第44話 バッ!!
激動の初日を終えると、時間はまさに光の矢のごとく進んでいった。
騎士科の毎日が薄味というわけでは決してない。
授業や訓練が目白押しで、息つく暇が合間にないくらいには毎日が忙しい。
ただ初日の密度を考えたら相対的に印象が薄くなるというだけなのだ。
まぁそういうわけで、あの日から早一週間ほどの日数が経った。
「これにて本日の訓練を終了するッ!明日の訓練に備え、各自休養するようにッ!」
「「「はいっ」」」
キリル先生の号令が轟いた。
クラス全員の威勢の良い返事が追って響き渡る。
空はもう茜色に染まっており、地面との境目のあたりなんかはすでにうっすらと暗くなっていた。
「があぁ~…。疲れた…」
「ようやっと1週間終わりだぜ…」
「まぁ明日も訓練はあんだけどな」
先ほどまでピシリと正されていたクラスメートたちの姿勢が、風船の栓を抜いたみたいに脱力した。
かくいう俺も、ようやく肩の力を抜くことができた。
騎士科ではこういった姿勢に関しても統制を図ってくるので大変である。
訓練中も授業中も力を抜くことはできない。
「アルクスくんっ。おつかれっ!」
頬を垂れる汗を拭っていると、そんな快活に俺を呼ぶ声があった。
「エマさん、お疲れ様です」
「うんっ、今日も一段と疲れたねぇ」
そうは言いながらまったく顔に疲れを出さないのは、例の主人公エマである。
本編ではここまで躍動し、汗を流す姿はなかったので、『セレスティア・キングダム』のファンとしては結構テンションが上がるところである。
とはいえそれを表に出したら変人だし、そも15年以上この世界で生きているので、ファンとしての観点は徐々に失われつつもある。表に出るほどに高ぶることはまぁない。
「あ、この前してくれた剣術のアドバイス、参考にしたら先生に褒めてもらえたのっ!本当にありがとうねっ」
よろこび勇むような様子で、にこにこと彼女はそう言った。
剣術が苦手だからと、以前エマから相談を受けた。
その時にしたアドバイスが実を結んだらしい。
それはよかったよかった。
「いえ、友人として当然のことをしたまでですよ」
「いえいえ、そんな謙遜しないでくださぁいっ!」
俺がそう言うと、エマはおどけたような口調をしてみせた。
つい出てしまった仕草を真似されて、俺は苦笑する。
「おーいアルクスっ!」
そうしていると、少しだけ遠くの方で誰かが俺を呼ぶ。
視線を声の先に向けてみると、そこには先ほど訓練を共にしていたクラスメートたちがたむろしていた。
「今日、寮の奴らで飯食うんだけど、お前も来ねぇ?」
グループの中のひとりが、声を張って提案してきた。
実に乗りたい提案ではあるが、今日ばかりは頷くことはできない。
「すいません。今日はこのあと用事がありますので、」
そう俺が言いかけたところで、誰かが「あぁ~」と納得したような声を漏らした。
「そういや週明けだもんな、選挙」
「うわ、もう来週か」
「よっ、生徒会長っ!」
「アルクスに投票するから、頑張ってね!当選したらなんか奢ってね!」
クラスメートらが口々にそう言った。
軽口を言ったり冗談を言ったりする者もチラホラ。
まだ一週間しか経っていないが、しかし一週間も経っている。
このキツイ一日を7回も共にしていれば、打ち解けない方が難しいというものだ。
「…会長には立候補してませんから。あと、清き一票でお願いいたしますね」
控えめにそうツッコミを入れておく。
幾許か言葉を交わした後、「じゃあ、またいつか!」と言いながら去っていく彼らの姿を見送った。
「そっかぁ。実は私も、アルクスくんとエレットちゃんとでご飯食べたかったんだけどなぁ」
彼らが見えなくなったところで、エマが残念そうな口ぶりでそう言った。
エレット。
協同試験にて一緒になった、彼女の事か。
エマの話によれば、彼女も受験に合格していたらしい。
同じグループでしかも平民出身の3人が全員合格するだなんて…と、知ったときは大層驚いたけれど、学園内で顔を合わせたことはまだない。
俺も挨拶くらいはしておきたいのだが、いかんせん都合が合わないでいる。
「すいません。そちらはまた別の機会に」
