか、ごめん」
紅太郎は脱力した。星斗相手に一瞬でもいい雰囲気だと思った自分を殴りたい。同時に、大汗をかいている紅太郎をよそに涼しい顔をして頷いている星斗が憎らしくなった。
「あのさぁ……」
このまま体のいい資料扱いされるのはあんまりだ。紅太郎は普段なら引き下がるところ、もう一歩先に踏み込む決意をする。
「なんでそんなに気になったんだよ?」
「なにが?」
「俺がレオに言われて映画に出るのが気にくわなかったんだろ?」
「うん。だって俺が先に何回も言ってたのにあっさり承諾するから……」
「でもいつもの星斗だったら結果がよけりゃ気にしないだろ」
「それはそうだけど……俺の方が紅太郎と仲いいだろ」
さらりと星斗に言われて、紅太郎は一瞬詰まった。理性はあの星斗からここまでの言葉を引き出したのなら十分では、と言っている。
しかし、あともう一息という欲が出た。
「それって星斗も俺が好きってことじゃないの?」
紅太郎は聞いてしまってから、新たな汗が浮かぶのを感じた。しまった、急ぎすぎた。これで違うと言われたら立ち直れないかもしれない。咄嗟に撤回の言葉を口にしようとした時、星斗が言った。
「そうなのか?」
「そうなのかって……」
まさか疑問形で返されると思わなかった紅太郎は戸惑った。
「だとしたら面白いけどな」
「面白いって、おい」
そうだった。相手はあの星斗なのだ。紅太郎は額にかいた汗を袖でぬぐった。Tシャツの裾をばたばたさせて、体の火照りを逃がす。
「でも確証がない」
「あー……」
「みんなどうやって確証を得てるんだ?」
星斗のとんちんかんな返答で頭が冷静になってきた紅太郎は半ば投げやりに答えた。
「確かめる方法がなくはないけど……」
「それなら早く言えよ。さっきから変だぞ」
「じゃあ俺が今から星斗にすることが嫌だったら言って」
「わかった」
星斗は即答した。紅太郎は本当にわかっているのか疑問に思う。たぶん、絶対わかってない気がする。
「本当にいいんだな?」
「……? うん」
「嫌だったらすぐに言えよ」
「わかったって。しつこい!」
星斗はイライラして片足で地面を踏み鳴らした。紅太郎はここまで来たらやるしかない、と腹をくくる。
「目、閉じてもらっていい?」
「ん」
星斗は腕を組んだまま素直に目を閉じた。無防備な顔をかすかな明かりが照らしている。紅太郎は深呼吸をしたあと、手を伸ばして星斗の頬に触れようとした。
──あ、やば……。
突然、ピーという電子音のような耳鳴りがした。紅太郎は耳を塞いでその場にうずくまる。眉間に灯ったチリチリした炎が紅太郎の体を支配する。
「紅太郎?」
いくつかの光景が脳裏をかけめぐった。暗い家の中で誰かが泣き叫んでいる。廊下にはいくつもの赤い破片が飛び散っていた。紅太郎は呆然とその場に立ち、荒い呼吸を繰り返している。ぼたり、と首から流れた汗が床に落ちた。
場面は切り替わり、紅太郎は一心不乱に土を掘っている。そこへ後ろから声がした。
──こうちゃん?
紅太郎は目の前に差し出された手を振り払った。
「ご、ごめん!」
目を開けると、星斗が驚いた顔をしている。紅太郎は自分が何をしたのか咄嗟にわからなかった。背筋に汗がつたって落ちていく。目を何度か閉じたり開いたりすると、足元が揺らめいた。心臓の音が妙に大きく聞こえる。
「大丈夫か?」
「あ、ああ……ちょっとライブではしゃぎすぎたのかも」
「顔色が悪い。早く帰ろう」
星斗が心配そうに「歩けるか?」と聞いた。紅太郎が頷くと、駅に向かってゆっくりと歩きはじめる。その背を見つめながら、紅太郎は自らの手を握っては開いてを繰り返した。爪の奥に土の入っていく感触がまだ鮮明に残っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます