トリス学園映画準備会~サブストーリーに恋愛は必要か~

丘ノトカ

第1話

 新学期が始まったばかりの早朝、烏丸からすま星斗ほしとはトリス学園の敷地の端に建っている奇妙な塔の中にいた。所属する映画準備会の前会長である北山きたやま雪花せつかと会う用事があったからだ。


「プロットとしては悪くないと思う」


 雪花は持っている数枚の用紙をめくりながら言った。天井の高いがらんとした円形の空間に落ち着いた声が響く。


「今までの卒業制作にはない題材だし、キャラクターもそれぞれ意外性があって、ストーリーもちゃんとしてる」


 星斗は眉間に寄せていた皺を少し緩めた。


 ──当たり前だろ。


 トリス学園には映画制作という特殊な課外授業があり、卒業時に三年生全員で映画を完成させることが必修になっている。将来的に映画業界や芸能界を目指すかどうかは生徒によってさまざまだが、星斗はただひとつ脚本家になるという目的のためだけに入学した。

 卒業制作用の脚本はエントリー制で全生徒が参加でき、最終的には夏休み明けの校内投票で選ばれる。という制度を今年から整えたのが目の前にいる前会長の雪花だった。

 

 二年生になったばかりの星斗はこの半年で脚本を仕上げるべく雪花の助言を受けに来た──わけではなく、脚本の内容に関して雪花の許可を得ないとならない事態が生じたために仕方なくプロットを見せていた。

 だから現在、指導されるような状況にあるのは甚だ不本意だった。

 それでも褒められるのであれば悪い気はしない。雪花とは一年時に色々あったとはいえ、映画制作に関しては誰よりも冷静で的確な目を持っているのは確かだった。


「……でも」


 雪花はそこで言葉を切ると、睫毛の濃い切れ長の目でひたと星斗を見つめた。


「何かが足りない」

「何かってなんだよ? 前みたいに暗い話でもないし、ちゃんと高校生の明るい青春を意識した。ベタな構成ではあるけど、新しい題材を扱いながら過去の卒業制作にも沿った形になってるはずだ」


 前回──星斗がトリス学園に入学してすぐに提出した脚本はとある事情でボツになった。その後、星斗は過去十年間の卒業制作をもう一度見直した。入学前にも全て目は通していたがどれも素人に毛が生えた程度の駄作ばかりだった。

 しかし、高校生の卒業制作でどういった題材が好まれるのかという視点は必要だ。実際に投票で選ばれなければ制作までたどり着けない。うまく折衷案を落とし込んだつもりの星斗に、雪花の言葉はあまりに抽象的で無責任に聞こえた。


「それはそうなんだけど……」

「はっきり言えよ」


 星斗はプロットに目に落としたまま言葉を濁す雪花に苛立ちを隠せない。会長だった時は腹のうちはともかく、もっと端的でわかりやすい物言いをしていた。


「うーん……例えばだけど、サブストーリーとして恋愛要素を入れてみるのはどう?」


 そう言われた瞬間、星斗の失望は決定的なものになった。


「まさかアンタにそんなアドバイスをされるとはな」

「そう?」

「会長を引退して頭にカビでも生えたのか?」

「ふふ、そうかもね」


 三年生は新学期が始まってすぐに撮影に入る。元会長として率先して撮影を指揮し、かつ受験勉強も並行してやらなければならない雪花が忙しいのは承知していた。

 星斗は憐みさえ覚えながら、朝の貴重な時間が無駄になってしまったと肩を落とした。


「まあでも前向きに検討してみて。今年は色々と制度が変わって大変でしょうけど……応援してる」


 星斗の落胆をよそに、雪花はうそぶいた。


「私もできるかぎり協力するつもりよ。正直あなたのお手伝いよりひよ……ごほんっ、椿原つばはらさんのフォローをしたいんだけど。とにかく、このままの脚本ではあなたのお願いは聞けない」

「誰のおかげでこんな目にあってると……」

「なにか言った?」

 

