第9話

 合宿二日目、午前と午後で一年生を二班に分けてひよりの撮影に関する座学と、紅太郎が撮影の実習を行うことになっていた。音楽部門と星斗は一日撮影にかかりきりになる。

 午前中の撮影が終わった昼休み、一年生を解散させた紅太郎はホールの片隅でカメラとパソコンに向き合っている星斗のもとに向かった。


「星斗、昼は?」

「俺はいい」


 ライブシーンの撮影が順調にいったので星斗は機嫌がいい。しかし、何も食べずにぶっ通しで撮影していると去年みたく倒れないとも限らない。紅太郎はなにか持ち運びできるものを買いがてら、ひよりに進捗状況を聞きに行くことにした。


 撮影が予定より早く終わったせいか、ひよりの座学はまだ終わっていなかった。紅太郎は会議室の後ろからこっそり入って、一番後ろの席に座った。プロジェクターを使っているので暗い。一瞬、説明をしているひよりと目が合った。


 ──ひよりさん、がんばってるな。


 プロジェクターに映っている資料は準備会が代々使っているものだ。そのまま使ってもよかったのに、ひよりは初心者向けに直すのに遅くまで残っていた。合宿前にはわからない部分があれば教えてほしいと紅太郎に資料が送られてきた。


「えーっと……あれ? あ、ページを間違えてる! ごめんなさい!」


 前のほうにいる生徒からなにか指摘があったらしい。急に尋ねられたひよりは慌てた様子でパソコンを操作した。くすくすと笑い声があがる。目を凝らしてみると頭を伏せて寝ている生徒もちらほらいるのがわかった。

 紅太郎が助けに入ろうか迷っていると、正午のチャイムが鳴った。


 終わったあと、数人の生徒がひよりに何か尋ねていた。ひよりは困った顔をして首を傾げている。一年生が去ったのを確認して、紅太郎はひよりに歩み寄った。


「ひよりさん、おつかれ」

「紅太郎君! 撮影どうだった?」


 紅太郎は順調に進んでいると答えた。音楽部門の演奏シーンはほぼ完璧な仕上がりで、予定より多いシーン数を撮影できた。


「そうなんだ! さすが」

「ひよりさんのほうは?」

「わたしはまぁ……さっきは恥ずかしいとこ見られちゃったね」


 なんとかやってるけど、とひよりは笑いながら答える。紅太郎は座学を任せっぱなしにしていることを申し訳なく思った。人前で喋るのにも慣れていないし、教師の権威があるわけでもない。人数の多い一年生をひより一人で見るのは大変だろう。


「さっき一年に聞かれてたのは? 大丈夫だった?」

「あー……大丈夫大丈夫。なんか、花火したいんだって」

「花火?」


 一年生数人が今日の夜に花火をしたいらしく、ひよりに許可を求めてきたらしい。てっきり座学でわからない部分の質問でも受けているのかと予想していた紅太郎は面食らった。


「まぁ、せっかくの合宿だしね。なるべく楽しい思い出にしてほしいし……空き時間に雪花先輩に連絡して聞いてみるよ」


 紅太郎は昼食を買ってホールに戻りながら、一年生が浮足立っていることに違和感があった。


「言っただろ。無駄に人数がいても邪魔なだけだって」


 星斗に話すとそう言われた。午前中の撮影時もやる気のある一年生はほんの数人で、あとは後ろで遊んでいるだけだった。


「難しいな……」

「俺は撮影さえ順調に進めばいいけどな」


 星斗は自身の言う邪魔な一年をさっさと適当な用事をいいつけて追い払ってしまい、撮影に集中していた。午後もそれで押し通すつもりなのだろう。紅太郎は本当にこれでいいのか疑問だった。

 しかし、これといった改善案も浮かばない。


「飯くらいは食えよ」

「うん」


 星斗は生返事でパソコンから顔を上げなかった。紅太郎はパンの袋をやぶって星斗に渡しながら、せめて午後の撮影も順調に運ぶよう祈った。



 ***



 午前中の撮影は順調に進んだが、午後の撮影は難航した。

 玲央の演技シーンになかなかオーケーが出なかったからだ。テイク数が十回を超えたところで莉子は星斗を止めに入った。


「何がそんなに不満?」


 星斗はさっきから同じシーンを何度も撮りなおしている。莉子から見るとセリフを間違っているわけでもないし、演技が壊滅的という程でもない。注意を受けるたびに玲央は応じようとするが、星斗は満足しなかった。


「プロじゃないんだから、いい加減に手を打ったらどう? そんなにワンシーンにこだわってたら前に進まないだろ」


 莉子の言葉にも星斗は耳を貸さなかった。無視して撮影を再開しようとしたところに、見かねた紅太郎が割って入る。


「星斗、とりあえず次のシーンを撮ろう。それでどうしても気になるようなら、また最後に撮ってもいいんだし……」

「でもこのシーンはこの時間帯じゃないとだめだ」


 星斗は頑固に言い募った。撮影を手伝っている一年生もうんざりした顔を隠さなくなっている。


「よし。じゃあ明日! 明日の朝に撮りなおす。どう?」


 紅太郎の声が高原の森林に響き渡った。大声に驚いたのか近くの木からばさばさと鳥が飛び立った。


「明日は昼には帰るだろ」

「だから朝だって! 星斗のいう時間帯がいつなのかわかんないけど……全シーン撮り終わらないよりマシじゃない?」

「それは……そうだけど」


 そうこう話している間にも時間はなくなっていく。星斗もさすがに焦りを覚えたのか最終的に次のシーンを撮ることに同意した。一事が万事この調子だった。


 結局、大幅に撮影は押した。全シーンを撮り終えたのは陽が沈むぎりぎりだった。その日は見事な夕映えで予想外のギフトに星斗の機嫌はよかったが、他の全員は疲れ切ってげっそりしていた。


