第54話 負けたらなんでも言うこと聞きましょう


「あれ、エレオノールちゃん。どうしたの?」


 貴族科のとある昼下がり。

 コレット・ホールデンは黒髪の美少女の思案顔に気づき、声をかける。


「コレットさん。……いえ、なんでもありませんよ」


「なんでもない、って顔じゃなかったけど。何か悩み事?私で良かったら聞くわよ」


 エレオノールは伏せって視線を切るが、コレットはそれを許さない。

 屈んで無理やりに視界に入りながら、彼女はずいっと身を寄せた。


(彼女の悩みごとなんて…聞いておかないと絶対損じゃない)


 商人の末裔である彼女は、入学から一カ月が経った今でもコネクションの形成に余念がない。

 悩みという相手の弱い部分を知っておくことで、いつかの事態に利用できる可能性がある。


 …とはいえ、100%そのような邪な感情ではなく、エレオノールの力になりたいというのはコレットの本心であった。


「…ありがとうございます、コレットさん。そう、ですね……もしよろしければ聞いていただきたいのですが」


 観念したように苦笑しながら、エレオノールは口を開く。

 コレットはなんだなんだとばかりに傾聴した。



「実は最近、“アルクス”を感じてないなって思っていまして…」


 エレオノールは心底重大そうな顔をしてそう言った。


「アルクスを…感じる…?」


 対してコレットは全く聞きなじみのないフレーズが飛んできて、ぱちくりと目をしばたかせる。

 彼女とて伊達にエレオノールと関わってきたわけではないが、とはいえそんな言葉を飲み込めるほどコレットは理解しきっていなかった。


「えぇっと…あの首席の人と、何かあったってこと?」


「いえ…むしろ何もないんですよ、ないからなんですよ」


「何もないから?」


「…はい。近くにテストを控えているからでしょうか…アルクスったら勉強や訓練に明け暮れてしまっていて、全然私との時間が取れていないんです」


 しょぼんと眉を垂らしながら、エレオノールは言った。


(…なるほど。首席くん…をなおざりにしちゃあ駄目でしょう)


 コレットは未だ見ぬその者のことをややなじりながら、話を聞いた。


「いつもは放課後に一緒に生徒会の仕事…そのあとは終課の鐘が鳴った後までお話をしているのですが…近頃は、鐘が鳴ってしまったらすぐにアルクスは寮へと帰ってしまっていて…」


「…まって、」


 エレオノールが話を続けるが、そこでコレットは待ったをかける。


「……むしろ、放課後から終課の鐘までずっと一緒ってことは…、6時間近くは同じ時間過ごしてるってこと…?」


 まさか違うよな…?と思いながらもそう聞いてみるが、エレオノールから返ってくるのは「何をあたりまえなことを」とでも言いたげな表情だった。


「…まぁ、それくらい一緒にいるのですかね。でも結果的にそうなっているだけで、時間は重要ではありません」


 (いや、それでもさぁ…)とコレットは内心で引け目を感じる。

 想像以上のべったり感と、それでも満足できない彼女を見て、先ほどアルクスという人物へ行ったなじりを反省するのだった。


「…う、うん。そう…。でも、やっぱりテスト直前は仕方がないんじゃない?向こうのテストは大変だって聞くし」


 せめてもの償い…というわけではないが、コレットは彼のことをかばう。

 事実、騎士科のテストは貴族科のそれとは格別にハードであると聞くし、今から始めても少し遅いくらいであろう。


 しかしそれを聞かされてもエレオノールの表情の曇りは晴れない。


「…そうなんですがね…。でも、やはりそれでは寂しいではないですか…」


 思いを馳せる様にきゅっと絡める手の指を固めながら、彼女はぽつりと言った。


「…う~ん、そうねぇ…」


 コレットもそれを見て、難しい顔をしながら唸って見せる。


 事情が事情なだけに、テスト終わりまで我慢してもらうというのが一番手っ取り早いのだが、しかしコレットも何かしら力になってやりたいとは思っているのである。

 小賢しいともいえるその頭を捻って、何かアイデアはないかと考えるのだった。


 …そうしてしばらく経ったあと、


「じゃあ、こういうのはどう?───」


 彼女は人差し指を立てながら、思い立ったことを話すのだった。



***





「ということで、今度のテストの点数勝負をしませんか?」


「…いや、どういうことですか??」


 生徒会棟の資料室にて仕事をしていると、エレオノールがそんなことを言った。

 

 妙に張り切っている様子である。

 いったい急にどうしたというのだろうか。


「テストの点数勝負…ですか?騎士科と貴族科では科目数も難易度も点数も違いますし、一概に勝負するというのは難しいと思うのですが…」


「そういった部分は調整するとして…です」


 もっともらしい指摘をしてみるが、しかし彼女は引き下がらない。

 勝負が目的というよりか、もっと他の部分に理由がありそうだ。


「そして、負けた方は、…というものにしましょう」


 彼女は少し自信気というか、何かを期待するかのような顔でそう言った。


 なるほど、本命はこっちか。

 何か俺にやってほしいことでもあるのだろうか。

 こうして直接頼まずに言うあたり、何か憂慮すべき点があるのかもしれない。

 

 …だが、

 

「…別に、そんなことしなくても僕はエレオノール様の言うことならなんでも聞きますけど」


「……なっ、ハッ」


 俺が本心からそう言うと、エレオノールはあたふたと言葉を詰まらせるのだった。


 彼女の願いならできるだけ叶えてやりたいと、執事という立場からも俺という人間の立場からも思っている。

 さすがに土地くださいとか爵位くださいとかの頼みなら別だけども、そんな荒唐無稽な頼みはエレオノールもしてこないだろう。



「なんでも…なんでもですか…?」


 彼女はずいっと詰め寄りながら、恐る恐るという風にそう言った。


 …あれ、なんか様子違うけど、そんなにやってほしいことでもあるのか…??

 切望通り越して渇望的な感情を感じるのだけど…。


「いや…、今回は公平な競争ですっ」


 若干気迫に戸惑っていると、エレオノールはふるふると頭を振って、赤くなった頬を冷ますようにした。


「アルクスは、私にどうしてもしてほしいこと…ないんですか?」


 挑発的に彼女はそう言った。

 体を屈めて、椅子に座る俺に視線を合わせている。 

 俺のことをからかっているのだろうか。

 


 それに…改まって彼女に何かしてほしいことなんて───


(あ、)


 喉から言葉が出かかったことで、俺はふとあのことに思い至った。


 

「……ええ、ありますね。エレオノール様にどうしてもしてほしいこと」


 ゆっくりと立ち上がって、俺は身長差でエレオノールのことを見下ろす。

 彼女はきょとんとした表情になっており、俺のことを見上げていた。

 

「わかりました。その勝負、受けて立ちましょう」


 腰をかがめて、彼女に顔を近づけてそう囁いた。


 ちょっとからかい返してやった感じだが……



 しかしこの勝負、絶対に勝たなきゃな。


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