第36話 商人貴族は見透かしている
「───さて、以上でホームルームを終わります。新しい環境で疲れもあるでしょうが、各自、授業に向けて準備をしておいてくださいね」
お婆ちゃんな教師がホームルームの終了を告げる。
張り詰めた空気などはすでにない。
自己紹介や委員会紹介など、これからをときめくような情報を耳にして、みな先ほど感じたような恐怖や圧迫感はなくなっていた。
担任教師の和やかな雰囲気も理由にあるだろうか。堅苦しい態度ではなく和やかな口調で生徒に向き合ったからこそ、今彼女が去ってもなお、和気あいあいとしたムードが流れている。
そういうわけで、エレオノールが発した威圧感はみなの記憶からなくなりつつあるのだが、さりとて実際にソレを向けられたものはそういうわけにもいかない。
小一時間のあいだ、ドギーだとかいった男はゲッソリしたような表情を浮かべ、ホームルームが終わってもなお青冷めたまま。逃げる様にそそくさと教室を出て行ってしまった。
だがそんなことに気づいた者はクラスの中ではいない。
みな新たな仲間と親交を深めているし、エレオノールに至っては彼の存在すら既に記憶から消している様子であった。
「アンシャイネスさんは、このあとどうするの?」
彼女の隣に座るコレットが、荷物をまとめながらそう問う
「…私は、この後は用事がありますね」
「そう…。それって、この後すぐだったりする?」
「それは…、わかりませんね。人との待ち合わせですので」
エレオノールの返答を聞いて、コレットは視線をやや下に伏せって、思考を巡らせる。
何かを探るような目つきにも見えなくもないが、その後にはすぐに、パッと視線を上げて明るい声で言った。
「なら、待ち合わせ場所まで一緒に歩かない?」
人差し指を立てながら、満面の笑みを浮かべてそう言う彼女。
とはいえ、そこまで構ってくる違和感にエレオノールは訝しむように眉を詰めた。
「あぁ、ごめんなさい。ちょっと怪しいわね。ただ折角だから貴女とお話ししたいなって思って」
コレットは慌てて取り繕うように腕を振る。
だがそれだけで警戒心が薄れるわけでもない。
「私と話しても大して面白くないと思いますが」
「そんなこと絶っっ対ないわ!!アンシャイネスさんは謙遜しすぎっ」
大袈裟に言ってみせるが、盛り上げるように言っているという様子でもない。
真摯にそう思っているのだろうことはなんとなくエレオノールにも感じ取れた。
「…あ、でも嫌だったら良いからね?人の用事につっかかるような真似しちゃってるわけだし」
途端に縮こまるようにして言う。
どこか申し訳なさすら感じさせる雰囲気は、コレットという少女の特性か、はたまた策略か。
「……わかりました。ホールデンさんがそう言うなら」
「ホントっ?!とっても光栄だわっ!」
コレットはパンっと手を合わせて、咲き誇るような笑みを浮かべて見せる。
それはどこか、相手をも笑顔にさせるようなオーラを纏っており、エレオノールも笑みを浮かべる…ことはなくとも、警戒心は薄らいでいった。
「あ、私のことはコレットでいいわ。ホールデンって名前、あまり好きじゃないの」
「そうなのですか?…では、コレットさん。一緒に行きましょうか」
「あはっ。よろしく、アンシャイネスさんっ」
そんな会話を繰り広げ、二人の少女は教室を後にした。
***
「そういえばこの前、魔法使いの人がおっしゃっていたのだけど───」
「───そうなのですか?」
「この学園には冬終わりくらいに乗馬を競う大会が───」
「───それは楽しそうですね」
「近頃、シーカーの間で魔物由来の香水が流行っているようで───」
「───とても興味深いです」
会話は、全くもってキャッチボールではなかった。
コレットは弾丸のようにトークテーマを投げかけるが、エレオノールはそれを全て一言で迎撃する。
まるでマシンガンとシェルターのごとくに会話が繰り広げられていた。
両者の性格を鑑みれば、そりゃそうなるだろう、となるのだが、いかんせんコレットがどうしてそこまで構うのかがわからなくなる。
「あ、そうそう。さっきも言ったけれど、アンシャイネスさんのスピーチ良かったよね」
「ありがとうございます」
懲りずにコレットは話題を振り続ける。
そして返ってくるは、依然と変わらぬ端的で続かない答え。
だが、
「流石首席だなぁって思ったわ。隣の…騎士科の人も凄かったしね」
そうコレットが言うと、エレオノールは不意に足を止めた。
先ほどとは全く変わった反応に、コレットも遅れて立ち止まる。
「…彼、ですか」
静かに目線を伏せって言う彼女。
コレットは、口角を少しだけ上げた。
おそらく誰にもわからないという程度。
百発打ってようやく矢が命中したかのような、あるいは狙いの魚がいるスポットをようやく発見したかのような…見下すようなものではないだろうが、そういったようやくという感情を滲ませていた。
「うんっ。立派な姿勢と態度、声にも凛々しい雰囲気が漂ってて…やっぱり騎士を志す人はかっこいいわよね」
「そうですか…、そう、ですよね」
「アンシャイネスさんもわかる?同い年と思えないくらいしっかりしてて、大変なところを颯爽と助けられたらトキめいちゃうわよねぇ……」
コレットの言葉に、エレオノールはそうだそうだと頷いて見せる。
頬を赤らめて恥じらうような、それでいて何かを誇るかのような。
一見どういった感情なのかわからないが、しかしその様子をみて、商人貴族の末裔は、確信へと至る。
「ねぇ、待ち合わせる人って、あの彼のことでしょ」
自信満々な笑みのコレット。
「……なぁっ?!」
数秒の空白の後、エレオノールは素っ頓狂な声を挙げた。
この日のうち、最も感情的な声だったといってもいい。
「なんでって顔してるけど、そりゃあわかるわ。スピーチの時も妙に近かったし、彼のことを悪く言おうとしてる人の事、脅かしてたでしょう?」
コレットはそんな彼女をみて、ひらひらと手を振りながら言った。
「さっきの…かみかみなんて言ったかしら?突っかかってきた人にも、彼の話題が出てきた途端に怒ってたし」
「それは…仕方ないでしょう。…許せなかったのですから」
恥じらうように、それでいて確かな意志をもってそう言うエレオノール。
「ねぇ、どういう関係なの?馴れ初めは?何歳から?私。その手の話、大好物なの。よかったら詳しく聞かせてくれない?」
ますます興味をもったという風に、コレットは質問攻めをした。
そんなことされて戸惑わないはずもなく、エレオノールは頬を真っ赤にしながら目をぐるぐるとさせた。
そもそも、人の関係をズケズケと聞くなんて不躾ではないか?
別に話をする必要もないだろう。
そう考えたっておかしくはないし、事実エレオノールも思わないこともなかった。
…が、
「彼とは…アルクスとは、7歳からの仲で───」
普通に話し始めた。
エレオノール・アンシャイネスは、惚気るタイプの乙女なのだった。
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