10.二人旅

 昼の休憩も終わって、またピオニーに乗って進み始めて。

 レクサルのピオニーは、足を怪我していたものの、今まで通りに走ってくれた。昼の休憩が終わった際に冷やしていた足を見れば、いくらかよくなっていたのだ。そのためか、またはピオニーが我慢してくれたおかげか、シュメルヴィとレクサルは、順調に旅を続けていた。そしてやがて、日は傾き、世界は橙色に染まり始めて。

 つと、シュメルヴィは走らせていたピオニーを止めた。それは本当に、突然。並んで走っていたレクサルが、先に行ってしまう。

 それでも――世界の端に沈んでいく太陽が、眩しかったのだ。

 沈んでいく大きな橙色の円を見据えれば、顔は橙色に染まる。

 ……何故だろうか。

 シュメルヴィが瞬きをすると――その目から、一筋、涙が流れた。

「……夕焼けって、こんなにも綺麗だったんだ」

 ――何故、いつも見ていた夕日に、そう思ったのだろうか。

 ただの夕日。昨日と同じ。明日も同じ。

 それでも、初めて見たような気がして。そして、もう二度と見られないような気がして。

 ……どうしてこんなにも、切なく思えてしまうのだろうか。

 と、ピオニーがくるくると鳴いて、はっとシュメルヴィは我に返る。シュメルヴィを乗せたピオニーは、くるくる鳴きながら、その大きな目でこちらを見てくる。

 まるで慰めてくれるかのようで、また、同感してくれるようで、シュメルヴィは微笑んでピオニーを撫でた。そうして長い首に、抱きつく。

 夕日を浴びたピオニーの身体は温かかった。

「――シュメルヴィ、どうしたの?」

 そこへ、レクサルが踵を返してくる。

「……どうして泣いてるの? 子供みたいだよ」

 微笑んで、レクサルは首を傾げる。

 レクサルはこの夕日を見て、何も思わないのだろうか――シュメルヴィは涙を拭って夕日を指さした。

「すごく……綺麗だなぁと思って。そう思わない? 僕、こんなに綺麗なものが近くにあるなんて、思ってもなかった……」

 だが、レクサルはちらりと夕日を見ただけだった。じっと見ることもなかった。

「変なことを言うんだね、昨日もこんな感じだったし、一昨日もそうだったけど……」

 昨日も一昨日も、同じだった、か。それを言ってしまえば、何日も前の日も、間違いなく同じような夕日だったのだろう。

 けれども、そこで、シュメルヴィは思ったのだ。

「……今日の夕日は、いましか見られないんだよ、レクサル」

 今日という日は二度来ない。そしてこの夕日も、もう見られないのだ。

 ――二人で見られてよかった、こんな美しいものを。

 気付けて良かった、と、シュメルヴィはもう一度夕日を見るものの、

「シュメルヴィ」

 レクサルは、ピオニーを進むべき先へ向け直した。

「ほら、変なこと言ってないで、早く行こうよ。早く行かないといけないんだよ、ほら、日が沈む前に、夜を過ごす大岩に着かないと」

 レクサルは、本当に何も思っていない様子だった。何も。

 否定されたか気がして、シュメルヴィが唖然としていると、レクサルはピオニーを進め始めた。だから、シュメルヴィも進めるしかなかった。

 レクサルの言う通り、先に行かなければならないのだから。

 ――レクサルがいなければ、いつまでもここで夕日を見ていたかもしれない。本当にレクサルがいてよかったと思う。心細くも、ない。

 しかし、どうしてだろうか。

 ――なんでわかってくれないんだろう。

 妙な寂しさを、シュメルヴィは感じていることに気付いた。

 レクサルがそばにいるのに、一人でいるかのような――。

 ………それから、またしばらく砂漠を進んで。

 夕方の終わり頃。まだ少し、橙色が残っている空の下。二人は目的の大岩の元までやってきた。ここが、一日目の夜を過ごす予定の場所だった。何かとあったが、無事に、予定通り、一日目の旅を終えられた。

