02.秩序と無機質の街
窓から差し込む朝日が眩しくて、シュメルヴィはゆっくりと目を開けた。だが、反射的に、毛布を被る。再び目を閉じる。眠気が、拭いきれない。
そうしてしばらくの間、シュメルヴィはベッドの中でもぞもぞと動いて、
――朝だから、起きないと。
そう思って、ベッドを抜け出す。
……朝は、起きなければいけないものだ。
ベッドから出れば、シュメルヴィはいつものように、規則正しいように、まずは窓を開けた。いつもこうして、空気を取り入れるのだ。窓を開ければ、眩しい光が部屋の中により強く差し込んでくる。シュメルヴィは自然と目を細めた。
そうして、いつもはこの後、すぐに着替えるのだが。
――あったかいな。
不思議と、今日はそう思った。
朝日が眩しくて温かくて。心地が良くて。
思わず呆然と朝日の中に立ち続けてしまった。普段は、こんなことはしないのに。いつまでも立っていると、時間ばかりが過ぎていき、いつものような規則正しい生活はできないというのに。
「――シュメルヴィ? 大丈夫?」
と、名前を呼ばれ、我に返る。それは母親の声ではなかった。振り返れば、
「レクサル」
そこには一人の少年が微笑んで立っていた。色も柄もない服を着ていて、黒い髪はシュメルヴィと同じく、短く切られ整えられている。瞳も黒く、その目はシュメルヴィへ向けられていた。
レクサル――近所に住んでいる、シュメルヴィの親友だった。
けれどもどうして、朝から彼が家にいるのだろうか。ここは、自分の家なのに。
「あれ、どうしてレクサルが……」
シュメルヴィが尋ねれば、レクサルは、
「昨日、倒れてたから、今日は大丈夫なのかなと思って。昨日、ちゃんと起きてくれたけど、やっぱり何か変になってたらと思って」
――昨日の夜。
突然自分は、砂の上に倒れてしまった。けれどもその時、帰りが遅いと思ったレクサルが、迎えに来てくれたのだ。そうしてシュメルヴィは起こされた。そしてレクサルと一緒に、無事にピオニー達を牧場に帰したのだった……レクサルも、シュメルヴィと同じく、ピオニー牧場での仕事を担っている。だからこそ、帰りが遅いことに気付いて、迎えに来てくれたのだ。
あの時、何故自分が倒れたのかは、わからない。けれども目を覚ませば元気だった故に、特に何事もなかったのだろうとシュメルヴィは結論を出した。そんなことも、ある、と。
そして今日も元気だった――なのにレクサルは、今日もきてくれたなんて。
「そっか、ありがとう……心配させてごめんね」
そうシュメルヴィが言えば、レクサルは微笑みを崩さないまま返した。
「どうして謝るの? 君は悪いこと、してないのに。それに、僕は君の親友だから」
と、レクサルはふと、シュメルヴィの頭からつま先までを見た。まじまじと、異変に気付いたかのように。どうしたのだろうか、とシュメルヴィが思えば、彼は、
「……シュメルヴィ、まだ寝間着なの? 今日早番でしょ?」
「あっ」
その通り、今日のピオニー牧場での仕事は、早番だった。
言われてシュメルヴィは慌てて着替え始めた。レクサルと全く同じ、色も柄もない服を身に纏う。それから仕事に行く準備をする。必要なものだけを、詰め込む。
その様子を、レクサルは「珍しいね」と見ていた。
「大丈夫? らしくないよ。昨日倒れてたせいかな……ねえ、どうして倒れてたの?」
そう尋ねられても、シュメルヴィ自身でも、理由がわからなかった。急に、頭の後ろで何かが光ったように思えたのだ。星が落ちてきたかと思ったが、音は何もしなかった――そもそも、星が人に落ちるなんて。
けれども、いまは元気だ。だから問題はないのだろう。
……だがレクサルの言う通り、今日はどうも「らしく」ない。
思い返せば、どうして朝日なんかを見て、ぼうっとしてしまったのだろうか。いつも見ているではないか。
それでも、体調が悪いわけではない。病院は必要ないだろう。体調が悪い時に行くべきものなのだから。
「レクサルは、今日は遅番?」
ようやく準備をし終えたシュメルヴィが尋ねれば、レクサルは頷いた。
……そうであるのに、朝、家に来させてしまって。
