第35話 御令嬢が怒れるは
王立ライティシア学園、貴族棟のとある教室。
新入生たちがあつまる空間。
大抵はみな知らぬもの同士であり新しい環境ということもあって、緊張からくる静けさが漂うものだが、ことこの教室においてはまた別の理由による静寂が満ちていた。
そんな妙な空間に、またひとりの新入生が足を踏み入れようとしている。
彼も新入生特有の緊張感を噛みしめるひとりであったが、扉を開け放ったその瞬間、胸の中の感情は別のモノへと染め上げられた。
「…美しい」
こぼれるように、彼の口はそんな言葉を紡ぐ。
容姿端麗、雲中白鶴。
沈魚落雁、閉月羞花。
世のありとあらゆる美貌を表現する言葉は、
かの少女───エレオノール・アンシャイネスのために存在しているのだろう。
この場にいる誰もが、そう確信していた。
「………」
浴びせかかるような視線の渦中にいるというのに、エレオノールはなんら気負うような素振りはない。
瞑目し、何かを思慮深く考えるような仕草で席についていた。
その姿はまるで、巨匠の彫刻なのではないかと思われるほどに洗練されていた。
窓から差す陽光が、艶やかにのびる漆黒の長髪に吸収される。
そのせいか、どこか神々しいとすら感じさせるオーラを纏っていた。
…しかし、この異様ともいえる静寂の理由は、彼女の“美しさ”だけではなかった。
「ねぇ、」
ひとりの少女の声が、この空間の静けさを破る。
場の全員が、何者だと戦慄した。
「アンシャイネスさん…だよね?」
エレオノールは、宝石のような瞳をうっすらと開き、声の主の方へと視線を送る。
そこに居るのは、茶髪で橙色の瞳を持つ少女。
これといって特筆した部分があるわけではない。
田舎者特有の無垢さと飾り気のなさを感じさせる、ある意味ではエレオノールと対極に位置するような者だった。
「…そうですが」
「よかった、間違えてなかった。私、コレット・ホールデンていうの。よろしくね」
ニカッと笑顔を咲かせる、コレットと名乗った少女。
大半の人間は、あぁ、何をやっているのだ彼女は…という、呆れとも同情ともいえる感情を胸に秘めた。
案の定聞いたことのないような家名。
それでいて、馴れ馴れしく会話をしようとするなんて。
彼女の発する圧倒的な不可侵のオーラを前に、誰もがそう思う。
だからだろうか、エレオノールがとった次の反応は、彼らにとって意外なものであった。
「ホールデン…。商人出身の男爵家でしたか」
「あら、
「まぁ、多少ですがね。こちらこそ、よろしくお願いします」
にこやかな微笑を浮かべながら、エレオノールは手を差し出した。
コレットも少しだけ驚いたような表情をみせるが、すぐに彼女の手を握り返す・
……そのやり取りを見ていた周囲の新入生たちは、内心でざわめきたっていた。
さながら、絵の中の人物が突然動き出したかのように衝撃的な光景だったからであろう。
あるいは、何を考えているかもわからぬ化け物が友好的な態度を示した、というようなものか。
エレオノールの恐ろしさについては、すでに新入生らで共有されつつある。
それは彼女の実力や才能に対する畏敬の念として感じている者もいるし、純粋な恐怖として感じている者もいる。
前者については、彼女が入学試験において素晴らしい成績を残し、首席入学して見せたからというのが理由だろう。
テストで居合わせた者ならば、魔法や騎乗術、礼儀作法などの実技科目にてその才能を遺憾なく発揮していたことを知っている。
後者については…、先ほどの入学式に出席していた一部の者たちが当てはまろう。
理由のわからない、言い知れぬ恐怖と殺意。
そんな物騒なことを、なぜかスピーチ中壇上に立つ彼女から感じ取ったらしい。
いずれにせよ、エレオノールに対してはどこか気おくれするような感情を抱いていたというわけである。
「私、貴女の事を一目見た時から、友達になりたいなぁって思ってたの」
「そうなのですか、それはなぜ?」
「だってほら、こんなに綺麗な人そうそういないでしょう?」
「ふふ、お上手ですね。私よりも綺麗な人など、この学園にはいくらでもいますよ」
エレオノールは謙遜するように手をひらひらと振るが、コレットはそんな様子も…と言わんばかりだ。
そんな様子を見て、ギャラリーと化したクラスメートたちは、彼女に対する印象を改め始める。
…意外と、フレンドリーな方なのでは?