 星斗は思わず舌打ちをする。

 しかし、他にツテがないのだから仕方なかった。この脚本を面白くするためには絶対に必要な配役だ。雪花の仲介がないとその役を打診するのは難しかった。


「無理に許可を得る必要はないでしょう? 私はあなたの言う通りもう会長ではないのだから。その脚本に私が必要だから読んでもらうために呼び出したのよね」


 雪花はわかっていて星斗に圧をかけている。一年時からまったく底意地の悪さは変わっていない。心労をおもんぱかって損をした。


「ああ、そうだ。だからさっさと俺の脚本に足りないものを教えろ」


 思い通りになるのは癪だったが、雪花を頷かせなければ前に進まない。もう一度問うと、雪花は無言で星斗を見つめたまま黙っている。数秒間、二人のにらみ合いは続いた。


「……わかった。また直して持ってくる」

「よろしく」


 先に根負けしたのは星斗のほうだった。雪花はプロットの書かれた用紙を星斗に返しながら微笑む。


「よく考えてみて。あなたにとって最後のチャンスなのだから」


 星斗は乱暴に雪花の手から脚本をひったくると、踵を返した。不親切な先輩に対して礼儀を払う必要はない。


「最初のチャンスだ」


 それだけ言い捨てると、星斗は朝の光が窓から差し込む塔を出ていった。



 ***



 同じ日の朝、一年生と二年生の校舎を繋ぐ渡り廊下で椿原つばはらひよりは深いため息をついていた。隣に立っていた益子ますこ紅太郎こうたろうもほぼ同時に息を吐きだした。

 爽やかな朝に似つかわしくない競演をしてしまった二人は顔を見合せる。


「……なんかあった?」

「いやー今日、変な夢見ちゃって。ひよりさんこそどうかした?」


 ひよりはフェンスに背中を預けると、屋上を見上げた。つい探してしまう人物の姿は当然ながらなく、再びため息をついてしまう。


みどり先輩から全然連絡がこなーい!」

「あー……そっち?」


 紅太郎が意外そうに言った。川瀬かわせみどり以上に気にかける存在などあり得ないひよりは思わず声を荒げる。


「そっちって何⁉」

「いや、てっきり準備会のことかと……」


 高い背を屈ませて紅太郎は頭を掻いている。

 ひよりは今年からトリス学園映画準備会の会長になった。前会長の雪花から指名されたからだが、現在準備会に属している二年生は三人しかいない。ここにいる紅太郎とひより、そして烏丸星斗である。


「それはもう大変すぎて考えないようにしてる。ていうか、紅太郎君も無関係じゃないからね⁉」

「わ、わかってるよ……」

「ほんとにー?」


 ひよりは雪花の人選に納得できていなかった。星斗は人格的に問題があるとしても、紅太郎が会長になる選択肢もあったからだ。

 ひよりが準備会に入ったのは川瀬碧という先輩のためだった。その碧はすでにトリス学園を退学し、海外にいる。碧のいない今、ひよりは準備会の会長に意味を見出せず、つとめられる自信もなかった。


「大丈夫だって! ちゃんとビラも作ったし、勧誘はまかせといて」

「……期待してる」


 大任を免れた紅太郎が元気づけるように言った。よく通る声があたりに響き渡る。今日は自主登校で周囲に生徒の姿もないが、隣にいたひよりは耳を押さえた。

 そもそも三年生が引退して三人しかいない準備会は運営もままならない現状だ。今年入学してくる一年生をできる限り多く獲得するというのが目下の課題だった。入学式後のビラ配りと一か月後にある部活紹介が肝になる。


「今年入らないと、紅太郎君は俳優部門決定だからね」

「いや、ガチでそれだけは勘弁してください……」


 ひよりは隣に立った紅太郎を見上げる。秀でた額に垂れた目元、声が大きく背の高い紅太郎は役者にうってつけだ。一年生の時もそう言われていたのに頑なに拒否していた。


「なんでそんなに嫌なの? 去年の合宿の発表、よかったのに」


 紅太郎は昨年の夏季合宿でひよりと碧と共に小演劇を披露した。最初は緊張していたが徐々にペースを掴んで──経験者の碧がいたことも大きかったが──堂々と演技していたように見えた。


