第45話 盲目な恋と、盲目であるべきこと


 思わず飛び出してしまったことで、ガサリと物音が響く。

 プロポーズの言葉を発した後のなんとも言えぬ静寂が、それによって破壊された。


 エレオノールと、男の4つの眼が一斉に俺の方へと向かう。

 

 いったい誰なんだ君は、こんな時に無礼ではないか、なんて男に捲し立てられるのではないかと思ったが…、しかしそんなことにはならない。


 というか、俺の存在に気づいてすらいなかった。


 何でかと言えば簡単な話であり、今の俺は、気配を消す魔法をかけている状態なのである。


 それはもう空気よりもうっすい存在感になっているので、そんじょそこらの魔法使いくらいでは見破ることはできないだろう。

 というか、見破れるとしたら俺を遥かに超えるような、よっぽどの魔力強者くらいだ。


 ゆえに、目の前の二人は俺の方を見たが、それは俺の存在を認知したからではなくその方向で音が鳴ったから…ということに過ぎない。

 この魔法では音までは消すことはできないからな。


 しかし…、ほら。

 二人の様子をよく見れば、俺の方に焦点が定まっていない。


 男の方は俺の首元…の奥の風景を見つめているし、エレオノールだって俺のことは……





 いや、見えてる…?


 めちゃくちゃ視線がぶつかっている。

 めちゃくちゃ黒い瞳が俺を捉えている?!


 なんともないような顔で、エレオノールは飛び出して硬直したままの俺を見つめているではないか。

 


 え、なんで…?


 いやまぁ、そんなに本気で姿を隠しにかかっていないのでバレてもおかしくはないのだが…それにしても見破られるのは驚きを隠せない。


 エレオノールが魔力強者なのは事実だが、しかし俺よりも強いなんてこと…

 いや、それは自惚れでしかなくて、本当は俺なんかエレオノールよりずっと弱い可能性も…いや、しかし…。


 頭の中が困惑でいっぱいになる。

 エレオノールのまっすぐな視線が、より一層に脳内の思考を搔き乱すのだった。



「……風、ですかね」


 そんなはてなマークを浮かべる俺には気づかず、想いをぶつけた後の気まずい空気を打破せんと言わんばかりに男は口を開いた。


 いやいやそうだった、今驚くべきことはそんなことではなく、目の前にいる男のことだ。

 なんだっていきなりプロポーズだなんて……驚くなと言うほうが無理な話だ。


 …もしかしたら秘密裏にお付き合いみたいなものがあったのかも、という話なら、そちらの方がよっぽど驚きであるが。


 しかしどちらにせよ、彼のことは何者なのか見極めなければなるまい。

 俺は静かに彼らの会話に耳を傾ける。



 男がそんなことを言い終わってしばらくの後、ようやくエレオノールの視線が俺から彼の方へと移る。


「…そうみたいですね」


 にっこりと、彼女は目を細める。

 相も変わらずの目に入れても痛くないような笑顔ではあるが…しかし俺の目からは、それはどこかなもののように映った。


「それより…御返事はいただけるだろうか」


 男は出で立ちを整えて、改めてエレオノールと向き合う。

 それを彼女は口角だけを薄らと上げながら見下ろしていた。


 

「貴族同士の婚姻は、両家の立ち合いと同意のもとで行われます。今すぐ返事がほしいなど、少々傲慢ではないですか?ちゃんとプロセスを踏んでいただかないと───」


 実にもっともなことを言うエレオノール。

 つけ入る隙のない正論だが、男はそれでもめげない。


「私は、貴女の気持ちを知りたいのですッ!家のしがらみなど関係ない!」


 クワっと感情を露わにして、声を大きくさせた。

 実に情熱的で何かのフィクションのワンシーンのようであるが、しかしそうなのは彼だけ。


 エレオノールは実に冷ややかな目でそれを眺めていた。


「…ならば、余計に過程をひとつひとつ踏んできてください」


 ぽつりと口を開く。


「そもそも、以前でまともに話したことなどありましたか?学園の生徒同士の婚姻はままあるそうですが…、何の積み上げもなしに行われるのは過去類を見ないのではないでしょうか」


「…一目ぼれしたのです。貴方の美しさに、私の眼はすっかり奪われてしまった。この気持ちは、止めることはできな───」


「奪うだなんて人聞きの悪いことを、勝手に失くしただけでしょう?それに貴方は確か…侯爵家の人間でしたよね」

 