それほど堅苦しく手厳しい人ではないのかもしれない。
わだかまりとなっていた物が取り除かれつつある。
…だからだろうか、少々見誤る者もあらわれる。
「さっきのスピーチにしても、なんだかカリスマって感じがしてさ───」
「ええ!全くもってそのとおりです!!!」
コレットの言葉を遮って、調子のいい男の声が響いた。
「これはこれは失礼。私、ドギー・カミカムと申します。先ほどのエレオノール様の素晴らしきお姿を見て、感銘を受けまして」
ムッとするような表情のコレット…には目もくれず、怪訝な様子のエレオノールを見て、男はそう名乗った。
にっこりと悪徳商人のような薄っぺらい笑みを張り付けて、両手をニギニギと握っている。
総じて、胡散臭い雰囲気を醸し出していた。
「佇まい、息遣い、発声や振る舞いに至って、すべてがまさに天上人のソレのようでしたヨォ!」
「…そうですか。それはどうも」
矢継ぎ早に褒め称えるような言葉を連ねるが、エレオノールの表情は明るくなるどころか訝しむばかり。
「ええ!本当に素敵でございました!隣に立っていた騎士科の者などでは比肩できない見事なスピーチで───」
それを面白く思わず、もっと過剰に賞賛してみせるが……。
その時、教室全体の空気が文字通り一変した。
「………今、なんと言いましたか?」
エレオノールの、足元の影が蠢く。
艶やかな黒い髪がヌラリとゆらめき、それと同化したようなドス黒い魔力がうねって表れた。
その場にいた全員に、言いえない緊張が走る。
呼吸さえもままならなくなるような、強烈な威圧感がこの空間を支配した。
「み、見事な…スピーチで」
「その前です」
「比肩できない……、騎士科の者などでは──」
「……ハぁ」
彼女のため息に、ドギーとかいう男は凍り付いたように全身を硬直させる。
呼吸音と心拍音がやけに大きく感じられ、妙に広がった額に嫌な汗がにじむ。
「あなたは、彼のことを貶しているのですか?」
「い……ぃ、え。そんなつもりは…」
「騎士科の者など、とおっしゃられていたではないですか。身分差別の心根が透けていますよ?」
エレオノールの目つきが、突き刺すような鋭利なモノとなる。
「この学園では身分について不問となっておりますので、そういった考えは改めた方がよろしいかと。それに、初対面の相手に対して気安く下の名前に呼ぶのもどうなのでしょうかね」
あくまで感情的ではない、諭すような言い方。
だがそれはあくまでであり、烈火の如き怒りを孕んでいることは一目瞭然であった。
「…申し訳…ございません、でした」
フルフルと震えながら腰を折り、謝罪して見せる。
「謝るなら彼に…それと、平民のみなさまと学校長にしてください」
だがそんなものは一切興味ないというような眼差しを向け、エレオノールはぴしゃりと一蹴した。
脂ぎった汗が全身に張り付いたドギーは、「カヒュ」というような力ない呼吸をして、トボトボと教室を出て行った。
後には、飄々とした表情のエレオノール。
そして背筋が凍り付いた他のクラスメートのみなさま。
先ほどとは別ベクトルの静寂が、この空間に漂う。
「……あ、えっと。なんか私の話に乗っかってきたけど、私はアイツみたいに思ってないからね?どっちもすっごく良かったし」
「…ふふ。そうですか。まぁ、彼の方が私よりもずっと優れていたと思いますが」
弁解するように言うコレットに対し、エレオノールは微笑みを返す。
そこには確かに怒りは含まれていない。
…が、妙な恐ろしさのようなものは隠れていた。
その後の話にはなるが、「エレオノールの前で騎士科の首席に何か言っちゃだめだぞ!」という暗黙の了解が広がるのは、そう遅くはなかった。
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