13.許しの言葉

 日が、傾いてくる。世界が橙色に染まり始める。だが見つめている余裕もないまま、シュメルヴィは自身のピオニーにレクサルも乗せて、砂漠を進んだ。

 やがて空の橙色は、夜の色に変わる。その濃さに、砂漠の白い砂は輝いているかのように見えた。まるで、空の天の川を泳ぐかのように、ピオニーは進んで行く。

 けれども、人間二人を乗せたピオニーは、予定よりも速度が落ちる。だから二人が二日目の夜を過ごす予定のオアシスについたのは、夜になって、星が降り始めて、大分時間が経った頃だった。

 清らかなせせらぎが耳をくすぐる、オアシスのほとり。ピオニーから降りたシュメルヴィは、そこに座り込んでしまった。だがレクサルは、ピオニーから降りると、そのピオニーに背負わせていた荷物に手を伸ばした。

「僕のピオニーに背負わせてたテント、なくなっちゃったから、今日はこれを敷いて二人で寝よう」

 と、レクサルは敷物を取り出し、砂の上に敷いてくれた。

 ――それから夕食を摂った。レクサルは何とか助かったものの、ピオニーも、その背に背負わせていた荷物も、全てを失った。だからシュメルヴィは、自分の持っていた食べ物を分けた。予備は持ってきている、余裕はあるのだ。我慢する必要はない。

 それでなくても、シュメルヴィは食欲がわかず、少ししか食べられなかった。

 と、全く食べていないシュメルヴィに、レクサルが気付いた。

「シュメルヴィ、しっかり食べないと。君、確か朝もあんまり食べてなかったよね、お昼も、そんなに食べてなかった気がするし……よくないことだよ」

「……うん」

 そんなことは言われなくてもわかっている。だが――もやもやが、喉を塞いでしまっているような気がするのだ。

 何か、言わなければいけないような気がした。もやもやが、何か囁いている。

 果てにシュメルヴィは。

「――ごめん」

 顔を上げないまま、レクサルに謝った。

 ――黒い瞳からは、涙が落ちた。透明な、雫。星のように、勢いよくは落ちない。

「本当に、ごめん、レクサル……僕、あんなことになるなんて、思ってなかったんだ……ごめん……」

 ――自分が冷静でなかったから、レクサルをあんな危険な目にあわせたのだ。

 ピオニーの断末魔を、思い出す。

 もしあのまま、レクサルを助けられなかったら――レクサルはいま、ここにはいない。

 命を危険にさらした――親友を、殺しかけたのだ。

 シュメルヴィの身体は、気付かないうちに震えていた。その手で、涙を拭う。声を上げて泣きたかったが、それは抑えた。ただただ、申し訳なくて。きっと泣きたいのは、あんな怖い思いをしたレクサルの方であるのだから。

 だが、レクサルは。

 ――レクサルは、微笑んでいた。

「いいよ、僕は許すよ」

 そう、言う。まるで死にかけたなんて、なかったかのように。

 殺されかけたとは、思っていないように。

「でも、僕……僕のせいで……」

 それでもシュメルヴィは泣き続けた。けれどもレクサルは。

「謝ったから、いいんだよ。謝ったら許す、それが決まりでしょ?」

 ――決まり。

 全てが上手く回るための、『街』でのルール。

 はたと、シュメルヴィは泣くのをやめた。

 ――違う。

「……それは、許したって、言わないよ」

 シュメルヴィは頭を振った。

 そう、それは許したとは言えない。

 しかしレクサルは理解できないというように、首を傾げた。言葉も、なく。

 それを見て、シュメルヴィは胸が何かに締めつけられるような感覚に襲われた。

 許してほしい――そう思っているわけでは、ないのだ。

 いっそ――許してくれない方が、よかった。

「……でも、あの時、シュメルヴィ、不思議だったね」

 と、不意にレクサルが言う。

「シュメルヴィ、僕のこと、嫌いになったのかなと思ったけど……どうして僕を助けたの? 僕……君が子供みたいになったと思ってたから、もしそうなら、助けないと思ってた。だって子供は、嫌いな子供はとことん嫌いで、転んでも助けないもの……本当は、みんなで協力していかなくちゃいけないのが、決まりなのに」

 どうして助けたか、なんて。

 ――それ以外に、何ができたと言うのだろうか。

 レクサルは続ける。

「子供みたいだと思ったけど、全部が全部、そうじゃないんだね」

 ――違う。

 その言葉を、シュメルヴィは言いかけて、けれども呑み込んだ。

 言っても、レクサルに伝わらないような気がして。

 決して、助け合うのが決まりだから、親友は困った時に支え合うのが決まりだからと、『街』で教わったから、そうしたわけではない。

 単純に、レクサルを失いたくなかっただけなのだ。

 レクサルと一緒にいたかっただけなのだ。

 思うままに、当たり前のことをしただけ――。

 けれどもきっと、これは当たり前のことではないのだろう。

 しかし、ふと、シュメルヴィは思い出す。

「……レクサル」

 尋ねてみる。鎌をかけるように。

「……僕も不思議に思ったことがあるんだ……レクサル、どうしてダークムーの巣穴に落ちていく時、ピオニーを助けようとしたの……?」

 あの時、確かにレクサルはピオニーも引き上げてもらおうとしていた。そんなことをしている余裕はなかったというのに。下手すると、死んでいたかもしれないのに。

 はっきりいって、あの時どうしてレクサルがそんな行動に出たのか、シュメルヴィにはわからなかった――あの、レクサルが、そんな行動に出たのだ。そんな、余計なことをしようとしたのだ。

 けれども、その理由は――。

「……そういえば」

 レクサルは少しだけ悩んで、微笑んだ。それはやはり、あの微笑み。冷たい顔。

「どうしてだろうね。そうしない方が、もっと楽だったよね」

 ……そういう話を、したかったわけではないのだ。

 きっと、レクサルがあのピオニーを助けようとした理由は、自分がレクサルを助けようとした理由と、同じ気がしたから。そういう話が、したかったのだ。

 ――できることなら、あのピオニーも助けたかった。

 砂に流され、見えなくなっていくあのピオニーの姿を、シュメルヴィは思い出す。

 あのピオニーには、ひどいことをしてしまった。死んでしまった。

 レクサルは、生き残ったけれども。

 だがピオニーは助けられなくて。

 そして。

 ――レクサルに、言葉は届かない。

 今日のことは、一生許されることがないのだろう。そして、許してもらうことも、ない。

 そう、シュメルヴィは痛感していた。頬を、また一筋、涙が流れる。

 レクサルには、言葉は届かないのだから。許すと言われても、届いていないのだから。

 ただ彼は、決まりに従っただけ。疑うこともなく。人形のように。

 その上、この出来事の記憶は、時間と共に、消えていくのだろう――レクサルにとっては、どうでもいいことで、終わったことのようだから。あのピオニーのことも。

 シュメルヴィがレクサルを見れば、レクサルは星の音に耳を澄ませていた。遠い場所に落ちて、そこから響いてくる、あの澄んだ音。

 すでにレクサルは、全てを忘れてしまったようだった。

 ――星の音が、胸に刺さる。

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