第6話

 雲出くもず玲央れおは陰気な少年だった。

 永尾ながお莉子りこが玲央に出会ったのは中学一年の時で、玲央の父親がライブハウスに連れて来たのがきっかけだ。莉子は両親が営むライブハウスに遊びや手伝いでしょっちゅう顔を出していた。

 腕に派手な刺青の入った玲央の父親はその頃よく出入りしていたバンドのメンバーだった。ある日、突然玲央を連れてきて莉子のいるカウンターに置いていったのである。


「……なんか飲む?」


 玲央は黙って首を振った。

 何もしないのも気まずくてオレンジジュースを置いたが、とうとう口をつけなかった。その時は無理に連れてこられて気の毒な印象しか持たなかった。

 もう来ないだろうと思ったが、玲央は毎週のように父親と一緒にライブハウスを訪れるようになった。


「こいつ、最近ギターやってんだ。リコちゃんよかったらみてやってよ」


 莉子は幼いころからバンドで使う楽器に親しんでいたため、ひと通りの初歩的なことはできた。両親も見てやれと言うので仕方なく教えるようになった。黙ったままカウンターに座られるよりはマシだ。

 玲央は筋がよく、すぐに初歩的なことは覚えて教える必要もなくなった。莉子とも最初はぎこちなかったが徐々に打ち解けて話すようになった。


「り、リコちゃんって小学校どこだった?」


 玲央から聞かれたのは三か月ほど経った頃だっただろうか。莉子は世間話のつもりですぐに地元の小学校を答えた。玲央とは校区が違うので別の小学校に通っていた。


「そ、そっか……」

「なんで?」

「う、ううん……えっと、ま、益子ますこ紅太郎こうたろうって人知ってる?」

「知らない。誰?」


 玲央はギターから手を離すと急に顔を赤らめてTシャツの裾を触り始めた。まだ髪は染めていなかったが、前髪はずっと長かった。莉子は目が悪くなりそうだから切ればいいのに、と思っていた。


「む、昔の友だち……で、でも、急にいなくなっちゃって。ずっと探してる」


 詳しく話を聞くと、小学生の時になにも言わずに転校してしまったらしい。急だったので連絡先も知らないこと、周囲の大人は聞いても言葉をにごして教えてくれないことをつっかえながら話した。


「ふーん。私、ライブハウスに出入りしてる人に知らないか聞いてあげよっか?」

「ほ、ほんと? あ、ありがとう!」


 感謝されると悪い気はしなかった。昔から頼られると嬉しいたちだし、玲央にはどこか放っておけない雰囲気があった。歳の近い弟ができたような気持ちで世話を焼いた。


 その後、ライブハウスを手伝いがてら色々聞いて回ると益子家は隣人トラブルで越したらしいとわかった。一昔前、玲央が住んでいるあたりで変な騒動が続いたことがあったという。

 しかし、どれも又聞きのような情報で今どこにいるかまではわからなかった。


「またなんか聞いたら教えるよ」

「う、うん。いいんだ」


 それきりしばらく忘れていた。トリス学園に入ったのは偶然だ。東京近郊の学校で制服の自由度が高く、面白い授業をしているらしいと言って友だちの一人が受験の候補に入れていた。莉子は軽音部があると知ってすぐに決めたのだった。


 入学してからもしばらく益子紅太郎の存在は知らなかった。クラスも違ったし、そもそも玲央とそんな話をしたことも忘れかけていた。

 最初に気づいたのは一年生の夏を過ぎた頃、クラスで噂が立った。誰々と誰々が付き合っているらしい、というありがちな恋愛話である。たまたま隣で数人が話していたのを耳に挟んだ。


「益子って誰?」

「私、委員会一緒だから知ってる~。背が高くて、声が大きい……あ、名前の漢字が変わってる人!」

「へ~どんな?」

「なんだっけ……べにたろうってふざけて言われてた。紅って口紅の紅ね。それでこうたろうって。自己紹介してたよ」


 莉子はハッとした。玲央から昔、同じような説明を受けたことを思い出した。そんな名前の同一人物が早々いるとは思えない。玲央とは受験の間連絡をとっていなかったが、すぐにメッセージを送った。


