第5話

 クラスでリコという名前は一人だけだった。

 星斗ほしとは座席表で名前と顔を確認したあと、休み時間に教室のうしろでたむろしている集団の前に立った。


「あんたが雲出くもず玲央れおと知り合いのリコちゃんであってるか?」


 お喋りに興じていた五、六人の生徒が一斉に星斗のほうを見た。クラスでも目立つ集団で普段喋ることはほとんどない。視線は次いで腕を組んで壁に寄りかかっていた小柄なショートへアの生徒に移された。

 リコは友人たちに手を上げて場を抜けると、星斗を廊下に連れ出した。


「……何の用?」

「昨日、雲出から話を聞いた。あんたが一緒にバンドをしてるって」

永尾ながお莉子りこね、私の名前。一年の時も同じクラスだったけど……烏丸からすま君」


 莉子はぶっきらぼうに言った。そばかすの浮かんだ頬に小づくりな顔立ちは一見して印象に残らないが、見上げてくる視線は溌剌として意思の強さを滲ませている。

 文系の選抜クラスは二年時もほとんど入れ替わりがないにもかかわらず、星斗がクラスの半数以上の名前と顔を覚えていないことを見通しているようだった。


「ああ、そうなのか。それで、準備会の発表に協力してくれるって話を詳しく聞きたい。雲出からも聞いたけどよくわからなかった」


 非難されたところで星斗は痛くもかゆくもなかった。莉子はため息を吐くと諦めたように話し始める。


「あー……だから、私は新しい部を作りたいけどまだ人数が足りなくて部活として申請できないんだ。言っとくけど今ある軽音部より実力はあるつもり。私も玲央も中学からずっとやってるからね。それで部活紹介には参加できないから、いっそ準備会と一緒になんかやらせてもらえればって。それだけ」


 玲央の話よりはるかにわかりやすく簡潔だった。要は星斗が舞台で使えるアイテムがひとつ増えたということだ。


「なるほど。確かに面白いかもしれない。俺は脚本に打ち込みたいから正直部活紹介自体はどうでもいいんだ。あんたと雲出がいいなら願ってもない話だ」


 星斗にとっては奇特なやつらが人集めに協力してくれるというなら好都合だった。面倒な仕事が一気に解決するかもしれない。


「でも、私たちにできるのは簡単なライブくらいだ。せっかく一緒にやるなら両方に人が集まるように工夫しないといけないだろ? その辺は任せてもいいの?」

「ああ。俺から椿原……会長にかけあってみるよ」


 星斗は相手の気が変わらないうちに話を進めたかった。何をするか具体的な案が思い浮かんだわけではないが、どうせ煮詰まっていたのだ。それにバンドと映画を掛け合わせるのはわかりやすくキャッチーである──全く好みではないが。


「ふーん……じゃ、お願いするわ。でも本当にいいの?」

「なにがだ?」

「私たちが参加したら人は集まるかもしれないけど……場合によっちゃ新入生の奪い合いになるよ」


 莉子は組んだ腕を指先で叩いている。

 確かに合同で企画するのならその可能性はある。あらかじめルールを決めておく必要はあるだろう。


「ふん、たいした自信だな。既存の部活に喧嘩を売るだけある」


 星斗は鼻で笑いながら皮肉に答えた。

 なぜ軽音部がすでにあるのに新設しようとしているのか、玲央からは聞いていない。事情があるのだろうが星斗には興味がなかった。


「……あんた、そんなやつだったんだ」

「どういう意味だ?」

「大人しい優等生かと思ってたけど、勘違いしてた」


 莉子に意外そうな口調で言われて、星斗は舌打ちを返す。くだらない戯言にかかずらっている時間はない。


「勝手に人を印象で判断するな」

「……悪かったね。話はそれだけ?」


 短い休み時間はあっという間に終わろうとしていた。教室に戻ろうとしている莉子を星斗は呼び止める。


「来週の火曜日の放課後、玲央と一緒に準備会に来てくれ」


 莉子はわかったというように手でオーケーサインを作ると、踵を返した。



 ***



 夜、星斗がプロットの構成に悩んで階下に降りていくと、縁側に水耕栽培のポットが並べられていた。星斗の二番目の姉・みなみの仕業だった。


「動かさないでね」


 居間にいた南からすかさず声が飛んでくる。星斗は適当に返事をしてそばを通り過ぎると、両親の部屋へ襖の外から声をかけた。


「母さん、じいちゃんに電話してもいい?」

「いいけど……まだ起きてるかな」


 ざっと音を立てて襖があく。母は時計を見ながら首をひねっている。

 時刻は二十時を回ったところだった。母方の祖父は早寝なのでぎりぎり起きているか微妙な時間ではある。


「明日じゃだめなの?」

「脚本の相談がしたいんだ。そろそろ本格的に書き始めないと間に合わない」


 母はため息をついて、じゃあ電話してみたらと言った。星斗が言い出したらきかないことを知っているからだ。

 星斗はさっそく家の子機から電話をかけた。祖父はスマホを使わないし、相手がわかっている電話にしか出ない。しばらく呼び出し音が鳴ったあと、祖母が出た。祖父が起きていたら代わってほしいと伝える。


