第30話 静かなるヤミ


『───────────────』

『──────────』

『────────────────────』



 頭の中で、誰かの声が反響する。

 甘ったるく、粘っこく、思考の合間を縫って歪に縛り付けるような、そんな声。

 安心して聞き入っていると、意識がどこまでも沈んでいきそうな気配がする。


 …あれ、俺は何をしてたんだっけ。

 えぇっと…、あんまり思い出せないな。

 長く眠っていた時、特有の倦怠感が思考を阻んでいる。


 だが、そんな思考の蜃気楼を探っていくことで、なんとか記憶の表層を掴むことができた。


 エレオノールに、気を失わされたのだ。


 彼女のセレスティアは、縛り付けた相手に大きなショックを与えることができる。

 おそらく、彼女の逆鱗に触れてソレを発動されたのだろう。



 ところでで何も見えないけれど、…じゃあその記憶が確かなら、今俺のすぐそばにいる者は、


「エレオノール様?」


 魔力や気配の感じと記憶を総合して、そう判断する。

 そしてソレは、確信に変わる。


「…アルクスって、結構なんですね」


 ふーっと呆れる…というか、諦めたように息を漏らして彼女は言った。


 声の方向が、なんだか妙である。

 頭上…というか、俺はおそらく体を横にしている状態であり、その上から声がする感じだ。


 その発想に至ると、目元やに、血の通った生物の温もりを感じることに気づく。

 

 ……もしかしてこれ、というヤツか?

 じゃあ、なんで視界を塞がれてんの…?


「…おはようございます、アルクス」


「ひゃぁっ!!?」


 耳元に、くすぐったくゾクゾクとした感覚が襲い掛かる。

 ぬるく湿った吐息と同時に彼女の囁きが、頭の中を溶かすように俺の鼓膜を響かせた。


「な、なにしてるんですかぁっ?!」


 いや本当になにしてるんだ、このお嬢様は…っ?

 こんなに…なんと言うべきか、好色めいた声、聞いたことがない。


「起きて早々、大きな声も嫌でしょう?」


「いや、それはそうですが…、というか今これどうなってるんですかっ?!体が、体が動きませんけど…!?」


 起き上がろうとしても、できない。

 胸のあたりや腰のあたり、脚にまで至って、何かが俺を拘束している。

 十中八九、彼女の魔法によるモノであろう。


「…」


 エレオノールは何も言わない。

 視界も真っ暗でアテにならないけれど、ただ、突き刺すような視線がこちらを見下ろしていることはなんとなく察せられる。


 ご、ご立腹だ…。

 だいぶご立腹のときの視線だ…。


 なんで?


 いや、わかってる。

 待ってたのに、誰かとお喋りして遅れてしまいました、なんて怒って当然だ。

 

 …どうしてあそこで待ってたんだろう、とは思うけど、しかしそれはそれとして俺の行動は腹を立たせても無理はない。


「えぇっと…、エレオノール様。大変、申し訳ございませんでした…」


「……何が、ですか?」


 な、「何がですか」っ!?


 いや、…いや、そうだよな。

 何に対しての謝罪なのか、きっちり言うべきだよな…。

 自分で自分を反省できているのか示さなければいけない、大人なら当然のことだ。


「…わ、私が、試験で同じになった方とお話をしていたために…、エレオノール様を待たせてしまって───」


「はあぁぁ……」


 深々と、数秒に渡るため息を彼女は吐く。


 うわぁ、間違いだったっ、これじゃなかった…っ!

 じゃあ、なんだよ…っ?!

 俺、また何かしちゃったのか…!?

 

 焦りが思考を絡ませて、余計に何も発想できない…っ。


「まぁ、むしろ安心かもしれませんが、」


 そんな小さなつぶやきを前おいて、エレオノールは口を開く。


「アルクス。貴方は用心しなければ駄目ですよ。女というのは、時に浅ましい生き物なのですから」


「…え?」



 雰囲気が、冷ややかなモノに変わった。



「あの女二人。節操もなく貴方に発情していましたから。特に、みだらに体に触れてきて醜い笑顔を振りまいていたあの女。なんて賤しく不躾な雌ゴブリンなのでしょう」



 鋭く、段々と苛立ちの色すら見える言葉をツラツラと吐き出した。


 …いや、エ、エレオノールさん…?

 醜いって、ゴブリンって…すっごく、お嬢様とは思えない汚言が頻出していらっしゃるのですが…?


 本当にあの、黒髪黒目、品行方正を体現したような姿の彼女の口から話されているのか…これは?

 もしかして声を模倣するタイプの魔物だったりしないか…?


