第37話 エレオノール攻略法



 ホールデン家は、ここ数十年で幅広い業界に勢力を伸ばし、成功を収めてみせた大商人の家系だ。


 その多大なる功績と、貴族のネットワーク拡大を狙い、今より二世代前の代で君主から男爵の爵位を授けられた新興貴族の家でもある。


 それゆえに、古くからの貴族には既に失われつつある“”というものが、彼らの中ではまだ燃え尽きていなかった。

 伯爵や侯爵あたりの貴族にみられる、保守的な凝り固まったぬるま湯につかっていない。


 つまりは、ホールデン家は勢力拡大に奔走中ということだ。

 

 上位貴族たちとの繋がりや、これから大きな権力をもつであろう人物との縁。

 自分たちの財力、そして人的資源を駆使してそれらを獲得しようとしていた。


 商人ということもあって、多岐にわたる人脈コネの重要性は人一倍に理解しているのだろう。

 

 そんな家系が、ライティシア学園という、人脈の宝庫ともいえる環境を無視しないわけもなかった。


 上位貴族からこれから大成するであろう実力者まで、有望な人材が揃いにそろっている場所だ。

 学園ということもあって、お近づきになろうとするのも難しくはない。

 まさに彼らにとってうってつけのコミュニティである。


 そういうわけで送り込まれたのが、ホールデン家が長女のコレット。

 彼女もまた家の姿勢に習い、目ざとく人脈を広げようと奮起していた。


 最初に目を付けたのは、首席として圧倒的な異彩を放っている、アンシャイネス家の娘。

 伯爵家という地位ではあるものの、今後頭角を現し、公爵や大公の地位を持ってもおかしくはない。そういった上位貴族たちも彼女を無視はしないだろう。

 もし現実となったときに、関係をもって困るようなことはない。


 そのような判断を下したコレットは、さっそく幼少期から叩き込まれた人心掌握の技術を念頭に置きながら、接触を試みた。





 結果、数時間後。



 

 商人貴族の末裔は、額に汗を滲ませていた。

 隣でアンシャイネスの娘、エレオノールに戦慄しながら。


 

 コレットが話題として出した、騎士科首席の青年。

 

 人間観察を得意とする彼女は、彼とエレオノールの間に何かしらの縁があるだろうということは確信していた。

 そしてエレオノールの態度から、その青年が何か非常に大切な存在であろうことも勘付いていた。

 

 人間というのは、基本的に色恋沙汰が好きなもの、というのがコレットの持論である。

 特に年頃の乙女なら尚更で、これをキッカケで仲を深めるというのもまた珍しい話ではない。


 これでキッカケは作れる。


 そうコレットは踏んだわけなのだが…。


「私が…昔のことを思い出して落ち込んでしまった時、アルクスはそっと近くで寄り添ってくれて…。傍に居てほしいと我儘を言ってしまった時も、何も言わず微笑みながら、私の頭をなでてくださったんですよ────?!」

「アルクスは、魔法も剣術も凄く得意なんです。直属の騎士団長にも軽々と勝利してしまうくらい強くて…、私が森で魔物に襲われた時も、颯爽と退治して見せて…『ご無事ですか』なんて言って───…」

「こんなにかっこいいのに、アルクスには可愛いところもあるんですよ?入学試験で一緒に夜遅くまで勉強していたのですが…。彼ったら私の肩に頭をのせて眠ってしまって…『エレオノール様…』なんて寝言を────!」




(なんか、すごい…多くない?)


 惚気…とでも言うのだろうか。

 エレオノールの語りが止まらなかった。

 

 コレットも大概お喋りではある。

 相手を飽きさせずに引き留める、商人の話術を教え込まれているからだろう。


 だが、エレオノールは…本当にとどまることを知らなかった。

 

 そもそも、首席の青年…アルクスに関する引き出しが多すぎる。

 各エピソードも、いつどこでどのような場面で、という三拍子が揃っており、謎に記憶の精度が高い。


 それゆえに、そんな完璧超人ありえないだろ…というようなエピソードも、どこか真実味を帯びている。


(こんなに虜にするなんて…、いったい何者なのかしら、アルクスって人は…??)


