第19話 怪奇的
「うわああああ?!」
それが俺を切り殺さんとする斬撃だと悟った瞬間に、俺は体をひねって飛び退いた。
もはや反射と言ってもいいだろう、本能的に当たったら不味いと判断した。
そしてその判断は、正しかったらしい。
放たれた黒色の影は俺の居た場所を通過したのち、背後の木々をまるで抵抗を受けずに切り裂いた。
遅れて、突風が身を襲う。
枝木、葉が吹き荒れ、ざわざわと喚き立つ。
さすがには風圧は躱せない、なんとか体を低くし、地面を転がりながらいなす。
…一振りで風を巻き起こし、物体を難なく切り裂く、か。
なんなんだコイツは、化け物かよ…?!
「っ、【スマッシュ】!!」
右手を突き出して魔法を放つ。
有効打が何かわからないから、汎用性の効くコレを使った。
が、着弾点に鎧の姿はない。
奴はまるで物理法則を無視したスライド移動で、こちらに接近していた。
鎧の腕のところからは黒い靄のようなものが噴き出ており、その中で先ほどの黒の鞭のようなものが脱力して揺れている。
明らかに人間の腕ではない。
あの鎧に人は入っていないのだ。
じゃあ、この鎧の持ち主はどうなった?
護衛の人達は、どうなったんだ?
…、そんなことを考える暇は与えられない。
奇怪に伸びる黒の腕がブレた。
斬撃が来る。
瞬発的に剣を抜いた。
何度も練習してきたパターンだ。
奇襲や突然の攻撃に対応するという、死なないように訓練を激しくした後は特に想定してきた状況。
「───」
「はァッ!!」
放たれた漆黒の剣閃を、弾き返す。
魔力を込めた剣には、木々をバターのように切り裂くほどの威力は発揮されなかった。
もちろんそれを想定してのことだ。
普通の剣では俺が真っ二つになるのが見えていた。
そして、やつが攻撃を放った直後の隙も。
地面を蹴り、相手の懐まで飛び込む。
接近戦は分が悪いが、しかし一撃で決めれば問題ない。
そう言えるほどの手札はあった。
「【グラン・ブレイズ】ッ!!」
握られた部分から剣先まで、燃え盛る炎が迸る。
爆発、と言ってもいい。
鬱蒼とした茂みの中を、暴力的な炎が照らした。
この森の中で炎はあまり多用したくない。
だが金属製の鎧を断ち切るにはこれしかない、と踏んだ。
爆発で急激に加速した刃を、そのまま降りぬく。
その軌跡を火炎が追従し、同時に、頭と体が泣き別れた鎧の状況を判然と照らしあげた。
切り飛ばされた甲冑の兜が、どこかでドサリと墜落する音が聞こえる。
だというのに、なんというか…手ごたえがない。
やった、という感覚がない。
どうりでか、視界の端に、何かが揺れ動く。
ひたりと背中が冷たく感じられる。
「っ!!」
目の前の鎧を力任せに蹴った。反動で後方に距離をとる。
視界には、奴のなんとも奇怪な姿が映った。
甲冑の頭部があった部分から、なにやらどす黒い何かが噴き出している。
小手から見えていた鞭のような手が、いつのまにか人間のような、確たる形をもって存在している。印を結ぶような、奇妙な動きを伴って。
「…【ブレイズ・スラッシュ】!」
呑気に眺めるなんてことはできない。
剣が纏う火炎を、そのまま斬撃として振り放った。
扇状に飛んだそれは鎧に向かって直進し、そのまま直撃する。
全身が燃え盛って火だるまのようになり、炎の中でヒト型の影が映った。
…いける?