「い、いやぁ。そんな、発情だなんて…。たぶんそんな意図はないと思いますよ?」


「いいえ、間違いありません。アルクスは腰が砕けるほどに顔が良いですから。あの下賤な女は愚かにも求愛していたのですよ」


 えぇ。

 えぇ…。

 

 なんだか、褒められてるんだか詰められてるんだか注意されてるんだかわからない…。

 とりあえず凄く声が怖くて…、体が縮こまる。


「良いですか、アルクス。きっと、知らない女性との関わりが少ないから警戒心が薄いのでしょうが…」


 右頬に温もりが加わった。

 愛おしむように、慈しむように、その温もりは頬を撫でる。


「学園に通いだせば、同年代の雌共が貴方を狙うに違いありません。特にアルクスは優秀なのですから…」


 ところどころ語気は強いけど、あくまで心配そうに彼女は言った。


 あぁ、まぁ、そうだろう。その手の話はよく聞く。

 玉の輿…じゃないけど、優秀な人物と縁を持っておこうとする者は少なからずいる。

 それが貴族の学園というものだ


「…大丈夫ですよ、ちゃんとわかってます。美人局つつもたせとかハニートラップとか怖いですからね、ちゃんと用心しますよ」


「……いや、そう…ではあるのですが」


 心配いらねぇよ!と努めて明るく言って見せたが、エレオノールの返事はなんだか煮え切らない。

 なんだろう、冗談めかした感じが、かえって信頼性を落としたかな。


「安心してください。変な女性に引っかかったりしませんよ。それに僕──」


 一拍、息を吸って。



「僕、っ!同年代が言い寄っても気にしません!」



 決意表明にも似て、はっきりとした声では俺は言い放った。

 

 具体的に言うと前世時点で同年代。

 少なくとも今の体よりは年上だ。

 

 怒られている中で性癖暴露も変な話だけど、しかし安心材料のひとつくらいにはなるはずだっ!


「というか、仕事も勉強も訓練もありますから、誰かと乳繰り合う暇ありませんしね」


 これもまた事実を付けくわえる。

 今だって余裕ないのに、学園に通うとなったら余計にだ。

 騎士コースはハードだって聞くし。



「はっ、…はは、は。……そう、ですか。…そうですね」


 少しの沈黙のあと、彼女は震える声でそう言った。

 なぜか、先ほどまでの迫力と勢いが失われて、弱弱しい声になっているけど…。



「では、信じましょう。今は。…本当なんですね?」


 信用してくれた。

 が、歯切れが悪い。


 本気で言って居るのか、まだ確認したいらしい。


「はい。誓って」


 だから、俺は胸を張って肯定した。

 途中から何を誓うのかわからなくなってきたけど、誓うものは誓うのだ。


「…わかりました。わかりましたっ」


 その言葉を聞いて、エレオノールは噛みしめる様に呟いた。

 

 途端、パッと体に自由が戻ってくる。

 締め付けられるような圧迫感もない。


 拘束が解かれたのだ。


 しかし、視界はまだ依然と黒いまま。

 彼女の手が、まだ俺の目を覆っているのであろう。


「まだ、目を開けないでくださいね?」


 そう言ったのち、その最後の縛りも解かれた。

 温もりが離れて、瞼の裏まで光が届くようになる。


 同時に、後頭部で感じていた温もりもまたなくなり、俺の頭はそっと、柔らかい枕のようなものに預けられた


 目は言いつけ通り開いていない。

 …なんで、開いてはいけないのだろうか


 なにか見せたくないモノでも───



 ───しゅるり、しゅる…、しゅるる



 擬音語で表すなら、そんな風な音。

 もっと別の言葉を用いて言うならば、ような音が、耳に入ってきた。


 俺は思わず体を起こす。

 妙な、発想に至ってしまったから。

 

「エ、エレオノール…様…?」


 しゅるりするりと、衣擦れの音は止まない。

 まさか…いや、そんなあってたまるだろうか…っ。

 

 変な汗が額に滲んできたくる。

 ちょっと薄らと見てみようかなんて思いがよぎったところで、


「目、開けなかったのですか」


 やや不機嫌そうな、彼女の声が聞こえた。


「っ、」


 そして、無理やり俺の瞼が開かれる。

 目の前には、眉尻を垂らした顔をしながらこちらを見つめる、彼女の姿が映った。


 …ホッと、胸をなでおろしたくなる。


 まさかとは思ったけど…、、とかではなかった。

 服を脱ぎ始めたのではないかと一瞬焦ったが…


 いや、変な勘違いをされそうだな、この思考は。

 でもあんな音を瞑目している中で聞かされたら、誰でもそう思い至るだろう。

 うん。そのはずだ。



「…つまらないですね。まぁ…先ほどの言葉が正しいのなら、開けていても楽しくなかったかもしれませんが…」


 汗でびしょびしょな俺の一方、彼女はなんだか冷めたように…いや、心底残念そうにそう言った。


 いや、…どういうことだそれ。

 見てほしかったってこと?自分で言っておいて…?

