夏休み編

第58話 夏がはじまる




 雲一つない真っ青な空。

 ギラギラと我が物顔の太陽が地上へと光を降り注ぎ、それを受け取った海の水面がまるで星空のようにまばらな輝きを放っている。

 

 季節は夏。

 相応の景色が俺たちの前に広がっているのだった。


「アルクス、見てくださいっ!海が、すごくきれいな海がありますっ」


「エーゲンハイトにも学園周りにも海はありませんでしたからね。たしかに、すごく綺麗です」


 の向こうをキラキラとした眼で見つめるエレオノール。

 俺は微笑ましく思いながら、同様に遠くに広がる宝石のように蒼い海へ視線を向けた。


 現在、俺たちは列車の中にいる。

 馬車が移動手段の主であるこの世界だが、局所的な部分にはこうした線路が引かれているのだ。

 もっぱら大抵は大都市付近のことが多く、あまりお目にかかることはできない。

 しかしいざ実際に乗ってみると、前世の列車とはさほど相違いはないように思える。

 もっと揺れがひどいものかと思ったが、これも魔法のおかげなのだろうか。



 さて、なぜ俺たちが列車に乗っているのかという話だが…それはもう察しの吐く話だろう。

 夏の合宿地へと向かっているのだ。


 テストが終わり、終業式を経て、晴れてライティシア学園は夏休みへと突入。

 そうして騎士科にやってくるのは過酷な夏合宿だ。


 毎日が厳しいこの学科だが、それ以上に苦しいと言われる行事。


 …しかし俺の場合は、だいぶ例外的な形でこの合宿を行うことになっている。


 特待生の優遇…というわけでもないけれど、かなりの自由が許されているのだ。


 おはようからおやすみまで、一日通して拘束されることがない。

 強いて、特定の演習を行う日だけは出席しなければならないが、それ以外は基本的になんのしがらみもないというのだ。


 そういうわけでみなが馬車…あるいは徒歩で、頑張って目的地へ向かっているあいだに悠々自適と列車に揺られることができるのである。


 まぁ申し訳なさがないといえば嘘ではあるが、とはいえ俺にも重要な任を課せられているからな、イーブンというやつだ。


「アルクスっ!今クジラが顔を出しましたよっ」


「ここらではよく生息しているみたいですね。さすが、ダイナミックです」


 エレオノールは明るい顔、そして明るい声で言う。

 普段はミステリアスで優等生な彼女だが、今ばかりは幼い子供のように感じられる。

 こんな彼女を見るのも、久しぶりだなぁ。


 …エレオノールには頼んで来てもらった手前、なるべく楽しんでいってほしいと思う。

 幸い、合宿の地は観光地としても有名な場所だ。

 

 もあるけど、あまり退屈させないようにしないとな。


「アルクス、あの浜辺にいる人たちは何をしているのですか?」


「あぁ、あちらはバカンスに来た方たちでしょうね。おそらく海水浴か何かに興じているのでしょう」


「海水浴…ですか。話には聞いていましたけど、いったいどのような感覚なのでしょうね」


 この世界には海水浴という概念はあるし、海をレジャーとして楽しむ文化もある。

 とはいえ、エレオノールは昔からあまり家から出ることはなかったし、学園に来てからも外出はしていないので、海に入るという経験をしたことがないのだった。


「案外冷たくて気持ちいいですよ。広大な海の流れに揺られるのも、その中を泳ぐのも開放感があって……えーっと、そんなふうには聞きますね」


 前世の感覚からモノを言ってしまったが、今世ではエレオノールと同じく海に出向いたことがない。

 曖昧に濁してしまったが、彼女はさほど気にも留める様子はなく、窓の向こうで楽しそうに海水浴をする人々に目を向けていた。


「よろしければ、どこかのタイミングで海にいきましょうか」


 そう俺が提案すると、彼女はバッとにわかにこちらを向く。

 わずかに目を見開いていた。 


「い、良いんですかっ?」


「ええ、せっかく来たことですから。帰ったらまた海も遠い存在になってしまいますしね」


 エレオノールはパクパクと何か言いたげに口を開きながらも、頬を少し赤くさせるだけで何も発することはない。

 

「そうですね、ぜひ行きましょう!」


 最終的には、そう元気に言うのだった。

 怖がるかなと思ったけど、彼女にもどうやら海へのあこがれがあったみたいだ。


「えへへ…またひとつ楽しみが増えました」


 口角をほころばせながら、彼女は笑う。

 だらしがないですよ、と執事モードの時なら言うべきなのだろうが、今回ばかりはわずかに苦笑するだけで、今の状況を慈しむのだった。

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