相手の抵抗がなかった。
何を意図しているのかはわからないけれど、あの火炎の中、無傷というわけでもないだろう。
「【グラン・ブレイズ】!【グラン・ブレイズ】ッ!」
馬鹿の一つ覚えのように、魔法を連発した。
それが効いているだろうことなら、趣向を凝らすよりも、効いてるあいだに同じもので叩く方がいいと思った。
燃え盛る火炎が、追撃によってさらに規模を大きくする。
それによってか、炎の中の影が姿を消した。
いける…、いけるっ。
手ごたえが確信にシフトチェンジしようとした、その時。
「か、…ぇ。…ぅう??ルぅ??」
炎が空気を焼き尽くす音の隙間に、そんなふうな、まるで…子供の寝言のような声が聞こえてきた。
刹那、空気が変貌した。
その感覚に遅れて、急激な風圧と火傷するような熱が顔、体全身に襲い掛かる。
再度、ガサガサと自然が騒ぎ出した。
「っぅ!」
熱と圧に小さくうめきながら、視界を潰されないよう腕で守る。
ズガンッと、隣で何か音がする。
薄目でそちらを見てみれば、何か、金属のプレートのようなものが焼き焦げて地面に突き刺さっていた。
ぎょっとして目の前の炎を見ようとする。
だが依然と風圧がひどくて直視できない。
周囲が落ち着きを取り戻し、炎の熱が消えたあたりで、ようやく視界に安定が戻った。
そして目に飛び込んでくるのは、あの燃え盛る炎の跡。
何もなかった。
ただ、どこまでも黒ずんでいる地面があるのみ。
鎧の抜け殻すらそこにはない。
消えた。
どこに?
死んだのか?
そんなあっけなく?
連綿と思考がつながれる中で、視界の端に何かが動いた。
子供だった。
さきほど鎧に掴まれており、俺の攻撃で放り出された、あの子供だった。
死んでいたかと思ってたけど、生きてたんだな。
なんて、呑気なことではない。
やはりというべきか、普通ではなかった。
異常だった。
さきほどの…鎧の佇まいを連想させるような、異様な雰囲気を纏っていた。
…乗り移った?
その考えに至ってから、俺の行動は早かったと思う。
だがそれ以上に、ヤツは早かった。
「【グラン───、!?」
目の前の子供は、こちらへ突進を仕掛けてきた。
異常なほどの加速度をもって。
急速な接近に一瞬怯むが、魔法の手は緩めない。
こちらが早く繰り出せば、相手は直撃だ。
その考えが誤りだったか。
「───ブレイズ】!!」
燃え盛る炎を前方に放った。
草木を、空気を、燃やし尽くして。
しかし肝心なアレには、命中しなかった。
子供はガクンと横に逸れた、直進してこなかったのだ。
まずい、接近を許した。
次の攻撃は…などと逡巡する俺の横を、高速な何かが横切る。
「なッ?!」
通り過ぎて行った。
何が起きたのか、すぐには察することができなかった。
…逃げた?
横切って、去って行って。
あの先には…。
どくりと胸が鼓動する。
すぐに俺は踵を返して、やつの向かった方へと走りだした。
まずい、あっちはまずい。
あの方向は、神聖岩…、子供たちが、エレオノールがいるところだ。
奴はそこへ行って、何をするんだ?
