第32話 井の中の蛙、市井を知らず


「えっと、お久しぶりですね。エマさんも合格できたのですか」


 俺は胸中の戸惑いを表に出さないよう努めながら口を開いた。


 この感情の理由は主にふたつ。

 ひとつは…まぁ、前回。エレオノールにこってりと怒られてしまったから。

 エマとみだりに接触して、また昏睡拘束されてしまったら流石に堪らない。


 そしてもうひとつは……主人公エマが騎士コースに入学したということで、いよいよ本当にストーリーが逸脱してしまったということである。


 同じ学園内とはいえ、攻略対象との関わりはメッキリ減ってしまうわけだし、それに付随してこれから起こる事態にいろいろと齟齬が起きてしまう恐れがあるわけだ。


 …まぁ、ラスボスを務めるエレオノールが闇堕ちしていないだけ、まだトンデモナイ事態になることはないと思うけど…。

 本編の彼女は本当にえげつない行為をやってのけるからな…。



「うんっ!まさかホントに受かっちゃうなんて~って、今でも信じられない気分っ」


 おそらく俺の思考などつゆ知らずという風に──まぁ、知られても困るが…───、彼女は元気な笑顔を見せて言った。

 こっちもちょっと未だに信じられないよ。君が思ってることとは別の理由で…。


「それよりさっ…」


 笑顔を引っ込めて、神妙な顔を作った。

 感情の動きが忙しないな…なんて思っていると、行動もまた忙しなくなった。


「アルクスくん…凄くないっ!!?試験の時からもうスッゴかったから納得ではあるけど…、まさか首席合格しちゃうなんてっ!!」


 目をキラキラとさせながら、こちらに近づいてくる。


 一瞬ぎょっとしたが、前回の反省を思い出し、一歩だけ俺は後ずさった。

 でもエマの方はそんなのお構いなしという様子である。


「…まぁ、たまたまみたいなものですよ」

「たまたまなんてっ、またまたぁ~。そんな謙遜、誰も真に受けないよっ」


 にやっと笑みを浮かべ、彼女はパチパチと手を叩く。


 ご機嫌取りか…?と一瞬疑いそうになったが、あの屈託のない眼差しを見るに本心からの言葉なのだろう。

 …ゲーム中の彼女も、こんな言動だったな。


 純粋に人を尊敬するし、純粋に人を信じる。

 それが仇になってしまう展開もあるが、そういう潔白な人間なのだと何度も描写されていた。

 まぁ、聖女だなんだといわれるだけあるということだな。


「では、お互い合格できて凄い、ということで」


 これで手打ちで…、と言わんばかりに俺はそう言った。

 あんまり褒められてしまうと、なんだか恥ずかしくなる。


 それに実際、平民の出身で合格したというだけで、エマも相当凄い部類なのだから。

 それでいて倍率がとんでもないので、試験で同じになった人も合格していて学園で再開できる…なんてのはだいぶ稀なことだろうし。



「う~ん、私なんかじゃ比べ物にならない気がするけど…。でも、そうだねっ!また会えてうれしいよっ!」


 エマはまた満開の笑みでそう言って、こちらに一歩近づいた。

 そして、…案の定というべきか、俺の手をぎゅっと掴む。


 たぶん彼女にとっては何の気なしのコミュニケーションなのだろう。

 …が、俺にとっては若干身の危険を感じる行為でもあった。


 すかさず俺は背後の気配を探る。


 エレオノールの姿は…ない、はずだ。

 ただ一般の生徒が往来しているのみ。

 セーフ…。



「それじゃ、私たちもそろそろ行こっか!」


 俺がどう手を離そうか、なんて考えている折に、

 彼女はパッと距離を取った。


 向こうから離れてくれたのはいいが…。


 …うん?

 「私」?「」?


「…どこに、ですか?」

「え?それは、決まってるじゃん。だよ!だって…」


 事態を掴めない俺に対して何言ってるの?というような不思議そうな顔をして、彼女は言葉を続けた。


「私たち、じゃん?」


 …。

 …。


 え、マジで?



