第52話 ラスボス令嬢は“攻略”しない
入学式から1カ月以上の月日が過ぎて、ライティシア学園の新入生らも新しい生活に慣れてきたころ。
「…うん?」
エレオノールはいつも使用している机の上に、何かが置かれているのに気が付いた。
首を傾げながらそれを見てみると、それは妙に質のいい素材の便せんであった。
品の良い達筆で「エレオノール・アンシャイネス殿」と書かれており、封を開けてみれば何やら長々と文章が綴られていた。
「はぁ…またですか」
「あれ、エレオノールさん。もしかしてまた手紙?」
呆れんばかりにエレオノールが溜め息をついていると、コレット・ホールデンが手紙の内容を覗き込んだ。
「ええ。熱心な思いの丈が書かれてます」
流し程度に読みながら、エレオノールは返事をする。
以前からその美貌と才能に見染められた者らは少なくなったが、入学直後特有の緊張が解けたためなのか、近頃はこうしたアプローチが増えてきていた。
ラブレターや告白を受けたことも指折りでは数えられない。
さすがに以前あったようなプロポーズはそう何回も受けなかったが、逆に言えばあれから1、2回程度は見覚えもない者からの愛をぶつけられたのであった。
「あらあらまぁまぁ。学園のマドンナは大変ねぇ」
「そんなものになった覚えは全くないですよ…」
うんざりした感情を隠さずに、エレオノールはもう一度ため息混じりに言葉を吐く。
こうして好意を受けたりすることも、体力がいるものだ。
言葉を交わしたことも覚えもないような人物からの感情ほど疲労するものはないだろう。
エレオノールはしみじみとそう思いながら、手元の手紙を折りたたんで入っていた便せんに収める。
「今回は誰からだったの?」
「さぁ、知らない方でしたね」
「……なんて言いつつ、前回はこの学年でも指折りにイケメンな人だったじゃない!」
コレットは半ば強引に手紙を抜き取ると、バッと開いて送り主の名前を見た。
「ほらぁ、この人だって公爵家の次男だっていう人よ!」
「それはわかっていますよ。いずれにせよ面識はありませんし」
「いや貴女ねぇ…もうちょっと関心持ったっていいでしょうに」
飄々とした態度のエレオノールにコレットは半ば呆れるような表情を浮かべた。
どんなに位の高い者にだって、どんなに才覚ある者にだって、どんな美貌を持つ者にだって、エレオノールは関心を示すことはなかった。
一般的な令嬢が二つ返事でOKする告白を、彼女は二つ返事でNOするのである。
こうしたやり取りは何度目だかわからないが、コネクションに執着するコレットにとっては未だわからぬスタンスであった。
「まぁ、この前話かけてきたヒルド、ジルジス、デモンド、トロドス……この人たちだって巷では有名な人達なのに全然取り合わなかったものね。今更驚きはしないけど」
「そんなこともありましたっけ」
「あったわよ、もう忘れちゃって」
コレットが指折りしながらこれまでアプローチをしてきた男の名前を挙げるが、エレオノールは今一つピンとこない。
そもそも名前も初耳だし、話しかけてきた者の顔もよく覚えていなかった。
苦笑しながらコレットは、はぁ、と息を吐いて天井を見上げる。
「いいなぁ。私にも勝手に高い地位の男が寄ってきてくれないかなぁ」
「全く願望を包み隠しませんね」
「そりゃあこんなのを見せられちゃったらねぇ。私が貴女の立場だったら、意気揚々と全員を“攻略”していたところよ」
にやーっとコレットは悪そうに笑みを浮かべる。
冗談半分本気半分という感じだ。
エレオノールは苦笑しながら返事をする。
「そう何人も手を出すなんてはしたないですよ。一人に愛情を注ぐのが一番です」
「…ふふ。そういえばエレオノールさんはそういう人だったわね。もう、心に決めた人がいるものねぇ?」
コレットは悪そうな笑みから、からかうような笑みに表情をシフトチェンジさせた。
「あの人とは、最近どうなの?」
「ア、アルクスと…ですか?……それはもちろん───」
エレオノールは少しだけ頬を赤らめながらも、満更でもないような顔をして話を広げていく。
コレットはうんうん、とうなずきながらソレを聞いていた。
ここ一カ月の日常とも言える光景だ。
エレオノールがアルクスについて語り、コレットが少しだけ口を出しながらそれを聞く。
それをほぼ毎日繰り返してきた。
(まったく…この子は本当に話すと止まらないのね)
内心で若干苦笑するが話に耳を傾け続ける。
最初は宇宙に漂う猫のような気分だったコレットだが、最近は彼女たちの関係に興味を示しているのだった。
(アルクス=フォート……いつか“お話”できたらいいわね)
目の前の友人の想い人の名を確かめながら、商人の末裔は彼女の話を聞いていた。
***
「へくしっ」
校舎の廊下を歩く途中で、俺は盛大にくしゃみをする。
花粉症かなぁ。
この世界にはスギとかヒノキといった木はないはずだけど…ついでにいえばあったとしても、もう花粉のシーズンは過ぎようとしているはずなんだけど。
なんてボヤキながら、俺は他クラスが授業中の教室を通り過ぎていく。
特待生か首席か…どちらが理由かは忘れたけれど、俺には授業への遅刻や欠席が許される特権みたいなものがある。
自由にさせてやって、その特筆すべき能力を研究・活用させてくれということらしい。
最初はちゃんと授業に出てたけど、最近はそれなりにその権利を行使する機会も少なくなくなっていた。
ま、サボってるわけじゃないし、生徒会の仕事で疲れていることもあるから仕方ないよねっ!
と、誰に言うでもないけれど心の中でそう免罪符を立てておく。
そんなどうでもいいことを考えていると、俺のクラスの教室へと辿り着いた。
「失礼しまーす」
そーっと扉を開けると、クラスメートたちが何やらにぎやかに立ち歩いていた。
わいわいと友達や仲間同士で集まっており、授業という感じではない。
…え、学級崩壊かしら。
なんて冗談を思いつきながら、俺は知った顔の方へと近づいていく。
「あ、アルクスくん!今日も遅刻なんだぁ」
「エマ。ええ、正当な権利の行使です」
いち早く気づいたエマがいつもの元気さで話しかけてきた。
にやーっと冗談を言う彼女に対し、俺は真顔でそう言い返してやる。
と、エマはけらけらと笑い声をあげるのだった。
「…で、今は授業ではないのですか?」
「あれ、アルクスくん聞いてないの?」
俺が首を傾げながらそう問うと、エマはきょとんとした顔をした。
「今は班決め…するためのペア決め中だよ。実技演習とか、夏の合宿とか…他クラスと合同での授業のためのね」
エマは指を立ててそう答えた。
はぁ、その班決め…というかペア決めか。
そんなものもあったなぁ、通りでこんなワイワイしているわけか。
おそらくキリル先生のことだから自由に決めろ!とでも言ったのだろう。
なんてひとり合点していると、俺はふと思い至る。
「…夏に合宿なんてあるんですか?」
「うん?そうだよ?」
なんて当たり前に言うエマだけど…全然忘れていた。
…いや、俺の確認不足でしかないのだが…。
…というか、そしたら夏休み中の生徒会の仕事とか…エレオノールのこととか…どうすればいいんだ?
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