第17話 垣間見えるヤミ
俺たちは順調に森の奥へと進んでいた。
目指しているのはこの森の最奥…とされる場所にある、神聖岩、なんて呼ばれる大岩だ。
そこまでたどり着いて、破片を持って帰るのがこの試練をクリアする条件である。
さほど難しいことではない。
雰囲気こそ一丁前だけど、この森にはあまり強い魔物は出てこない。子供でも頑張れば倒せる程度だ。
まぁ無論、油断すれば怪我を負うことにはなるのだが…。
しかし、こと試練の儀式、それも“貴族の”となれば、怪我のリスクなんてもんは最低と言っても過言ではないだろう。
貴族だって、むやみに子供を殺したりケガさせたりしたいわけではないのだ。
陰ながら護衛を張り巡らせて、虫の一匹も遭遇させない勢いでお膳立てする。それが貴族流試練の儀式である。
もはやそれに本来の意味はあるのか、と言われたら閉口するしかないけれど、形式的にやるっていうのが大事なのだろう。こういうのは。
まぁ、そういうわけで、エレオノールにもたくさんの護衛がついている。
ほら、そこらの茂みに視線を向ければ。
「…ッ!」
「…」
パチンと視界がかち合う。
慌てたようにペコリと会釈しながら、影の方へと消えていく。
…あれは、まだちょっと新人めの人かな。
ベテランの護衛は本当に姿がわからない。しかし打ち合わせ通りなら、今この場にも10名以上の護衛が潜んでいる。
万にひとつ、命の危機に陥った場合は、彼らが飛び出してくれることだろう。
…そんなことが、なければいいのだが。
「ア、アルクス?そこに何か居るのですか…?」
ギュッと俺の服を掴んで、恐る恐るという風に彼女は問う。
「…いえ。少し気になっただけですよ。ただの草木の影でしたけどね」
「そ、そうですか…。さっきから視線を感じるので、てっきり何か居るのかと…」
おっと。
随分と勘がいいな。
まさか護衛に気づいているわけではないだろうけど、その存在自体は感じ取れているのか…?
みなさんにはバレないよう気を付けていただきたいところだが…。
「安心してください。もし何か居ても、僕が守って見せますから」
「うぅ…。本当に、お願いしますよ…?」
ぎゅっとより一層に距離を縮めてくる。
いや、そこまで近いとむしろ動きにくくて困るなぁ…。
しかしまぁ、それで落ち着いてくれるなら別に────
「っ!」
「ひっ…!」
前方、草むらがガサゴソと音を立てる。
護衛が移動する…音ではない。
獣のような気配を感じる。
まさかコイツが俺を殺すような魔物じゃないよな…。
内心冷や汗をにじませていると、音の正体がそこから飛び出してきた。
「──────!!!」
形容するなら、キューキューっという、首を絞めたような甲高い声。
白い羽毛、長い耳、自分の図体よりも何倍も高く飛ぶ跳躍力。
そして極めつけは、額から伸びる短い角。
「…アルミラージ、ですね」
この森の中でも、最低に危険度の低い魔物だった。
一角ウサギとも呼ばれるが、まぁその名の通りただ角の生えたウサギだ。
魔法があり剣術が盛んなこの世界では、ほとんど危険視されない。
むしろ可愛いなんて言われる始末だ。
内心の冷や汗をこっそりと拭う。
だが、油断はすまい。
毎年に1人くらいは、この魔物によって殺されている者もいるのだ。
十分危機感を持つには足る相手である。
「エレオノール様、少し下がっていてください」
剣を抜き、彼女の前を立ち塞ぐ。
「、殺してしまうのですか?」
「…ええ。奴らは血気盛んですから、目の前の人間を襲ってきます」
グルグルと唸りながら、目の前の小動物はこちらを睨んでいる。
まぁ威圧感なんてあったものではないが。
「───!!!」
刹那、アルミラージは飛び出した。
丸まるように額の角を突き出す、突進攻撃。典型的な攻撃パターンだ。
「──フッ」
短く息を吸いこむ。
別に本気を出すような相手ではないが、手を抜く必要もない。
剣を振るった。
足元から右肩上へ、斜めにかけた一振り。
鈍色の剣閃が突進してくるアルミラージと重なる。
瞬間、やつは唐突に勢いを失い、ぽっとりと地面に墜落した。
動かない。まるで物言わぬ毛玉のようなものが横たわっている。
瞬殺だ。
それを見届けてから、抜いた剣をゆっくりと納める。
「…お、終わったのですか?」
不思議そうな顔でエレオノールは問うた。
まぁ外野から見れば、剣を抜いて振るったかと思えば、何事もなかったかのように鞘に納めている状況だ。
何が起こったのか瞬時に理解するのは難しいかもしれない。
「はい。終わりました」
「今の一瞬で、ですか…!?」
「そうです。褒めてくださっても構いませんよ?」