「玲央、大丈夫?」

「リコちゃん……」


 撮影の後、夕食をとっている玲央に莉子は話しかけた。大半の生徒が引き上げたあとで食堂はがらんとしている。みんなを先に帰らせてからも、玲央は最後まで星斗に付き合っていた。


「う、うん、大丈夫。僕が演技うまくないせいだし」

「経験がないんだから当たり前だろ。玲央もちょっとは強く言わないと……烏丸のやつ、言っても聞かないんだから」


 莉子は今日一日で星斗の頑固さを嫌というほど思い知らされた。自分のこだわりを押し通すのは結構だが、あまりにも周りが見えていない。あれでは人はついて来ないだろう。現に撮影に付き合わされた一年生は帰り際にも文句を言っていた。


「で、でも……僕がこうちゃんと映画に出たいって言い出したし……」

「それとこれとは話が別だろ。そうだ、昨日どうだった? 益子とは話せた?」

「う、うん!」


 玲央は嬉しそうに紅太郎が映画に出てくれることになったと話した。莉子は興奮した時特有の玲央の早口を聞いて苦笑する。無理やり送り出した甲斐があったというものだ。


「でも、そのためには烏丸先輩の脚本が卒業制作に選ばれないといけないから……ぼ、僕ががんばらないと!」

「よかったね。それで、結局例のシーンはどうなった?」


 星斗がこだわって何度もリテイクしたシーンだ。湖の前で一人、神様に呼びかけるだけのシーンに一時間近く費やした。


「えっと……また明日の朝やるんだ。だから今日はお風呂に入って早く寝なきゃ!」


 玲央が思い出したように立ち上がった瞬間、机に膝をぶつけてうずくまった。莉子はふらついた玲央を支えて、食器は片づけておくから早く寝るように言った。


「あ、ありがとうリコちゃん!」


 申し訳なさそうに食堂を出て行く玲央を見送ると、莉子は食器を洗い場まで運んで洗った。


「さて、と」


 寝る前にもう一仕事残っている。莉子は腕まくりして伸びをすると食堂の明かりを消して、大きく息を吐いた。



 ***



 夜、星斗が部屋で脚本を書いているとドアをノックする音がした。ちょうど筆が乗ってきたところだったので無視してパソコンに向かう。するともう一度強く扉を叩かれた。

 星斗は舌打ちして立ち上がるとドアをあけた。立っていたのは莉子だった。


「……なんだ、アンタか」

「寝てた?」


 ジャージ姿の莉子は少しだけ開けたドアに強引に体を挟んできた。星斗は眉をひそめる。


「いや……何か用?」

「ちょっと話があるんだけど、入っていい?」


 莉子は有無を言わさない口調で、すでに半分室内に入っている。星斗はうんざりしながらもさっさと話を終わらせるほうが得策だと判断して中に招き入れた。


「忙しいからさっさと用件に入ってくれ」

「じゃあ言うけど、合宿に来てからのあんたの態度に思うところがあってね。もうちょっと周りのことを考えて動いたら?」


 口を開きかけた星斗を制して、莉子は続けた。

 曰く、一日目はろくに姿も現さずにずっと部屋に籠っていたこと、一年生の指導を全くしていないこと、撮影が始まってからは自分の主張を押し通すばかりで譲らないことなど。また、そのせいで玲央やひよりや紅太郎に負担が集中していると訴えられた。


「俺がひとりでやることは椿原や紅太郎も知ってる。アンタに口を出される筋合いはない」


 星斗が言うと、莉子はぽかんと口を開けた。


「大体、班ごとに分かれて活動してるっていうなら同じだろ。俺は余計な一年をつけられるくらいなら一人でやるって言っただけだ。希望者もいなかったしな」


 それだけ言うと、莉子に背を向けてデスクについた。再びパソコンの画面に向き合うと後ろから盛大なため息が届いた。


「……呆れた。ここまでだったとはね」

「どういう意味だ?」


 椅子をずらして体を半分後ろに向き直った。すぐに出て行くかと思ったのにまだ言いたいことがあるらしい。


「あんた、みんなと話もしないで映画を撮るつもり?」


 莉子の言葉を星斗は鼻で笑って言い返す。


「仲良しこよしで映画が撮れるとでも?」


 そう言った瞬間、莉子は何かを耐えるような顔になった。今すぐこいつの顔面に拳をぶちこみたい──そんな顔だ。今まで幾度となくされてきた馴染みのある表情。大抵の場合、拳まではいかなくても罵声を浴びせられるのが常だった。

 しかし、莉子は目を閉じて深呼吸すると細く息を吐きだして言った。


「……好きにすれば」

「ああ、言われなくても。話はそれで終わりか?」


 怒りだしたら追い出そうと思っていたのに、当てが外れて拍子抜けした。星斗は改めてまじまじと莉子を観察する。こげ茶色の瞳に浮かんでいるのは怒りではなく、憐れみだった。


「邪魔して悪かったね」


 莉子は静かに部屋を出て行った。 


 翌日の撮影はうまくいった。心配していた時間帯のずれや日差しの変化も思ったより気にならず、一晩休んだ玲央の演技はぐっとよくなっていた。星斗は残っていた数シーンを撮りなおし、高原の合宿所をあとにした。

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