 すると、玲央は翌日には実家のライブハウスにやってきた。久しぶりに会った玲央は急に背が伸びていた。いつもギターの練習に来るときは私服だったが中学の詰襟のままだった。

 莉子は紅太郎の姿格好を説明し、おそらく探していた人物だろうという結論になった。


「声、かけてみようか?」


 翌日に飛んでくるくらい気になっていたのなら、と莉子は提案した。玲央はしばらく無言で考え込んで答えを返さなかった。


「……玲央?」

「あ! う、ううん。ちょっとびっくりしちゃって……」


 カウンターの前に立った玲央は我に返ったように莉子を見つめた。鬱陶しそうな前髪の隙間から眉の下がった目元がのぞく。背が伸びて大人っぽくなったように見えても、中身は変わっていないようだ。莉子はほっとして笑った。


「そりゃあね。私もびっくりしたわ」

「み、見つかると思ってなくて……こ、こうちゃん元気そうだった?」

「さぁ。クラス離れてるからそこまでは。付き合ってる人がいるって噂になってたけど」

「そ、そうなんだ……」


 噂を聞いたあとで、益子紅太郎が何度かクラスに来ているのを見かけた。莉子は気づいていなかったが、仲のいい友だちがいるらしい。どうやらモテるらしく、観察しているとひそひそと周りで囁きかわす声が聞こえた。


 結局、玲央には声をかけなくていいと言われた。せっかく見つかったのに、とは思ったが莉子がどうこう言えることでもない。

 それからしばらくして、玲央からトリス学園を受験してもいいかと連絡がきた。



 ***



 四月の最終週に入った放課後、玲央が準備会に永尾莉子を連れてきた。ひよりは二人から聞いて初めて、星斗が勝手に交換条件を結んできたことを知った。

 莉子は話が通っているものと思っていたようで、呆れを通り越して心配されてしまった。


「私らが一定期間、準備会に所属するっていう体裁でほんとに大丈夫?」


 ひよりは今すぐ星斗に怒りたい気持ちを抑えながら、莉子に笑顔を返した。


「はい! 一度、先輩に確認はしてみますけど……人数が足りないのは確かなので一時的にでも入ってもらえると助かります!」

「タメ口でいいよ。椿原さん、同じ学年だし」


 莉子と話すのも初めてだったが、気取りのない人柄なのは幸いだった。


「う、うん! じゃあ、さっそくだけど永尾さんが入ってくれるとほんとに助かる! もうわたし一人じゃ手に負えなくて……紅太郎君はともかく、星斗君はあんな感じだから」

 

 星斗は用事があると言って帰ってしまい、紅太郎も委員会か何かでいなかった。雪花ともしばらく会っておらず、つい溜まっていた愚痴がこぼれた。


「ほんとは会長なんていう柄でもなくて……」

「そうなの?」


 莉子はしばらくひよりの愚痴につきあってくれた。玲央は二人が話しているのを後ろでぼんやりと聞いている。


「ま、なんか手伝えることがあったら言ってよ。当面はここでライブの練習させてもらうんだし」


 莉子は新しい部活の申請をするつもりではあるが三人以上が条件なのでまだ申請できないと言った。玲央と莉子は寮住まいで練習できる場所がない。ひよりは部室ができるまで準備会の建物を共有で使ってもらって構わないと申し出た。

 その代わり、五月にある部活紹介に全面的に協力してもらうことを正式に約束した。


「なんで今ある軽音部に入らなかったの?」

「去年の部活紹介で大体の腕はわかってたけど……見学に行った時もだらだらしてやる気なかったからね。それなら自分たちでやったほうがマシ」


 ひよりが尋ねると、莉子はあっさりとそう答えた。


 ──かっこいいなぁ……。

 

 芯のある言葉と行動力は尊敬に値する。ひよりはすぐに莉子を信頼した。それに比べて、と落ち込みかける自分を叱咤する。


 ──まずは来月の部活紹介を成功させなきゃ!