 レクサルがてきぱきとテントを立てている間に、シュメルヴィは持ってきた薪と、昼間のオアシスで拾い集めた枯草や枯れ枝で焚き火を作る。だが、うまくマッチの火を移せなくて、シュメルヴィは無言のまま、新たなマッチを擦った。けれどもそのマッチも、火が点く前に、力を入れすぎてしまったのか、折れてしまう。

 だからもう一本、マッチを取り出して。

「……シュメルヴィ、調子、悪いのかい?」

 と、テントを組み立て終えたレクサルが隣にやって来る。

 けれどもシュメルヴィは、何も返さず、マッチを擦った。今度は折らずに火を点けられた。その火を、焚き火に移そうと、枯草に持っていく。

「……シュメルヴィ」

 と、レクサルが再び名前を呼ぶ。

 ――どうにも、話したい気分ではなかった。

 話してしまうと、会話がかみ合わなくて。

 それならば。

 ――いっそ、自分一人での旅の方が、気楽だったのかもしれない。そうまで思うのだ。

「シュメルヴィ」

 それでもレクサルは、名前を呼ぶ。そして。

「シュメルヴィ、質問されたら、何か答えないと。そう教えてもらったでしょ?」

「――うるさいよ、レクサル。僕はいま、話したくないんだ」

 やがて、枯草に移った火が、薪に移った。そうしてようやく焚き火ができあがる。

 驚きもしない、悲しみもしない、怒りもしない。いつもの微笑みのまま。そんなレクサルの顔が、火に照らされる。

 何を考えているのか、わからない顔。何も考えていないような顔。

「……そうか、星のせいだね?」

 しばらくして、レクサルはそう答えを出した。それから「じゃあ、仕方がないよね」と、荷物を漁り出し、夕食の準備に取り掛かる。

 シュメルヴィは、拗ねた子供のように、焚き火の前から動かなかった。

 星のせい。

 ――あれもこれも、自分が『星憑き』のせい。中に入ってしまった星のせい。

 ……そうかもしれないけれども。

 ――どうしてもっと、考えてくれないのだろうか。

 と。

 ――……。

 空の彼方から、澄んだ音が響いてきた。シュメルヴィも、レクサルも、本能に従うかのように、顔を上げそちらを見た。

 そこはもう見えない『街』のある方角。そちらの空に、いくつもの光の線が見えた。上から下に、流れる光。下まで落ちれば、あの澄んだ音が、かすかにここまで聞こえてくる。

「ああ……あの音だね」

 レクサルが手を止め、音に耳を澄ませる。それを見て、今頃『街』の星見塔では、何人もの大人が、こうして星の音に耳を澄ませているのだろうな、とシュメルヴィは思う。

 いつか自分も、十五歳の夜を過ごしたのならば、夜の『街』の外に出て、こうして星の音にもっと耳を澄ませたいと思っていた。

 ……それが、こんな形で、一足先に星の音に耳を澄ませることになるなんて。もう十数日、先のことだと思っていた。

 けれども――星の落ちる音がするたびに、シュメルヴィの肌は気味の悪さに粟立った。

 胸の中にあるもやもやが、ぐるぐると渦巻く。ざわつく。

 嫌な音だ、と思った。あれほどに聞いていたい音だと、昨晩まで思っていたのに。

 ――自分に宿った星が、嫌がっているのだろうか。

 この近くで、星の落下の音がすることは、ほとんどなかった。離れた場所に落ちるのも見えたが、それでも距離がある――どうも『街』の方に、星は沢山落ちてきているようだった。まるで、狙うかのように。

 実際に、星は人を狙っているのだろうか。

 もしそうなら。

 ――レクサルに星が落ちてくることはないのだろうか。

 そう思って、シュメルヴィが親友を見れば、レクサルもこちらを見ていた。あの微笑みで。『街』中に溢れていた、温度のない、笑顔――。

 その微笑みが不気味で、シュメルヴィは顔をそらした。

 仮面のような笑顔。全て、その存在するも作り物であるかのような笑顔――。

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