「ごめん、遅番なのに、朝から僕の様子を見に来てくれて……」
面倒をかけさせてしまって、申し訳なくなってシュメルヴィはそう言った。きっと、もっと寝ていたかっただろうに。そうでなくとも、予定ややることも、あったかもしれない。そう、考えてしまう。
と、レクサルはわずかに首を傾げた。
「だからどうして謝るの? 悪いこと、何もしてないのに……それに僕は君の親友だもの。当たり前のことをしてるんだよ?」
微笑みを崩さないまま。口調は、単調で。
……つと、シュメルヴィは手を止めた。そうして、レクサルを見る。
悪いことを何もしていない。当たり前のことをしている。
その言葉は――何か変だと、感じた。
――いや、レクサルは当たり前のことを言っているはずなのだが。
「――シュメルヴィ、レクサル君、大丈夫?」
そこで、母親の声が聞こえてきた。すぐさまシュメルヴィは「大丈夫!」と答える。
「あら、大きな声ね……すごく元気、みたいね」
母親の声はキッチンから響いてきていた。朝食の準備をしているのだろう。
「……それじゃあ、君、元気そうだから、僕は家に帰るよ」
と、レクサルはそう言った。だからシュメルヴィが「ありがとう」と言えば、レクサルは微笑んだまま部屋から出て行ってしまった。母親に挨拶する声が聞こえる。
レクサルが去った後、シュメルヴィは急いで朝食を済ませると、家を出た。ピオニー牧場へと向かう。
街道は人が多く、それでも静かだった。皆、仕事や役目のために、目的地に向かっている。いつもの光景だった――どの人も、色も柄のない、同じような服装をしている。建物にも、飾りも何もない。余計なものは一つもない。
そんな『街』の中を、少し急ぎ足でシュメルヴィも牧場を目指した。と。
「――あっ」
「――ああっ」
急に横から飛び出してきた男が、シュメルヴィにぶつかってきた。シュメルヴィは勢いに倒れる。周囲の人が驚いてシュメルヴィを見るが、皆仕事がある故に先へと歩いていく。
「ああ、大丈夫?」
だがぶつかってきた男は、去ることなく、シュメルヴィに手を差し伸べた。
「……大丈夫、です」
そう、シュメルヴィは差し出された手を取り、立ち上がる。
――その男は、微笑んでいた。
「ごめんなさい、ちゃんと前を見てなかったみたいで」
と、男は謝る。微笑んだまま。
――その笑みに、シュメルヴィは違和を感じた。
まるで、笑みが張りついているかのようで。謝っているけれども、謝っていないような。
「……」
シュメルヴィは、すぐに言葉が出なかった。
――悪いことをしたら、謝る。そして謝られたら、許す。そうあるべきなのに。そうあるべきだと、教えられたのに。
「……あ、いいえ、大丈夫です。こちらこそ、ごめんなさい、急いでいたもので」
何かが喉に詰まっていたが、それを抑え込んで、やがてシュメルヴィは許し、そして謝り返した。すると、笑みを浮かべたままの男は「それじゃあ」と去っていく。同じような格好をした人の波に、消えていく。
……ひどく、変な気分だった。
何かが、変だった。
謝られたのに、謝られていないような。
そして謝ったのに、許されていないような。
――周りを見れば。
皆……あの笑みを浮かべていた。そして規則正しく、動いている。
笑みを浮かべず立ち止まっているのは、シュメルヴィだけだった。
変な気がしてならない……妙に、落ち着けない。
全ては、いつも通りなのに。
――やっぱり、体調が悪いのかな?
周りはいつもとかわらないのだ。それでも変と思うのならば、変なのは自分ではないのだろうか――。
そう思うものの、それでもシュメルヴィは、牧場へと向かった。
きっと、そのうち戻ると信じて。
……何かが胸の中で這っているような気がした。蠢いているかのような何か。
息を吸うのが、妙に苦しく思えるような気がした。意識しなくては、吸えないような。
それでも、仕事は、役目はあるのだから、行かなくては。
やるべきことをこなす。決まりは守る。これは、絶対なのだから。
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