18.傷つけるもの

 ――エンケに、この部屋を使っていいよと、一室に通された。ベッドが二つある部屋。

「君達のように稀に『街』から旅人が来るからね、その人達のための部屋なんだ……私は答えが出るまで待つから」

 ……結局シュメルヴィは、答えを出せなかったのだ。

「このために来たのにね」

 ベッドに腰を下ろしたレクサルを見れば、優しく微笑んでいた。

 けれどももうわかったのだ――この笑みは心がないから、気持ち悪く感じていたのだと。

 しかし、レクサルの言うことはもっともで。

「……わかってるけどさ」

 シュメルヴィはベッドに倒れ込んだ。柔らかな毛布に、身体が沈み込む。

 ――心、か。

 エンケの話を、思い出す。

 心。影響を受けるもの、また与えるもの。

 心があるから、いままでの当たり前に変化が起きた。

 確かにそのせいで、嫌なこともあった――『街』にいて、苛々してしまったり、レクサルの言動に腹を立ててしまったり。

 それでも。

 美しいものにも、気付くことができたのだ。

 あの感覚を、もう味わえないなんて。

 ――レクサルに言っても、伝わらないんだろうな。

 そう、毛布に顔を埋めて、シュメルヴィは思った。少し悔しかった。

 レクサルも、感じられたのなら、いいのに。この思いを共有出来たらいいのに。

 けれども、もう、レクサルの心は、星は、ないのだろう。

 エンケは言っていた――十五歳になるまでに、星は落ちてしまうのだと。

 レクサルはもう十五歳だ。一足先に十五歳になった。だからこそ、この旅に同行できた。

 ちくり、と。

 胸に痛みを感じた。

 レクサルと思いを共有できない――そのことが心に、星に影響を与えているようだった。

「シュメルヴィ、早く決めて、早く帰ろうね。僕達、仕事があるんだから」

 レクサルはそう急かす。やはり、わからないのだろう。

 でも、と、レクサルは口を開いた。

「でも……無事に『村』に着けて、よかったね。色々あったね」

「……そうだね」

 そうは、思ってくれるらしい。

 そのことに関して、思っていることは同じようで、シュメルヴィは溜息を吐いた。

 ――心がなくても、会話はできるし、同意はできる。

 しかしきっと、真にわかりあえることなんて、ないのだろう。

 ふと、そう思ってしまう。

 ――それは、レクサルが親友故だろうか。

 と。

「ふざけんなよ!」

 まるで、この穏やかな空気を切り裂くような怒鳴り声が外から響いてきたのは、その時だった。空気が震える様な声。心の響きを、壊すかのような声。

 反射的に、シュメルヴィは窓の外を見た。レクサルもそちらへと顔を向ける。怒鳴り声は、外から聞こえた。まだ幼く、高い声だった。

「……何だろう」

 胸の中でもやもやが渦巻くのを、心が騒めくのを、シュメルヴィは感じた。とても嫌な予感を感じた。それでも、窓の外を見ようとしたのは、心のせいだろうか。

「子供の声だったね。喧嘩だと思うよ」

 レクサルは何ともない様子で言う。

「大変だよね、子供は」

 それでも、シュメルヴィは窓の外を見た。自分の目で、確かに見た。

 ――レクサルの言った通り、どうやら子供が喧嘩しているようだった。このエンケの家の近くで、まだ十歳にもなっていないだろう男の子が、別の男の子を睨んでいる――。

 その目に、シュメルヴィは息が止まってしまった。

 ひどく、怖くて。怒りに満ちていて。

 ――目をそらしたくなった。

 だが、見てしまった。

 ……その男の子が、手を振りあげ、向かい合う男の子を、殴った、その瞬間を。

 シュメルヴィは悲鳴すらも上げられなかった。男の子が手を振り下ろした瞬間、まるで自分が殴られたかのように、びくりと震えた。

 殴られた男の子は、地面に倒れた。少しして、彼は声を上げて泣き始める。その、苦しそうな声。それも胸に刺さってくるようで、シュメルヴィは一歩、後ずさりした。それでも窓辺からは離れきれない。そのやりとりから、目を離せない。

 ――怖かった。

「――おおい、コプフ! 何をやってるんだ!」

 そして聞こえてきたのは、エンケの半ば怒鳴ったような大きな声。家からエンケが出てきた。倒れたまま、泣いている男の子へと駆けよれば、抱きしめる。

「よしよし……オルバーサ、痛かったな……」

「俺は悪くないもん! オルバーサが悪いんだもん!」

 と、コプフと呼ばれた殴った方の男の子は叫ぶ。その声は、耳に痛いほどだった。

「オルバーサ、俺の言うこと聞いてくれないんだもん! 俺のこと馬鹿にしたんだもん!」

「そんなこと……してない! 先にコプフが僕を馬鹿にしたんだよ、エンケ!」

 泣きながらもオルバーサが反論する。そこへ、エンケ以外の大人も集まって来た。落ち着けと、子供をなだめ始める。

 それでもコプフは怒りと苛立ちの声を上げていた。オルバーサは泣いていた。

 ――シュメルヴィは、身体を縛っていた糸がやっと解けたかのように、ベッドへ逃げた。

「シュメルヴィ?」

 レクサルに名前を呼ばれても、気にしない。ベッドに飛び込めば、毛布を頭に被った。

 子供の声を、聞きたくなかった。

 ――心は時に、攻撃的になる。

 そのエンケの言葉を思い出していた。

 心は影響を受けるもの、与えるもの。いいものを感じ取れたり与えられたりするが、いいものだけではないのだ。

 ――ゲイルを突き飛ばした時のことを、思い出していた。

 ――レクサルがダークムーの巣穴に落ちた時のことを、思い出していた。

 ――ダークムーに食べられて死んでしまったピオニーのことを思い出していた。

 今度、何かあれば。

 次こそは、人が死ぬかもしれない。

 ――自分のせいで。

 心地よかった心は、まるで刃物のように自分に刺さっていた。自分を貫いた刃物。動けばその切っ先が動いて、他人を傷つけるような鋭さ――。

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