第42話 いっしょに


 時間が過ぎるのは早いというもので、救護室を出ると空は橙色に染まり始めていた。


 ホームルームがそれなりに長く、かつ決闘騒ぎなんてものがあったから仕方がないことなのだが、それにしても先ほどまで青空だったことを考えるとめくるめく時間の流れを感じられるなぁ。


  いや、そんな呑気に考えている場合じゃなかった。 


 約束があるだろうって。

 エレオノールとの約束が。


 先ほどバッタリ会ったけれど、彼女はもう待ち合わせ場所の噴水にいるだろうか。

 待たせてしまったら面目が立たない。そもそも使用人として、主人を待たすなんて何事って言われてしまいそうだ。


 急ぎ足で噴水の広場へと向かう。

 結局荷物を寮に預けられなかったが、この際仕方がない。


 前世におけるスクールバッグのような形をした鞄を揺らして、俺は走った。


 

 広場に出た時には、周囲はうっすらとした暗闇が広がり始める。

 しかし視界にはそんな辺りの明度の低下を受けて、より一層に輝きを帯びるオブジェクトが映った。


 ぴかぴかと…なんというか前世の自動販売機を思わせるような明かりを放つ、噴水。

 まぶしい水の飛沫が散らされているが、その噴水の縁には、より一層の存在感を放つ人物が腰を据えていた。


「エレオノール様っ」

「っ、アルクス」


 水面の一点を見つめていた彼女の視線が、こちらへと向いた。


「お疲れ様です。異常はありませんでしたか?」

「はい、この通りです」


 まぁ、確認すらしてないんだけど…そこは仕方がなかったということで。


 ちょっと異常な人とは遭遇しましたけどね、なんてことは言わないでおく。


「それなら良かったです。…でも、いろいろ大変だったみたいですね」

「…ですね。まだ初日なのかという心労ですよ…」


 大袈裟っぽく体を項垂れてみせた。

 実際それくらいはしたいほど、今日は疲れてしまった。


「さすが、アルクスですね。貴族科の方でも大いに話題になっておりましたよ」


「…本当ですか?」

 

「ええ。皆さん、貴方のことを凄い凄い…なんて。もう貴族たちのハート掴んでいるのですね」


 ハートをつかむだなんて、ちょっと誤解を生みそうじゃないか。

 おおかた、俺の戦いぶりなんかを見てコネをつくろうとする者が大半だろうし、もしそうならこちらから手放したいところである。


「そんなつもりは全然ないんですが…。内心では平民が生意気な、みたいな人も中にはいると思いますけどね」


「まさか。確かに…少々批判的な方々もいらっしゃいましたが、ちゃんとをしたらアルクスの凄さをわかってくれましたよ」


「…えぇ」


 エレオノールの笑っているのにどこか背筋が冷や冷やするような表情が…怪しい宗教の伝道師のように見えてならない。


 彼女は俺を半ば神格化していそうだからな…。

 そろそろ親離れ…ではないけど、自立できるようにしなければならない。

 この学園生活で何か変わると良いが。



「まぁ…僕の話はもういいでしょう。エレオノール様はどうでしたか?学園の初日は」


「そうですね…。先ほども言ったように、お話相手ができまして。いろいろなお話をさせていただきました」


「それは良かった。やはり、学園生活には友人が不可欠だと思いますので……あ、同性の方ですか?」


「はい。男性は少し…なんだか敬遠されているような気がしましたので」


 あぁ。


 貴族科の男子諸君…緊張しちゃったんだろうな。

 もし俺が同じ立場だったとしてもきょどった反応を取るだろうし、仕方がない。


 眩しいかもしれないけど、どうか慣れてやってくれな…。

 ついでに、仲良くなったら面は見せといてくれな。


 なんて後方父親面をしたつぶやきを心の中でしてみる。

 彼女の依存は俺のせいでもあるかもしれんな。


「まぁ初日ならそういうものですよ。これから仲良くなっていければ良いですし、接する機会も多くありますしね。放課後の活動ですとか…」


 ぼーっと、頭上を見上げた。

 空はもうすっかり夜の様相で、星がちらちらと姿を現し始めている。


 そこでふと、思い至った。


「…そういえば、エレオノール様は何か委員会に入るのですか?」


 疑問を口に出すと、彼女はドキンッという風に体を震わせた。


「……いえ、私は少し決めかねていて…。ア、アルクスはどうなのですか?」


「僕は入りません…というか不可能だと思いますね。いろいろと忙しくなりますから」


「そう、…ですか」


 俺の返答に、エレオノールは少しだけ残念そうな感情を声に滲ませていた。

 …しかし俺は疲れ故なのか、それに気づくことはなく。


「でも、エレオノール様は検討してみてもいいと思いますね。今しかできない貴重な体験ですから。そういえば、貴族科には部活動なんてものもありますしね」


 訓練に集中するため…という名目で騎士科にはないが、貴族科には多種多様な部活動が存在する。

 これは原作でも描かれていたところだ。


 テニス…とは言われていないけど、同系統のスポーツの部活があり、そこに王子様イケメンが所属していたっけ。

 

「いろいろな選択肢を検討してみれば…」


 体を伸ばしながら、他人事みたくそう言った。

 だがまぁ、ここは本当に他人事だ。

 言い方は悪いけど、彼女自身が決めることだしな。



 そんなことを思っていた…のはいいのだが。

 どうやら俺は、想像以上に疲れがたまっているらしく。



 体の重心を後ろに傾ける。

 背後には、噴水しかないというのに。


「うわっ!!」


 当然のように俺の身を預ける先はないわけで、体がわずかな浮遊感に襲われた。


 このままいけば水ポシャだ。

 咄嗟に体を捻り、縁に手をついて体を支える。


「…す、すいません。どうしてか背もたれがあるものだと思ってしまい…」


 自分でもなんてマヌケなことだという感じだ。

 危うくビショビショだったということに緊張を覚え、冷や汗を拭おうとする。


 そうしたところで、気が付く。


 俺の右手がエレオノールの手に触れていた。


「あぁっ!?すいません!け…怪我はありませんか?!」


 咄嗟に手を引っ込めて、謝罪の意を述べた。

 体を支えようとしたわけだから、それなりに強く抑えつけてしまったのではないだろうか。


 そうだとしたら、なんて申し訳が無いことか。


「…」


 彼女は沈黙している。

 俺が触れた手を見つめながら。


「あの、エレオノール様───」


 心配になって声をかけたところで、彼女はちらりと視線をこちらに向けた。


 そしてその瞬間、俺の手に温もりが宿る。


「…どうされました?」


 真っ直ぐとこちらを見つめ、手を両手で握るエレオノール。

 突然の行動に俺は目を丸めた。


「ごめんなさい。今からわがままを言ってしまうのですが…アルクス」


 ポツリと、彼女は口を開く。

 どこか歯切れの悪い様子を見せて視線を迷わせるが、俺の名を呼ぶと同時にその黒い瞳の焦点を俺に合わせた。


 そして


「私と一緒に……に入りませんかっ?」


 

 ……え?


「生徒…会?」


 思いがけないワードを控えめに反芻した。

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