…魔法でやれるだけ加速する。
心身ともに、嫌な汗が張り付いていた。
***
エレオノールは神妙な面持ちで、使用人のことを待っていた。
行方不明となった平民を探しにいって、少し経った後。
アテがある、と言っていたが、それは当たっていたのだろうか。
彼女に知る術はない。
「…あ、あの」
隣の少年が話しかける。
行方不明になったことを知らせに来た少年だった。
ほかの子供たちは大変なことになっていそう、ということは理解しつつも、どこか他人事で遊んだりなんだりをしている。
だが彼は、事態を知らせたということに責任を感じてか、彼女とともに静かにアルクスの帰りを待っていた。
「あ、あの子は…大丈夫なのかな」
「アルクスの…先ほどの彼のことですか?」
「えぇ、っと。うん…」
「大丈夫ですよ。きっと、いなくなった人とともに、何食わぬ顔でやってきますから」
いつもそうだった。
アルクス=フォートという人間は。
何か無理難題を押し付けても、少しだけ困ったような顔をするだけで必ず
10歳という、自分と同じ年齢なのにも関わらず、周囲の大人に認められ、その大人以上の働きを任されることも少なくなかった。
だから今回も、彼はなんでもないような顔をして戻ってくる。
そう確信していた。
「でも…、あの、鎧のばけものは…すごく怖かったから、」
「アルクスは普通の人より何倍も強いのですから。心配はいりません」
この試練においても、彼の強さは垣間見えた。
魔物と遭遇することは少なかったけれど、しかし遭遇したときは冷静かつ迅速に対処して見せた。
おそらく力でねじ伏せることはできたろうに、エレオノールのことを気遣ってか、贓物や血が飛び散らないような対処の仕方をする余裕すらあった。
家の騎士たちと戦ったら負けることも多いけれど、逆に自分と同じ年齢で彼らと互角に渡り合っているのだから、アルクスの強さは本物なのだと、素人の彼女でもわかった。
「だと、いいんだけど」
そんな確信に満ちた彼女の一方で、少年は歯切れの悪い言い方で相槌を打った。
まぁ、自分と同じ年齢の子供が何をできるんだろう、と思うのが普通なのだろう。
きっと彼が帰ってきて、見方を改めるに違いない、とエレオノールは密かに思っていた。
だからか、次に耳に飛び込んできた情報に、彼女は眉をひそめた。
「あーっ!お前来たーっ!」
子供たちの驚きの声。
「お前どこ行ってたんだよーっ!」
「ほかの奴がさがしてたぞ」
「迷子か?だっせーなぁ!」
わっはわっはと、活気に満ちる彼ら。
その渦中には、ひとりの少年があった。
「あ、あれが、僕の友達だよっ!」
エレオノールにそう言って、待っていた少年もそちらの方へ駆け寄った。
だが彼女は、納得いかないという表情でその様子を見ていた。
(アルクス…?)
彼の姿が、ない。
あの友人だという少年とともに戻ってきたものかと思ったが、どこにも彼の姿は見当たらなかった。
見つからなかった…のだろうか。
「どこに行ってたんだよっ!探してたんだからねっ?!」
「ま、これでうちの村全員終わりかな」
「はぁあ、じゃあもう帰るか」
同郷の者たちで盛り上がっている最中、彼女はぽかんと、ぽつんと、その様子を眺めていた。
「…、あれ、行くよ。どうしたの?」
「……」
行方不明だったという少年は、無言で手を差し出す。
一切の感情が表情から読み取れない。
そういえば盛り上がってるときも、まったく口元すら動いていなかった。
「…握手?ってこと?」
疑問符を持ちながらも、少年がおそるおそる手を取ろうとする。
刹那。
腕が、ブレた。
おそらく注意深く見ていないとわからない、というくらい微弱な動きだった。
遠巻きに見ていたエレオノールにはわかった。
そしてそれが、おそらくマズいことであろうこともわかった。
だが、瞬時に動けたりはできない。
手と手が触れ合う瞬間をただ眺めるのみ。
そこで。
「ソイツに触るなッ!!!」
切羽詰まった叫び声が上がった。
全員の動きが、びくりと止まる。
その静寂の中で、唯一アクティブに動いていたのは、視界に入ってきたその声の主であった。
「アルクスっ…?!」
待ちに待っていた彼は、茂みから大きく飛び出し、握手を求めていた少年の頭に強烈な飛び蹴りを食らわせた。
そしてそれと同時に、その少年から、何か黒い影が岩の方へ飛ばされる。
それが、強烈な黒い斬撃であるということと、それによって神聖岩が両断されたということを知ったのは、そのすぐ後であった。
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