 そう言うとエレオノールは男の瞳を覗き込んだ。

 どのような状況になっているかあまりつかめないが、男の様子はぎょっとしたような顔で、カタカタと小刻みに体を震わせていた。


「近頃外交に力を入れている家のようですが、重要な手札である貴方がこのような迂闊なことをして良いのですか?」


 つらつらと言って見せる彼女。

 男の額に冷や汗が滲む。


「もうすこし、自身の立場というものを考えて行動を────」


 そう言いかけて、エレオノールはハッとしたような顔で口を

 バツが悪そうに視線を泳がし、残念そうに眉を八の字にする。


 しかしそれを男に気づかれる前に、エレオノールは言葉を再開させた。


「とにかく、いきなり婚姻などという真似をするのではなく、もっと段階的に行うべきでしょう。…まぁ、」


 ふっと息を吸って、ジロリという擬音の似合う威圧感のある眼が開いた。


「そもそも、容姿だけを見て求婚するような方とは、友人としても願い下げですが」


 極めつけにそう言うと、男はワナワナと言う風に体を震わせる。

 なかなか手厳しい物言いであるため、逆上して何かするのではないかっ…?!と身構えるが、


「……申し訳…ございませんでした」


 男はしゅんっ…とした雰囲気を醸し出して震える声でそう言うと、トボトボと重い足取りで去っていく。


 拍子抜け…と言うと言い方が悪いが、呆然と立ち尽くしたまま俺はその背中を見送った。





 …本当に、気持ち一本でこんなことをしてみせたわけか。


 名も知れぬ…侯爵家の男。 

 相応の立場であるというのに、全く無鉄砲な真似をしてくれたな。


 そうヤレヤレと言いたいところなのだが、胸中ではよくわからない感情が渦巻いている。


 

 気持ちを改めるように、俺は彼に対するある種の畏敬の念と心の片隅に発生した焦りや安堵の気持ちを、溜め息に乗せて吐き出した。



「アルクス?」


 そんな折に、エレオノールが俺の名前を呼んだ。

 いきなりで驚いてしまったが…なるほど彼女は、やはり俺がいることを見破っていたらしい。


「あ、そこにいたのですね」 

 

 気配を消す魔法を解いてみせると、彼女は少しだけ意外そうな口調でそう言った。

 その口調と、言葉の一部にふと違和感を感じる。


「…やはり、ですか?」


「はい。姿が見えなかったものですから、おかしいなと思っていたのですけど」



 …あれ?


 姿が見えていなかった…ということは、魔法を破ることはできなかったということか?

 いやでも、そうだとすらならどうして…


「すごい、視線が合っていましたけど…見えていなかったのですか?」


「ええ、アルクスがそこにいるのではないかとで思っただけですよ」


 まるで当然という感じにそう言うエレオノール。

 


「ところで、全部見ていましたよね?」


「…失礼ながら。待ち伏せしていたわけではないのですがね」


 俺は頬を掻いて苦笑いしながらそう言った。

 なんて気まずい現場に居合わせてしまったものだ。


 何を話せばいいのかわからなくなる。

 

 …だから、俺は頭に浮かんだ疑問をそのまま口にしていた。


「彼は、本当に親交のない方なのですか?」


「はい。つい先ほど言葉を初めて交わしたくらいで……まぁ、あったとしても一週間程度しか関わりがないわけですがね」


 彼女はキッパリとそう言った。


 もっといろいろ聞きたいことはあったが、しかしそれらがゴチャゴチャと絡み合って、言葉を紡ぐのはままならなかった。


「もしかして、不安になっちゃいましたか?」


 そうしている間に、エレオノールはいたずらっぽくそう笑ってこちらを覗く。


 …思わず口を閉ざしてしまうが、俺は目を逸らして、


「……不安というより、焦りましたよ…」


 ため息混じりにそう言った。

 あくまで、「主人が大変なことになっているから」という意味合いを強めて。


「むぅ。嫉妬してはくれないんですねっ」


 残念そうに口をとがらせて、彼女はそう言った。

 と言っても、そこまで本気で不機嫌になっているわけではない。

 冗談めかしていた。


 そういえば、先ほど断る際の言葉もつらつらと出てきていた。

 普通、知らぬ人から…まぁ知人だったとしても、好意をぶつけられたらテンパってしまいそうなものなのに。


 エレオノールは…美人だから。

 そういうのは慣れているのだろうか。

 たしかに社交会などの場にいた際、俺がいない間に声をかけられたと話していたことがあった。


 やはり場数は踏んでいるのだろう。

 いくらなんでもいきなりプロポーズはなさそうにしろ。


 


 …嫉妬、か。

 

「焦りました、本当…いろいろな意味で」


 ぽつりと聞こえないくらいの声量で呟いた。

 

 執事として、主人に火の粉が降りかかりそうになったからとか…、家に混乱が巻き起こる可能性があったからとか…もっともらしい焦りの理由は様々ある。


 ただ、それだけなのかと言われると、俺はわからなかった。


 そしてなんとなく、今はそのわからない部分を咀嚼して理解するべきではないのだろうとも同時に思った。








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