 というかさっきの言葉が正しいなら、というのは…。


 もはや思考が絡まって、わけがわからなかった。


 もう何も考えないようにしようとする、が、しかし変に悶々とした感情が俺の頭の中に居座り続けた。

 


 

***



 ────数週間が経過した。


 

 俺の方は特にこれといって変化はなかったが、エレオノールはちょっとだけ変わったような気がする。

 学園入学を目前に控えたためか、なんだか大人びた雰囲気を纏うようになったのだ。


 まだ15歳、されど15歳。

 前世で言えば高校入学なわけだし、これくらいの年齢で垢抜けするのは不思議ではないのかもしれないな。


 ちょっとだけ子供エレオノールではなくなったのが寂しいけれど、まぁ、大人へのステップアップを喜ぶべきかしらね。


「アルクスっ」


 不意に、名を呼ばれた。


 上品な所作でゆっくりと近づいてきたのは、もちろんエレオノール。

 学園の華やかな制服に身を纏っており、自身の気品というものをより一層に引き立てている。


「どういたしました?」


 俺は呼んでいた魔法書を閉じ、彼女の言葉に応じた。


 今は、教育係ナナイによる貴族としての立ち振る舞いの授業をしている。

 俺はいつからか習慣化した、その授業の参観をしていたところである。

 

「…い、今の私。大人の隙って…ありますか?」


 大人の隙ぃ?なんじゃそりゃぁ。


 とは、ならない。

 さきほどから、彼女たちのやり取りは耳に入っているからな。


 「大人の女性として大切なことは何ですか?」

 「それは、時に隙を見せることですよ」


 こんな会話をこっそりとしていた。

 なんだか背伸びしている子みたいで微笑ましいなぁ、なんて思っていたところだ。


 そっと、立ち上がり、彼女の目を見る。

 5年前は同じくらいの身長だったのに、いつの間にか俺がだいぶ越してしまったなぁ。

 

「……とっても、隙だらけですよ」


 彼女のこめかみ辺りに、手をあてる。

 そして小さく、回復魔法を詠唱した。


 俺の手の先が緑色にポッと光る。


 まぁ、少し疲れてそうだったし、顔にもクマだったりで表れていたしね。

 たぶん、新しい環境に入るということで緊張もあるのだろう。

 

「頑張るのもいいですが、ちゃんと休憩も取ってくださいね?」


 手を離して、少しだけ注意をする。

 元一般社会人からの至言だぞっ!なんて付け足すことはないけど…。

 でも本当に、休まないと潰れちゃうからな。


「あ…、あ、ありがとう…ございます」


 俺が触れたあたりを抑えながら、彼女は俯き加減で答えた。


 あ、というか勝手に人に触れるなんて大分失礼だな。

 あくまで回復のためではあるけど…。


「えっと、すいま───」



「アルクス」


 俺が謝罪しようとしたところで、それは遮られた。

 低く芯のある声が、部屋の扉を開け放って聞こえてくる。


「アデルベーター様?」

「お父さま…?!」


 厳格な為政者でいて、御父様の姿がそこにはあった。


 最近は忙しいらしくて家を空けることが多い。

 ゆえに、こうして直接顔を見せることは珍しかった。


「…相変わらず、仲がよさそうで何よりだ」


「あぁいや…。どうも」


 なぜだか遠い眼をしている彼に、俺はおずおずとしか返事できない。

 まぁ、他の男と娘が仲いいのは父として面白くないのかもしれない。


 でも、知り合わせた仲人は貴方ですからね。

 なんて言ったら首が飛ぶかな。物理的に。


 

「お父さま、今日はどういったご用件で?」


 エレオノールが問う。

 とても、父と娘の会話のようではないけど……やっぱり少し、家を空けることが多いこともあってちょっとだけ事務感が漂ってしまう。


 思春期という部分もあるのかもしれないな。


「あぁ、それはだな───アルクスの、が出た」


「本当ですか?!」


 俺はつい素っ頓狂な声をあげてしまった。

 まぁ、そりゃあ試験を受けたのだから結果は出て当然であるけども。


 でもやはり、いざ帰ってきたとなると少なからずの驚きみたいのがあるのだ。


「そんなことで嘘はつかんだろうに。ほら、先ほど受け取りたてだぞ」


 苦笑しながら渡されたのは、一次試験とは変わって、真っ白でちゃんと装飾もされた大きな封筒だった。


 …こ、この中に、結果が…。


 手が震えて、落っことしてしまいそうである。


 …手ごたえは、ある。

 でもそれはあくまで手ごたえなわけで…。


 特待生として合格出来ているかはまた別だ。


「あ、開けます…」

 

 もはや封を解くことすらじれったく、魔法で封筒ごと切り離した。

 中身すらみたくない気分だったが……えぇいままよっ!と勢いよく中の書類を取り出した。


…。

…。

…。


「はあぁぁ……」


 肺の空気を全て出す勢いで、俺はため息を吐いた。


 朱色のインクで記された紙面が、小さく揺れた。 

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