ふふん、と冗談めかしく誇って見せるが、彼女は未だ信じられないという様子で、おそるおそる獣の死体へと近づいていく。
「血とか…出てないですけど」
「そういう技を使いましたので。おそらく内部はサッパリと斬られていると思いますよ」
「そ…、うなんですか…」
死体の表面は一切血で汚れていない。
何も知らない状態で見れば、ただ眠っているかのような様子だろう。
エレオノールがそっと抱きかかえてみせるが、まぁやはり反応はない。
「先ほどまで…、元気に飛び跳ねていたのに…」
「…まぁ、殺し合いというのは、そういうものです」
「…」
沈痛な面持ちをみせる彼女。
…目の前で小さな命が一瞬にして潰えた、と考えれば、純真無垢な子供には辛いものがあるのだろう。
まして、こんな小さくて可愛い小動物みたいなヤツなら。
「やはり、悲しいですか?」
「…いえ。貴方の言う通り、仕方のないことだと…思うので」
アルミラージの死体をそっと地面に置いて、彼女は立ち上がった。
…10歳でそこまで割り切れるなら、大したものなんじゃないかな。
試練の儀式というのは、一応そういうことを学ぶ一面もあるらしい。
この世界に生きる以上、殺生は避けられない部分だ。そのたびに引きずっていたら大変なことである。
だがそういった現場に立ち会うことの少ない子供は、まだ慣れというものがないだろう。貴族令嬢・令息なら、尚更だ。
だから、この機会で耐性を付けておく、ということである。
その意味でいえば、彼女は試練の儀式の目的のひとつを果たしたともいえるかもしれない。
「しかしやはり、可愛らしいものが死んでしまうというのは、悲しくなりますけどね」
「まぁ、それも無理はないでしょう」
「そうですね…。でも、もしできるのだったら……」
エレオノールは、刹那に瞑目する。
そして、けむくじゃらの死体に…慈愛と形容すべきなのかわからぬ視線を向けて…
「危険の及ばないところに、閉じ込めてあげたいところです」
…うん?
うん。
うん?
聞き間違い…か?
「アルミラージなら、ペットとして人気みたいですよ?」
「…そうなのですか?、でも、お父様がきっと許してくれないですね。動物がお嫌いですから」
ふふっと微笑んで見せる彼女。
いつもの調子だ。
なんでもないかのような笑みだ。
じゃあさっきの…。
光を宿さぬ狂気じみた眼差しは、見間違いだったのだろうか。
「ここで立ち止まっていても仕方ありません。行きましょうか」
「…はい」
先導していく彼女の背中を、俺は少しばかり呆然と見送っていた。
***
「はぁ~、隠れるだけってのも疲れますねぇ…」
「おい、たるんでるなよ。お嬢様の護衛なのだから」
「いやぁ、そうはいってもですよ?なんですかあの少年は。普通に強いじゃないですか。僕らいりませんって」
「…、たしかにアルクスは見張るものがあるが」
「でしょう?さっき茂みの中で視線があったとき、なんだか団長の面影感じましたもん」
「、見つかってるではないか。気を引き締めろよ、という意思を伝えてたんじゃないのか」
「かもしんないですけどぉ、でもあの子なら、こんな森に出てくる魔物なんてちょちょいのチョイじゃないですか」
「それもそうだが…、しかし打ち合わせの時から、彼は『気を引き締めろ、いつでも飛び出せるようにしておけ』と入念に言っていたからな」
「たぶん、初めて森に入るからビビってたんじゃないすかね。まだ子供ですし。きっと今頃は超よゆ~なんて思ってますよ」
「とか言って、さぼりたいだけだろお前は」
「あ、バレました?いやでもサボりたいとかはちょっと語弊があって、まぁ嘘でもないんですけどぉ…」
「…」
「どうしました?黙っちゃって」
「…いや、なんだか見慣れぬ足跡があってな」
「足跡ぉ?…あ、ホントだ。ちっさい人の足跡ですね。しかも何個も」
「こんな魔物、この森にいたか…?」
「ゴブリンとかっすかね」
「なくはないが、森より平地や洞窟を好むからな、あいつらは」
「じゃあ、平民の子供じゃないですか?たしかほぼ同時にやってるんですよね、儀式」
「それもありそうだが…、目的地は一緒でもコースはだいぶ離れているから、少し無理がある気もする」
「えぇ~?…でも、どうせ別に大したことないですよ。こんな小さい生物なんですから」
「……念のため、前方偵察の奴らに確認してくる」
「真面目ですねぇ。じゃ、僕は引き続きお嬢様の護衛してますね」
「さぼるんじゃないぞ」
「大丈夫ですって。きっと何も起きませんから」
「…お前なぁ」
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