***





 騎士コースのクラス分けは、約15人3クラスとなっている。

 貴族の方が三桁ほどの人数であるため、かなりの少人数構成にはなっているが、まぁそれも仕方のないことだろう。


 卒業したら“騎士”、在学中も一定の身分を保障されているわけだから、そう何人も取ってはいられない。

 それに、あまりの授業の厳しさにリタイア退学する者も少なくないみたいだしな…。


 

 まぁ、それはそれとしても、まさかエマと同じクラスになるとは思わなかった。

 確率的にはありえないことでもないのだが。


「まだ、クラス確認してなかったんだね」

「えぇ。少しばかり用事がありましたので」

「あ、そういえば貴族の執事さんなんだっけ。…なら忙しそうなのに、やっぱりアルクスくんは凄いなぁ」


 そんな会話をしながら、俺たちは肩を並べて教室へと歩いていた。


 講堂から貴族の棟は近いけれど、騎士棟へは割と距離がある。

 まぁこれは、利用頻度の差が理由だろう。

 その代わりに騎士棟からアリーナへは比較的近いので文句は言えない。


 それに、会話をしながら歩くというのも…まぁ悪くない。


「そうですかね。エマさんみたいに、環境が整いにくい純粋な平民の方のほうが凄いと思いますよ?」 

「う~ん、でも私は村のみんなのおかげだからな。みんな私のためにっ!っていっぱい支援してくれてさ」

 

 少し申し訳なさそうな感情を表情に滲ませている。

 

 …10歳で聖女として覚醒し、公爵に拾われて推薦入学。

 そんな本編とは、乖離した道を通って入学してきたらしい。

 

 拾われる前の彼女はごく一般的な平民家庭で育っていたみたいだし、村の人々から支援を受けて~というのは、元来の彼女の人の良さによるものだろう。


「それも、貴女の力ですよ」

「…えへへ、アルクスくんに言われると照れるねぇ」


 冗談めかして頬を掻く彼女だが、実際、そういった力は一時の努力でなんとかなるものではない。

 求心力…とでも言うべきか、これまでコツコツ積み上げてきたものが功を奏しているわけだし、胸を張ってもいいと思う。


 …だが、それはそれとして少しだけ疑問もある。


「ところで、…少し不躾な話になりますけど、学費の方はどう工面するのですか?さすがに、3年間村の方々から支援していただくというのも難しそうですが」


 失礼かもしれないけど、でも俺が一番気になる部分だ。

 それが原因で俺は特待生入学なんていうトンデモナイ壁を超える羽目になったわけだし。



「少しは貯金があるけど、そのあとはね……探索者シーカーで稼ごうかなって」



 俺は、思わず立ち止まった。


「シーカー、ですか?」

「あれ、知らない?未踏の地を探索したり、危険な魔物がいる場所を調査したりする仕事。最近は盛んになって稼げるみたいでね、」


 …いや、もちろん知っている。

 この世界でも、ゲーム中でも、そのような単語を聞いたことはある。

 

 だが、どちらにおいても聞いたことがある、という程度だ。

 それほど詳しくはない。

 

 というのも、貴族が携わるような職種でもなく、そしてつまりは貴族学園が舞台の本編ではさほど話題にも出てこない言葉であるからだ。


 世界観としてそのようなものがある、というだけで物語に大きく絡んできたりすることはない。乙女ゲーとしてはいくらでも話をつくれそうなモノのために、没設定の名残説、なんてファンの間でささやかれるくらいである。



「いえ、知識としては知っているのですが。少し…意外といいますかね」

「そうかな?でも、実戦経験を積むためにやってみる、って子も結構多いみたいだよ。魔物と戦うのは騎士も同じだからねぇ」


 …そんな話、初耳だ。


 まぁ騎士コースがあること自体、ここ数カ月の間で発覚したことだし…、ゲーム中では存在が没になっているわけだから、そりゃあそうか。


「あ、この代もシーカー上がりの子がいるって噂だよ?しかもすっごく強いんだとかって」

「…そうなんですか。それは、初耳ですね」


 そういう人もいるわけか。

 なら、これからは割と話題に出てきそうだな。

 ゲーム中は存在感薄かったのに、すごい大出世だ。


 …なんて思っていると。


「どうしました?」

「えへっ、なんだかアルクスくん、意外と世間知らずなのかなぁって。あ、ワルグチとかじゃないよ?」


 エマがくすくすという感じに笑みを浮かべていた。

  

 …世間知らず。

 う~ん、ぐうの音も出ない。


 これまでエーゲンハルトにずっと籠ってきたし、その中でもほとんど館暮らしだったからなぁ…。

 市井での噂話なんて入ってこないし、そういう意味では世間を知らないといえる。


「…実際、そうかもしれませんね。これから何かと迷惑をかけたら申し訳ない」

「そんなの全然。むしろ大歓迎だよっ!世間の先輩として、手取り足取り教えてあげるからね!!」


 むんっ!とエマは胸を張る。

 たいへんありがたいことを言ってくれる。


 …が、いや、世間の先輩ってなんだよ、とささやかにツッコミを入れると、彼女はえへへと明るく笑った。


 

 うん。


 思い返せば、エレオノール以外の同年代とまともに会話したのは、これが初かもしれない。

 こういうのも、悪くないね。


 なんて思いながら、再度教室に向けて歩き出した。

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