「無理無理無理」

「脚本が星斗君に決まっても?」


 星斗の名前を出した途端、紅太郎の笑顔が引きつった。何気なく口にした言葉が琴線に触れたらしい。


「あ、ごめん。ちょっとふざけすぎた」

「いや、こっちこそ……それで、川瀬先輩からどれくらい返事ないの?」


 紅太郎は露骨に話を逸らした。ひよりは十中八九ため息の原因は星斗だろうと察したが、深く追求はせずに話に乗った。手元のスマホで碧とのメッセージの履歴を辿る。


「えーと……最後に連絡したのが三月二日だ」

「ほぼ一カ月前か」


 紅太郎の言葉に追い打ちをかけられてひよりは再びフェンスの上に突っ伏した。碧からろくに返事が返ってこないことには慣れていたが、落ち込んでいるのには訳があった。


「でも碧先輩、雪花先輩には返事してるんだー……」


 先日、準備会の引継ぎのために雪花と会った。碧がどうしているのかという話が出て、やけに詳しい雪花に問いつめるとあっさり連絡を取っていると答えられた。


「そりゃ、わたしなんかが先輩たちの仲に敵うわけないんだけどさ……落ちこむよね」


 校舎の間を吹き抜けた突風がひよりの髪を乱した。春めいてきたとはいえ、早朝の空気は冷たい。碧にヘアアレンジを褒められたこともあったというのに、最近はやる気も起きなかった。


「うーん……まぁ、忙しいんじゃん?」


 紅太郎の言う通り、碧は向こうで学校に入学する手続きを取っている最中らしく──それも雪花に聞いた話だった──忙しいのは本当なのだろう。ひよりだってそんなことはわかっている。ただ連絡するのを我慢していたのに、という思いもあってショックを受けていた。

 ひよりはうめきながら、再度屋上を見る。いつでも碧の姿を見れた日々は遠く、こんな気持ちになるならもっと目に焼きつけておくんだったと後悔した時だった。

 ふと何かの影が動いた気がした。


 ──誰かいる?


 ひよりはフェンスに足をかけて首をのばした。さっき動いたと思った影は跡形もなく、話し声なども聞こえない。


「どうした?」

「え? ううん、なんでも……」


 やっぱり気のせいだったかも、と足を降ろす。自由登校だから誰かいてもおかしくはないのだが、よく考えると屋上へ出る扉は通常の登校日以外閉まっているはずだった。


「よかった。川瀬先輩の幻でも見てんのかと」


 ひよりはふざけて言う紅太郎を軽く睨んで、話を最初に戻した。


「で? 紅太郎君は?」

「え?」

「夢くらいで落ち込むなんてらしくないじゃん。なにかあったんじゃないの?」


 ひよりは星斗のどこがいいのかはいまだに全くわからないが、よき相談相手である紅太郎のことは応援していた。

 

「あーいや、ほんとなんもないよ。変な夢でちょっと自己嫌悪っていうか……」

「星斗君のことじゃないの?」

「うっ」

「わかりやす」


 朝の光に照らされた紅太郎の目の下にはうっすらとクマが浮かんでいた。いつも十時間くらい寝てすっきりした顔をしているのに珍しい。よほど嫌な夢だったのかと今更心配になってきた。


「まー夢だし。あんまり気に病まなくていいんじゃないの?」

「いや、そういう意味での変な夢じゃないよ⁉」


 何を勘違いしたのか慌てて否定する紅太郎と顔を見合せる。一瞬停止したあと、ひよりは我慢できずに吹き出した。紅太郎は真っ赤になってフェンスに顔を伏せた。


「仕方ない、仕方ない……」


 ひよりは呪文のように慰めの言葉を口にしながら、紅太郎の肩を叩く。憂鬱だった気分が少し和らいでいた。もう一度屋上を振り仰いだが、晴れた空が広がっているばかりで怪しい影は姿かたちもなかった。

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