第62話 【身だしなみ】
【あらすじ】
夏の長期休暇に入り、自然と都市が融合した街『イーサン』へとやってきたアルクスとエレオノール。
特待生待遇によって授業は免除されているが、顔を出すだけでもと訓練場へとやってくる。みなが訓練に四苦八苦するのを横目に、悠々と先生を訪ねようとすると、その折にこの世界の主人公、エマ=ヘレーナに遭遇する。
エマもまた先生のもとを訪ねていたようであり、言葉を交わした後立ち去ろうとするが、そこで彼女に引き留められる。
何かを伝えたげに沈黙する……が、遂にはそれが語られることはなく、エマは走り去っていった。
アルクスもまた、気を取り直してキリル先生のもとを訪ねるのだった。
***
キリル先生は相変わらずの豪快さだった。
ここまでずっと生徒たちの指揮だけを執っていたらしく、動き足りないからと、ゲリラ実戦形式訓練を始めようかなんて言っていた。
クラスメートたちの様子を見る限り、この街『イーサン』までの道のりは相当に険しいと思われるのだが……、彼女なら今からでもフルマラソンをすまし顔でやってのけるのではないだろうか。
……まぁ、彼女の奇想天外さは今に始まったことではない。
一方で課題についての話とか、挨拶は普通に済ましてくれていた。
普通に怒声かと思われるような声量で済ましてくれていた。
要件をちゃんとやってくれるのなら俺から言うことは何もないだろう。
このあとクラスメートたちがどのような末路を辿るのかは知らないが、とりあえず、アーメン。
ということで、無事用事を終えた俺はホテルへと戻ってきていた。
いつ見ても目ん玉が飛び出るゴージャス加減。
こんなところに数日間寝泊まりすると考えると……この合宿で片方の目がなくなっても俺は驚かない。
まぁそんな冗談はさておいて部屋に戻ると、エレオノールが何やらガサゴソとしているのが見えた。
同室であるという事実が思い起こされて眩暈がしそうになったが、まぁいい、いったいなにしてるんだろう。
「ただいま戻りました。……何されてるんですか?」
「あ、ようやく戻ってきました。待ってたんですよ?」
彼女は台詞通り待ちくたびれたという様子で、むくりと立ち上がってこちらを向いた。
その手には二つの服が握られている。
一方は夏らしい水色のワンピース、もう一方は落ち着きと清純さを醸し出しそうな白色のブラウス。
その周りにも衣服が綺麗正しく畳まれながらも、床に点在している。
……なるほど、わかったぞ。
「アルクスはどちらが良いと思いますか?」
出たな無理難題質問第1位。
果たして答えが用意されているのかどうかというのが飛んできた。
「……それで悩んでいらしたんですね」
「はい。こうして観光する機会なんて中々ないでしょう? せっかくならお洒落をしなくては」
エレオノールは屈託ない笑顔でそう言った。
彼女の言う通り、この後はイーサンの街をしばらく観て回ることになっている。
一応は合宿という遊びではない名目で来ているわけだが、特例の措置で課題さえこなせば自由にしていいと言われているので問題はない。
強いて言えばクラスメートの恨み節が怖いところだが、別にこれから遊んでばかりってわけでもないしな。
……それに、俺の頼みでエレオノールはわざわざイーサンに来てもらっているのだ。
せめて彼女にとって良い思い出として残してやりたい。
これまで、ここまでの遠出をすることはあまりなかったし、せっかくなら楽しんでもらいたいというのが彼女を知る者としての性だ。
というわけなので、これからお出かけする準備となるわけだが、エレオノールのこの質問はその一環なのだろう。
彼女もお年頃、お洒落したいと言うのも自然だ。
……でも、ムズい。
その質問はムズい!