「じいちゃん、ごめん遅くに」

「ああ……どうせお前のことだから映画だろう」


 話が早い。祖父は若い頃にカメラマンとして映画制作の現場に携わっていたことがある。無類の映画好きでもあり、星斗が脚本家を志すようになったのも祖父の影響が大きかった。


「うん。今、構成に悩んでる脚本があって……じいちゃんだったらどうするかなって」


 星斗は雪花にダメ出しされたプロットについて話した。恋愛云々のアドバイスは置いておいても、何か足りない気はしていた。祖父はしばらく黙って星斗の話を聞いたあと、こう答えた。


『……昔、行き詰まったときは脳みそを別の場所へやるという人がいたよ』

「別の場所?」

『ああ、どこかの監督だか脚本家だか……考え続けても答えが出ないときは一旦こだわっている問題から離れて、流れに身を任せてみることも必要だと。そうすると別の場所へやっていた脳みそが自然に答えを見つけて帰って来るらしい』


 星斗は居間から座布団を持って縁側に移動する。いつもここで考え事をする癖がついているので集中するためだった。祖父の話はわかるようなわからないような微妙なニュアンスを含んでいる。


「その間、体はどうするの? 流れってなに?」


 星斗は小さい子どもに戻ったような気分で祖父に質問を重ねた。昔この家に祖父母が住んでいた頃、そうしていたように。


『体は好きなことをすればいい。なにかまわりに面白そうなことがあるだろう? 流れを探して飛び込んでみるんだ。流れっていうのは星斗のまわりにある新しい人や出来事のことだ。普段やらないようなことでもいい』

「じいちゃん、占い師に転身したの?」

『はは、それじゃあな。おやすみ』


 それだけ言うと電話は切れた。祖父は早く寝たくてけむに巻いたとしか思えない。星斗はしばらく等間隔に並んだ球根とともに、祖父の言葉の意味を考えていた。


「見て、父さん。星斗、あそこでじっとしてると頭から芽が出そうじゃない?」

「そうだなぁ」


 居間から南と父親の呑気な声が聞こえた。



 ***



 翌週の火曜日の放課後、準備会の塔に入ると頭上からかすかに歌声が聞こえてきた。星斗は暗幕で隠された通路から階段を上ると、ドーナツ状のバルコニーに出る。


 向こう側に雲出玲央が立っていた。バルコニーは石づくりの古めかしい壁をくりぬくように新しい窓が囲んでいる。一応カーテンはついているのだが、普段は採光のために開けられていた。

 いつ来ても奇妙な空間だった。


「おい」


 呼びかけるが、窓のほうを向いている玲央は気づいていない。ヘッドホンをしているせいで声が届かないのだ。仕方なく、バルコニーを歩いて後ろから肩を叩く。玲央は飛び上がるように背中を震わせて振り向いた。


「あ、あ! す、すみません……!」

「よくここがわかったな」


 この場所は普段使われていない。入口もわからないように暗幕で隠されている。先日一度来たきりの玲央がいて、驚いたのは星斗のほうだった。


「す、すみません! あの……会長さんに上ってもいいって言われて……」

「別にだめとは言ってない」


 星斗は発言の愁傷さの割に大胆な行動をする奴だと再度思った。よく見ると、玲央はクロッキー帳になにか描いていたらしい。抽象画のような不思議な絵だった。星斗の視線に気づいた玲央は頬を赤らめた。


「こ、ここから見える景色が、いいなって……」

「景色?」

「は、はい! あの、窓のところから光が入ってきて、それが地面に落ちてるのを見下ろせるのが」


 星斗は鼻を鳴らす。同感だった。


「あ、リコちゃんちょっと遅れるみたいで……し、下降りた方がいいですか?」


 クロッキー帳を閉じて胸に抱える玲央に星斗はひとつ息をついてから言った。最近出会った新しいもの──。


「取材させてくれないか?」


 玲央がゆっくりと首を傾げている。星斗はその口が開く前に言葉を重ねた。


「あんたらが部活紹介で集めた部員を何人取っていこうが構わない。その代わり、一時的に準備会に所属してミニフィルムを撮らせてほしい」

「……そ、それって、映画に出演するってことですか?」


 明らかに戸惑っている玲央に星斗は頷いた。星斗が祖父の助言を得て、三日間考えて出した答えだった。

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