 前にも増して忙しい日々がはじまった。

 まずは星斗がライブシーンをメインに簡単な台本を書き、演出をすることに決まった。過去の卒業制作を紹介するプロモーションムービーを紅太郎と作り、活動の説明をしたあとに小演劇とライブを披露する。


 準備期間は一か月もなかったが、ひよりは莉子や紅太郎と協力し、雪花の助言も受けながらなんとか形にした。


 五月も半ばを過ぎた天気のよい午後。トリス学園恒例の一年生を集めた部活紹介が体育館で行われた。



 ***



 翌週の放課後、ひよりは思わぬ事態に歓喜の声を上げていた。


「すごーい! こんなに……」


 部活紹介のあと、一年生の入会希望者が殺到したのだ。顧問から希望アンケートの結果を受け取ったひよりはすぐに準備会の塔まで走った。


「永尾さん、雲出君みてみて!」


 準備会の塔に駆け込むと、莉子と玲央が練習している最中だった。二人はひよりに気づいて演奏の手をとめる。


「三十人以上いるの! 今までで一番多いかもって」

「へー! そうなんだ」


 ドラムを叩いていた莉子が立ち上がって近づいてくる。玲央もギターを首にかけたまま莉子のあとについてきた。


「二人のおかげだよ~! ほんとにありがとう!」


 ひよりは上がった息を整えながら言った。


「そ、そんな……で、でも、よかったですね……」

「すごいね。よかったじゃん」


 三人は顔を見合せて喜びを分かち合った。


「今度の準備会は自己紹介と、役割決めをするんだけど……二人はとりあえず俳優・音楽部門ってことでいいかな? 実際映画に出演してもらうわけだし」

「私はいいけど……新しい軽音部ができたら掛け持ちでいいんだよね?」

「もちろん! そういう約束だったから」


 部活紹介で一番盛り上がったのはライブだった。

 莉子が言っていた通り、二人の実力は素人目に見ても明らかで既存の軽音部が霞んでしまうほどだった。正直なところ、ライブシーンの実演がなかったからこんなに希望者は殺到しなかっただろう。

 ひよりとしては準備会に席を置いてくれるだけでもありがたかった。


「ぼ、僕も大丈夫です……あ、あの! 今日ってこうちゃんは……」

「あれ、まだ来ないね。昼休みに言ったんだけどなぁ」


 玲央は見るからにしゅんとしている。


「も、もしかして僕、避けられてますかね……」

「まさか! 紅太郎君に限ってそれはないと思うよ」


 ひよりは慌てて否定したが、そういえば紅太郎があまり準備会に顔を出してないことに気づいた。とはいっても、部活紹介の台本を提出したきりの星斗よりはマシである。


「私たちが途中で入っちゃったから来づらくなってるなら申し訳ない。部活の申請ができたら活動場所がもらえるはずだけど……」

「いやいやいや! 大丈夫だよ! だって、当の紅太郎君が雲出君を連れてきてくれたわけだし。ほんと、気にしないで」


 ひよりは今度、紅太郎に言っておかなければと思う。人数が増えれば忙しくなるし、莉子と玲央が変に気を使うこともなくなるだろう。

 家に帰ると、ひよりは早速次の準備会で配るプリントの作成に取り掛かった。事務作業は苦手だったが、雪花から過去のデータをもらったので修正するくらいはしないといけない。


「あんた、昨日もろくに寝てなかったじゃない。大丈夫なの?」

「もー大丈夫だって! さっさと仕事行ったら?」


 小言を言う母を玄関まで追いやって仕事に送り出すと、ひよりは洗濯を回して父の仏壇の水をかえた。姉はバイトに出ていていなかった。

 

 ──お父さん。わたし、がんばるからね!


 翌日はひよりも一日バイトなので今日中にプリントを仕上げて週明けには雪花に確認してもらうつもりだ。仏壇に手を合わせると、慣れないパソコンの前に戻る。あくびが漏れたが寝るわけにはいかなかった。

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