 コレットがつけ入って話す余地はなく、ひたすらに困惑の感情と、アルクスという謎の人物への疑問で脳内は埋め尽くされていた。



「…あ、すいません。少し話し込んでしまったようですね」


「…い、いや。全然っ!本当…凄い人なんだなって…」


 (少しどころじゃないでしょ…!)と心の中で突っ込みながら、コレットは笑みを作った。彼女には珍しい、無理な笑みであった。


「ふふ、そうなんです。アルクスは強くて…優しくて…かっこよくて」


 しかしそれには気づかないという様子で、頬に手をあてながら、エレオノールは熱のこもった声を漏らしていた。


「あ、あぁ~。聞いてるだけでもなんだか憧れちゃうなぁ」


 また機関銃じみた惚気が始まる予兆を感じ、コレットは誤魔化すようにそう言った。

 どんな人間でも、これ以上聞いていたら胸やけを起こしそうな勢いだ。


 …だが どうやらそれは悪手だったようで。



「…それ、アルクスのこと、?」



 ぞくりと、背筋が凍り付くような冷ややかな声がエレオノールの口から発せられた。 

 図太いコレットも、これには全身の毛が逆立つ。

 冷や汗が滲み、言いえぬ圧迫感が肺の中を襲う。


「いや、いや…いやいや。そんなまっさかぁ。私なんか、絶対…無理よ。そんな、ねぇ?」


 取り繕うように言葉を紡ぐ。

 だが、いずれも途切れ途切れで苦し紛れ。


 エレオノールの射殺すような視線も止まない。


「それに、それによ?今の話聞いてたらさぁ…」

「聞いてたら、なんですか?」


 ずいっと顔を近づけてくるエレオノール。

 先ほど、愚かにも彼女との距離を見誤った男のように、力ない呼吸の音が漏れそうになる。


 しかしなんとか平静を保ちながら、笑みを崩さずにコレットは言った。



「…アンシャイネスさんと、すっごいだなって…思ったし」


 キュッと目を瞑りながら、彼女を放つように言った。


 …。


 …。



 冷たい視線と、雰囲気が止む。

 幾許かの空白が生まれ、静寂が流れる。


 何事かと恐る恐る目を開くと、コレットの目には、エレオノールの姿が映った。


「お…お似合い、ですか?私と、アルクスが?」


「…っ! うんうん!そう!もうこの組み合わせしか考えられないなって、運命だなって思うくらい…すっごくお似合い!!」


「本当…本当ですか…?」


「えぇ!まさに神様が引き合わせた二人!!」


 先ほどの怯えはどこへやら、勝機を見出したかのように舌を回すコレット。

 考えつく言葉を必死に並べ立てた。


「…えへ、えへへ。そう、そうですかぁ?お似合い…ですかぁ?」


 緩み切ったような笑みを浮かべ、絹糸のように美しく長く伸びる黒髪を、両手でくしゃっといじる。

 居るだけで羽虫を殺すような威圧感はとうに消え、そこには照れ照れとする乙女の姿しかなかった。



(はあああああ…、危なかったあああああ)


 その様子を見て、コレットはいろいろな意味が含まれている溜息を吐いた。

 きっとその中には、命の危険から脱した安堵も含まれているのだろう。


 圧迫感が消え、脱力感が彼女を襲う。


(…でも、アルクス…って人のことをとやかく言わなければ、良好な関係は築けそう…ではあるわね)


 束の間、コレットはめざとくエレオノールとの関わり方を分析した。


 アルクスという男にひどく執着しているのは、火を見るよりも明らかだ。

 その地雷さえ踏み抜かなければ、敵対することはないし、おそらく良い関係でいられるだろう。


 恐ろしくどす黒い感情を向けられた矢先、コレットは図太くそう結論付けた。



「…でも、騎士科だからあまり一緒に居られないのは残念ね」


「っ。…そうなんです。授業も長くて多いと聞きますし…。すぐ会える距離に居るのに傍にいられないなんて…」


 エレオノールは残念そうに俯いた。


 同じ施設、同じ敷地内にいるものの、貴族科と騎士科が交わる状況というのそれほど多くはない。

 かみ合えば、ほとんど関わることもなく学園生活を終えるということもある。


 彼女にとっては大きすぎる問題だった。


(…これは、ちょっとチャンスじゃない?)


 コレットは、しめたという笑みを心の中で浮かべた。



「なら、もっと一緒にいられる方法。教えてあげるわ」


「!?、そんなもの…あるんですかっ?」


「ええ。それはね───」



………

……



「おーーーい!!!やべぇ、やべぇぞ!!」


 遠くの方で、大げさに声を張りながら誰かが走ってきた。

 近くに居た者が、何事かと声をかける。


「なにそんな興奮してんの?」

「いや、やべーんだって、騎士科の方!」

「騎士科ぁ?」

「あぁ、なんてったってよぉ」


 荒れる息を整え、たまった唾を飲み込み、男は言った。



「首席とA級のシーカー上がりが、らしいんだぜ!?」



「…アルクスがっ?!」


 エレオノールは、血相を変えながら上擦った声をあげた。 

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