14.『村』
『街』を出て、三日目。予定では、昼頃に『村』に着く予定だった。
けれども、一匹のピオニーに、二人で乗っているのだ、旅の行程は、遅くなった。昼休憩をする予定のオアシスに、予定を大分過ぎた頃に着いたほど、遅れていた。
旅の三日目は、シュメルヴィもレクサルも言葉を交わさなかった。シュメルヴィの後ろに、レクサルがいる。物理的な距離は近かったものの、何一つ、会話はしなかった。
レクサルが喋らないのが、シュメルヴィにとっては不思議だった。昨日はあんなにも喋っていたのに。今日も話したくないなんて、自分が言った記憶はない。レクサルは勝手に黙っているのだ。
少し、寂しい気がした。
それでも――背に、レクサルの温もりを感じていた。
レクサルは確かに、そこにいる。
だが振り返れば、レクサルはあの気味の悪い笑みを浮かべていて。
「――シュメルヴィ、今日は、元気がないね。とっても静かで、『星憑き』になる前みたいで……それもそれで、変な感じだね」
「……レクサルこそ、今日は静かだね」
シュメルヴィは逆に言い返す。レクサルは首を傾げた。
「そう?」
どうやら無自覚らしい。意識して黙っているようではないようだ。
だからこそ、更に不思議に思えて、シュメルヴィは首を傾げた。
――気付けば太陽が地平線に近付きつつあった。空が橙色を帯び始める。砂漠の熱くもなく冷たくもない砂も、その色に染まり始める。
『村』は、まだ見えない。
「……もうすぐ、『村』、見えてくるかな」
つと、レクサルが言った。
「『村』に着いたら、シュメルヴィはもとに戻れるんだよね? 『星憑き』じゃなくなって……言い合って無駄な体力を使うことはなくなるんだね」
その言葉に、シュメルヴィは苛立ちを覚えなかった。
それはいい、皮肉のように聞こえたのだ。
普段のレクサルなら、きっとそんなことは言わないだろうから。
「レクサルが冗談みたいなことを言うなんて、珍しいね」
思わずシュメルヴィは笑った。するとレクサルはまた首を傾げる――これも、自覚していなかったのだろうか。
なんだか今日は気分がいい。そうシュメルヴィは思った。橙色に染まっていく空を仰ぐ。
胸中にあったはずのもやもやがなく、代わりに心地いい風が吹いているような気がした。
深呼吸をすると、夕焼けの橙色が、身体の中に入ってくるようだった。
だからシュメルヴィは、ついピオニーを止めて、果実のように鮮やかな砂漠を見つめてしまった。
どこまでも続いているような夕焼け。永遠にそのままであるような気がする、この時間。
「……シュメルヴィ、旅の行程は、遅れてるんだよ? もうすぐで『村』なんだ、早く行こうよ」
レクサルに急かされる。けれどもシュメルヴィは、夕焼けを見続けた。
「……レクサルは、これが綺麗だって思わないんだよね」
そう尋ねて。
言われてレクサルはシュメルヴィの顔を覗き込む。それから沈み行く太陽を見つめた。
「……どこがいいの? 何とも、思わないけど」
――恐らくレクサルが何か感じるのは、あの星の落ちた音だけなのだろう。
そう、シュメルヴィは気がついた。けれども、言われてみれば。
「僕もどこがいいのかわからない……」
確かに、どこがいいのかわからないのだ。けれども綺麗に思えるのは確かだ。どうしても、惹かれてしまう。
まるで、星に憑かれる前の、星の音のように。
レクサルは、シュメルヴィがやっとピオニーを進めるまで、何も言わなかった。夕日に照らされたまま、シュメルヴィが動くのを待っていた。
やがてシュメルヴィは進み始める。太陽が半分以上、沈んだ頃に。太陽の沈む空と逆の空を見れば、夜が忍び寄ってきている。そして頭上を見れば、幾千もの星が、近付いてきていた。
――『村』はもうすぐだ。
どんなところであるかは、知らない。
しかしそこにたどり着けば、もう、もやもやしなくていいのだ。
ピオニーは夜に染まっていく空の下を、走る。
――そして。
「……何か、先に見えてきた」
すっかり暗くなった砂漠。その先に、光が見えてきた。星の光とはまた違う光。
「……あれが『村』かな」
レクサルがシュメルヴィの後ろから頭を出す。
ピオニーはくるくると鳴いて、光を目指した。光はどんどん大きくなってくる。そして見えてきたのは――小さな『街』のようなもの。囲いは木でできていて、柵のようだった。中が丸見えだった。明かりを灯した小さな家が、いくつも見える。
そして門も見えた。松明の火が煌々と燃えている、門。
ピオニーをその門の前まで進めて、シュメルヴィは止まった。降りれば、レクサルも降りる。
耳を澄ませば、『村』からは人の声が聞こえた。
その声は『街』とは違って、何か楽しそうな声だった。
これが『村』であっているのだろうか――シュメルヴィはしばらく、門の前に立ち尽くしていた。レクサルも『村』の中を慎重そうに見つめる。
と、門の向こうに、かわいらしい服を着た子供の姿一つが現れた。どこかに行こうと走っていたが、門の外のシュメルヴィとレクサルに気付けば、足を止める。そしてその子供は、まるでにらみ合うかのようにシュメルヴィと見合って、やがて人見知りを起こしたかのように『村』の奥に去っていってしまった。
「あっ……待って……」
慌ててシュメルヴィがそう声を上げたが、子供が振り返ることがなかった。
けれども少しして、その子供はもう一度門の向こうに姿を現した――大人の男、一人を連れて。三十代前半であろうその男は、紺色の服を着ていた。『街』では見たことのない、色鮮やかな服。彼はシュメルヴィとレクサルを見れば、門を潜って『村』の外に出てきた。
「やあ、二人とも! そのかっこう……『街』から来た人だね? ようこそ!」
男は、明朗な声でそう挨拶をして、目を細めて笑う。
――その笑みは、シュメルヴィにとって、初めて見る笑みだった。
『街』の人々の笑みとは違う。レクサルのものとも違う。
それは……いうならば、温かい笑みだった。
「ああ……」
思わずシュメルヴィは声を漏らした。
どこかで感じ取っていた――この笑みに、出会いたかったのだと。
この笑みが、欲しかったのだ。この温かさが欲しかったのだ。やっと、出会えた。
気付けば、シュメルヴィは涙を流していた。溶けた氷から、雫が垂れるように。
「どうしたの? どこか痛いの?」
レクサルが尋ねてくるが、シュメルヴィはぶんぶんと頭を横に振った。涙が、散る。
言っても伝わらないような気がした――本当の笑顔に会えたような気分だ、なんて。
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