第2話

 入学式当日、益子ますこ紅太郎こうたろうは体育館の前で新入生にビラを配っていた。大きな声で呼びかけながら手あたりしだいに渡すとだいぶはけた。このあと、一年生は教室に入って最初のホームルームだ。

 暇になった紅太郎は校内をぶらぶらしたあと、渡り廊下に出た。今日は入学式だけで紅太郎のような部活勧誘のある生徒以外は休みだった。


 ──これで入ってくれるといいけどな。


 ビラ配りの効果がどのくらいあるかわからない。やらないよりはやったほうがという理由で名乗り出たものの、正直去年は受け取ったビラを見た記憶すら曖昧だった。

 部活動を紹介するステージは一か月後に控えているが、そちらは星斗ほしととひよりが頭を悩ませている。なにせ三人しかいないのでやれることにも限界があった。


 ──本当は俺が、役者できればいいんだろうけど……。


 ただ、あまり大勢の人前には立ちたくない。紅太郎は中学の時に所属していた陸上部で目立ったために先輩から怪我をさせられる羽目になった。

 そのことは星斗も知っているので紅太郎が俳優をしたがらないことを一応は納得してくれている。


 ──あんとき、ひよりさんにもそう言えばよかった。


 俳優が嫌な理由をきかれて咄嗟に答えられなかったのは、夢の記憶を引きずっていたからだ。中学の陸上部は関係なく、もっと昔の──星斗も知らない頃の話だ。


 ──なんで、今さらあんな夢……。


 夢の中で、紅太郎は草木の生い茂った荒れた廃墟の庭にうずくまっている。夏の夜でびっしょりと汗をかきながら、一心に土を掘っていた。


『早く、埋めないと』


 幼い紅太郎は一途にそう思いつめている。傍らにある黒いかたまりが何かは怖くて見れなかった。見てしまったらもうおしまいだ。早く、埋めて見えなくしなければ──。


 紅太郎は首を振って夢の記憶を振り払った。その時、頭上からかすかに人の声が聞こえた。


 ──歌声?


 耳をすまして風に乗って途切れ途切れに聞こえる音を拾う。どうやら屋上で誰かが歌っているらしい。

 そういえば、ひよりが屋上を気にしていたことを思い出した。

 紅太郎は急に寒気がした。トリス学園は創立して十年ほどの新しい学校なのに、不思議と怪談話が多い。準備会で使っている塔もいわくつきだった。


 ──まさかな。


 きっと紅太郎のように暇を持て余した生徒がいるのだろう。しかし、気にしないようにすればするほど歌声が耳について離れなくなってくる。

 三階の渡り廊下から屋上はすぐそこだった。紅太郎は吸い寄せられるように二年生の教室がある校舎へ入ると、階段を上っていった。


 屋上へ続くドアが少し開いている。やはり誰かいるのだ。紅太郎は幽霊の仕業ではなさそうなことにほっとしながら、今度は別の疑問が頭をもたげた。


 ──誰だ?


 ドアを開けて屋上に出た。春らしく曇った空なのに、コンクリートがわずかな陽光を反射して妙にまぶしかった。紅太郎は目を細めながら歌声の主を探す。これで誰もいなければホラーだったが、制服を着た白い頭の生徒がフェンスの前に立っていた。

 声量があるわけではないのに、高く伸びやかな声はどこまでも広がっていくようだ。


 紅太郎は足音を忍ばせて後ろ姿に近づいていった。途中で止めるのも悪い気がしたからだ。一定の距離まできて、足を止める。しばらく聞いていると、高低差のある歌らしく声を使い分けていることがわかった。

 低い声は独特のかすれ声でふたつの音が合わさって不思議に魅力的な歌になっている。

 

 ──なんの歌だろ。知らないけど懐かしい感じがする……。


 時間を忘れて聞き入っていると、声が途切れた。紅太郎は我に返って話しかけようと口を開く。


「あの」


 相手は首を傾げるように左右に振ったあと、ゆっくりした動きで振り返った。長い前髪が目元を覆っている。背は紅太郎より少し低く、全体的にひょろ長い印象だった。脱色に失敗したような白黒まじりの髪の毛の間からのぞいた目が驚きに見開かれる。


 ──新入生がなんでこんなところに?


 ブラウスの校章の色を見て、紅太郎が再び口を開こうとした時だった。相手が髪を振り乱して二歩分の距離を一気につめてきた。


「こうちゃん!」

「え?」

「こうちゃんでしょ? ぼ、僕だよ。雲出くもず玲央れお! 小学校が一緒だった……覚えてない?」


 混乱する紅太郎を置いて、早口にまくしたてられる。肩に掴みかからんばかりの勢いだった。紅太郎は相手の腕を引き剥がしながら慌てて距離をとる。


「ちょっと待てって! 誰?」

「そ、そっか……転校する前のことなんか、お、覚えてないか……」


 相手がしゅんとしてしまったので、紅太郎は焦った。必死に記憶を探る。転校する前ということは、こっちに引っ越してくる前の知り合いか。

 紅太郎は髪に半分隠れた顔をまじまじと見つめた。やっと目が合ったと思うとすぐに逸らされる。

 さっきの勢いはどこへいったのか、歌声とのギャップが激しすぎる──などと考えていると、何かが記憶の端に引っかかった。恥ずかしそうに伏せられた目線と喋り方に覚えがある。