「ううん!気にしないでよっ!この学園にいるあいだはいつでも会えるしね!」
謝罪の意を述べると、エマは気にする必要はないといわんばかりに大げさに手を振って、そう言った。
ありがたいところだが、しかしいつでも会える…というのはわからない。
物理的な距離こそはそこまでないけれど、しかし時間と余裕を考えると案外会える回数とかは限られてくる。
それこそ約束を取り付けて会おう!としない限り、会話を交わすのは割と難しいと思う。ましてや異性で寮も違うわけだし。
だから、近いうちに会えたら良いなと思う。
こういうのは引き延ばすと気まずくなるものだ。
「それでは。エマさん、また明日」
「うんっ、またねっ」
エマも小走りに去っていき、女子たちのグループに加わった。
女子人数が少ないゆえか、うちのクラスでは女子同士の結束がかなり強い…と思われる。
異性間で壁があるというわけでもないが、まぁやはり、同性でないとわかり合えない部分もあるだろう。少人数ともなれば仲間意識もおのずと強まるはずだ。
まだ談笑できるような間柄の女子はエマしかいないので、まぁ、彼女たちともおいおい仲良くできたらいいね。
そんなことを考えていたら、気づけば訓練場には俺一人。
さて、俺も行くとしようかな。
あまり遅いと、彼女に怒られる。
わずかな憂慮をしながら、俺は訓練場の出口へと歩みを進めた。
「あ!ちょっとまって!」
そんな俺を、彼女の声が引き留める。
「……どうしました?」
振り返ると、急いで戻ってくるエマの姿があった。
息は切れていないが、駆け足できたのか髪が乱れている。
「エマさん、じゃないでしょ?」
にやっと笑みを浮かべながら、彼女はそう言った。
あぁそういえば…と納得がいって、俺は苦笑いをしながら頬をかく。
「…エマ、また明日」
俺がそう言うと、エマはにやーっという笑みからにこーっというふうに雰囲気を変えて見せた。
「そうそう!それじゃあね!」
満足げに声を弾ませながら、また彼女は去っていく。
…同級生なんだからタメでいこーよっ!というエマの提案である。
なんだか壁を感じてしまうから、とりあえずさん付けから減らしていこうとのことだ。
…だがなぁ。
この世界に生まれて15年。
意識してきたわけではないがずっと敬語を使ってきた。
まぁ周りが全員目上の人しかいなかったということもあるが…
そういうわけだから敬語は俺の舌にしみついてしまっており、これを矯正するのは結構難しいのではないかと思う。
今後、こういうやり取りは何度かする羽目になりそうだな…。
なんて思いながら、俺は改めて訓練場を後にした。
***
生徒会立候補を決めたあの日の、噴水へとやってきた。
貴族科と騎士科の棟を線で結んでみると、ちょうどこの広場辺りが真ん中に来るくらいなので、待ち合わせとして最適なのである、おそらくはこのために設計したのではないかと思うくらいには。
そういうわけでここで待ち合わせる予定だったのだが、珍しいことに、まだ彼女の…エレオノールの姿は見えなかった。
貴族科は騎士科ほどはハードではない。
ということは、何か用事が入ったのだろうか。
彼女のスケジュールを完全に把握しているわけでもないし、ここで待つほかに手立てはないので、とりあえずベンチにでも座っておくことにする。
…そして、しばらくそうしていると、背中の方で人の気配を察知した。
エレオノールが来たのか…と思ったが、いや、あながち間違いではないが、しかし一人ではいなかった。
振り返って見ると、そこには貴族科の生徒と思われる男と、その後ろを歩くエレオノールの姿。
友人かと思われたが、なんだか妙な雰囲気を感じ取って俺はなぜだか気配を消す魔法を唱え、物陰へと身を隠した。
そして二人は、さきほどまで俺がいた噴水の目の前で向かい合った。
息を殺しながら、「いったい何が起ころうというんだ…」と様子を窺っていると…
突然、男の方が膝を突いて
「レディ・エレオノール。どうか私と、婚約してくださいっ」
咄嗟に、バッと俺は立ち上がった。
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