何がムズいって、「どっちもイイヨ!」という無難な回答はもう見透かされるだろうということだ。
以前似たような質問があったときは、それでボッ!! と顔から火炎放射を出してくれていたものだけれど、彼女との距離感も変わってきた今は通用するかどうか……。
「どちらもエレオノール様にお似合いだと思いますが……」
まずは率直な意見を伝える。が、言い終わる前に彼女がじっとこちらを見つめてきた。
「それでは、決めたことになりませんよね? こちらはどう思いますか?」
しかし予想どおり無難じゃ許してくれないタイプだった。
エレオノールは白色のブラウスを自身の胸元に重ね、上目遣いでこちらに感想を求めてくる。
「もちろん素晴らしいと思いますよ? 品がありつつも控えめで、街歩きにもぴったりかと思います」
丁寧に説明しながら提案するが、エレオノールは少し首をかしげて微笑む。
「そう……。ですが、こういう爽やかな水色を選んでみるのも新鮮だと思いませんか?」
水色のワンピースを広げて、くるりと一回転してみせる。
その動きの中にどこか無邪気さと挑発的な色が混ざっていて、返答に詰まる。
「おっしゃる通り、そちらも素晴らしい選択肢かと……」
曖昧に返すと、エレオノールはじっとこちらを見つめる。
「……まあ、アルクスなりに考えてくれたので良いでしょう」
小さく肩をすくめながら、彼女は追及をやめた。
ほっ……許された。
いや、見逃してくれた、か。
若干呆れも含まれているような気がしないでもないが、ここはひとつご勘弁願いたい。
「ところで、アルクスはその服装のまま観て回るのですか?」
「え? まぁ、そうですね。執事として恥のないような恰好でなくてはなりませんので」
というか執事の服と訓練用の服以外、俺持ってないし。
流石に後者の服で出歩くわけにもいかないし、必然的にカッチリとしたタキシードスタイルになるわけだ。
しかしエレオノールは俺の答えを受け、やれやれとでも言いたげにポーズを取り、首を振る。
「そういう真面目な部分も好きですが……観光するのですから、もっとラフな格好にしてくださいっ。そうでないと、こちらも落ち着いて楽しむことができませんので」
彼女は頬を含ませながら、ぷりぷりと怒りの感情を露わにした。
そ、そういうものなのだろうか?
学園外ではずっとこれでエレオノールと接していたんだが……。
いやしかし、学園に入学してから俺と離れて過ごす時間も増えたわけだし、感覚が変わってきてもおかしくはない。
ずっと黒服のボディーガードが付きまとっているみたいなイメージだろうし、敬遠したい気持ちも頷ける。
「それは……申し訳ありません。配慮が足りず」
「まったく……私の執事として、もう少し身だしなみにも気をつけていただかないと」
恭しく謝罪の弁を述べると、エレオノールはそう言いながら目掛けたようにこちらに急接近した。
あまりに突然だったものでギョッと身を引きそうになる。
しかしそれよりも先に彼女がこちらに手を伸ばした。
いったいなんだ!? と思ったのも束の間、接近してきた理由が眼前に現れる。
彼女の指に摘ままれていたのは……白い糸?
いや、髪の毛?
そこで思い出されるのは、先ほど遭遇したエマのことだ。
訓練後で髪が乱れていた様子が思い浮かぶ。
すれ違いざまにくっついてしまったのだろうか。
「あれ……いつの間に」
俺が困惑の声を漏らしていると、エレオノールは髪をじっと見つめた後、指先からそれをゆっくりと地面へ落とす。
そして――
────ダンッッ!!!!
「!?!?」
響き渡るような大きな音が鳴り、思わず身体がびくりと跳ねた。
見るとエレオノールの靴が床を力強く踏みつけている。
彼女が白い髪の毛を、容赦なく踏みつぶしたのだ。
「……えっと、エレオノール様?」
戸惑いを隠しきれない俺が暇を与えまいかのごとく、彼女は俺の首に手を回し、グイっと自分の顔をこちら引き寄せて……。
「……本当に、気をつけてくださいね?」
耳元で囁かれる声は、低く甘やかで、なのにどこか底知れない冷たさを感じさせるものだった。
背筋をなぞられたような感覚に、思わず息が詰まる。
「そうだ、これを機にアルクスのお洋服も新調しましょうっ。イーサンでは衣服の産業が盛んと聞きますし、きっとエーゲンハイトでは見かけないお洋服も──」
唐突に明るい声を上げた彼女は、まるでさっきまでの出来事など何もなかったかのように弾む声で語り始めた。
しかし当然付いていけるはずもなく、先ほどの囁きが脳内で尾を引きながら、俺は呆けることしかできなかった。
……うん、えっと。
これからは気を付けよう……。
とりあえず今日一日、無事でいられますように……とお祈りしながら、俺はウキウキな様子のエレオノールを眺めていた。
───
お待たせしました。
お待たせしすぎたのかもしれません(事実列挙)
ぼちぼち投稿を再開しようと思います。ひとまずこの章の終わりまでは。
書籍の情報については今しばらくお待ちください。
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