「あ! レオか⁉」

「お、思い出してくれた⁉」


 途端に明るい声になって紅太郎の手をとると、飛び跳ねるように体を揺らした。高校生にしては幼い仕草に困惑しながらも、ひとつ思い出すと次々と記憶がよみがえってくる。


「えーまじかよ。だいぶ変わっててわかんなかった」

「えへへ……あ、あれかな。髪染めたから……」


 雲出玲央は紅太郎が引っ越す前に住んでいた新興住宅地で一緒だった。その辺りの子どもはみんな歳が近くて、複数人で遊ぶことが多かったから思い出すのに時間がかかった。

 

「そっか。でもそれだけじゃなくて、なんか変わったよ」


 髪も印象の変化に一役買ってはいるが、当時の玲央は臆病でいつもびくびくしていた。よく紅太郎の服の裾を持って泣きながら後をついてきた。活発な子どもが多くて無茶な遊びをすることもあった。


 今の玲央はその頃からすると、背も伸びたし堂々としている気がする。


「そ、そうかな……でもうれしい! こ、こうちゃんに会えるなんて……」

「うん、俺も」


 落ち着いてくると、紅太郎も段々と旧友に再会した実感がわいてきた。


「でも、なんでこんなとこにいたんだ?」

「えへへ……なんか迷っちゃって。それに、ここ気持ちよさそうだったから」


 新入生は教室でホームルームを受けているはずだ。こんなところにいて大丈夫なのか聞いたつもりの質問には呑気な笑顔が返ってきた。紅太郎はなんだか気が抜けてしまう。


 ──こんなやつだっけ……?


 なにせ十年ぶりの再会だ。幼い頃に遊んだ玲央だという確信はあっても細かい人柄まで思い出せたわけでもない。それに十年あれば性格が変わる出来事があっても仕方ないだろう。

 紅太郎は浮かんだ違和感を追い払った。


「歌ってたよな?」

「う、うん。誰もいないと思って……恥ずかしいな」


 玲央は照れたように頭をかいた。


「きれいだったよ。あんな歌うまかったんだな」

「ぼ、僕、今アマチュアバンドでボーカルやってて……」

「へー! すご」


 紅太郎が感嘆の声を漏らすと、玲央は激しく首を振った。長い前髪の隙間からのぞいた目が一瞬合い、すっと下に逸らされる。


「す、すごくないよ! 知り合いの人がやってて……と、トリスもその人に誘われて入ったんだ」

「そうだったんだ。すごい偶然だなぁ」


 急な引っ越しで、紅太郎は友人たちと連絡先を交換する暇がなかった。東京に来てからは新しい環境に慣れるのに忙しく、しだいに思い出すこともなくなった。

 それが同じ高校で、こんな形で再会することになるとは──紅太郎が昔の夢を見たのも虫が知らせたのかもしれない。


「う、うん」

「家、遠いよな。寮?」

「そ、そう!」

「へーじゃあ今度遊びに行っていい?」


 紅太郎が言うと玲央が固まった。学校の近くにある寮には友だち同士で気軽に行く生徒も多いので何気なく口にした言葉だった。


「ごめん。急すぎた?」

「う、ううん! 全然! い、今から来る?」

「え? いや、さすがに今からは……」


 打って変わって性急に尋ねられて、紅太郎は笑ってしまう。それを見た玲央も笑った、ように見えた。なごやかな空気の中で、紅太郎は「あ」と声を出す。


「そうだ。俺、今こういう部活みたいなやつに入ってて……レオはバンドやるなら忙しいかもしれないけど、誰か興味ある人いたら渡してくれない?」

「……映画準備会?」


 玲央は紅太郎が渡したチラシを食い入るように眺めている。


「トリスが卒業制作で映画撮るのは知ってるよな? それをフォローするのが映画準備会なんだけど、二年生が少なくてさ。三年が引退したから新入生が入らないとやばくて」

「そ、そうなんだ……大変だね。こうちゃんは何をしてるの?」

「ん? 俺は撮影係。今のところは」


 時計を確認すると一年生のホームルームがもうすぐ終わる時間だった。チャイムが鳴ったら校門へ出てビラ配りの続きをしなければならない。

 

「部活紹介もなにやるか決まってないくらいなんだけど……上級生が少ないから圧がなくてそこはオススメ」


 玲央はホームルームの間、ずっと屋上にいた──トリス学園は自由な校風だがそれにしたってしょっぱなからサボってよかったのか。紅太郎は心配になったが、今さら戻るのも気まずいかと口にするのはやめた。


「ま、何枚か渡しとくから適当に寮の人とかに……」


 紅太郎は自分で言っておいて、先輩が少ないのは隠れたアピールポイントかもと納得していた。ひよりは親しみやすい性格だし、星斗は脚本ばかりで他に興味がない。

 せっかく一年生に旧友がいるという偶然に恵まれたのだ。玲央から何かの縁が生まれることもあるかもしれない。


「こ、これって……ぼ、僕が入ってもいいやつ?」

「え?」


 玲央が言った瞬間、チャイムの音が鳴った。

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