第16話 試練の儀式


 満10歳の少年少女らが、居住地域付近で指定された森・洞窟など……いわゆるダンジョンと呼ばれる場所へ赴き、自身の技量と度胸を試す行事。


 それが、試練の儀式、というものだ。


 この世界における10歳というのは、大人には足らないにしろ、子供扱いするのは相応しくない、という年齢であり、半分成人のような扱いを受ける。


 そのとおり、この年齢から多くの子供は武術や魔法なんかを学び、将来に向けたことを行っていく必要がある。


 そんな大人へと進歩していくうえで、現状の自分はどれくらいかな、というのを試すのがこのイベントというわけだ。


 

 別に、この行事のことを忘れていたわけではなかった。

 むしろよく覚えていた、と言ってもいい。


 なにしろ『セレスティア・キングダム』というゲームの物語は、この儀式の最中に主人公が特殊な力に目覚めるところから始まるのだ。


 何度も周回プレイしてきた俺が、そのことを忘れるはずもない。


 だが今になって困惑しているのも、事実である。


 強くならなければ・今にも死んでしまうのではないか、これらの思考が脳裏を取り巻いていて、一時的にこの行事のことが頭から抜け落ちていた。


(そうだった…、そうじゃないかっ…。なんでこうも抜けてるんだッ)


 視野が狭くなっていたということに、自分で自分を非難する。


 ……なにせ、一番イベントを見落としていたわけだ。

 さすがに子供を死地へ送るような行事ではないため、一定の安全は保障されているらしいけれど、しかしそれはあくまで一定だ。


 どんなイレギュラーが起こるかわかったものではない。


 今になって、死へのカウントダウンが急激に進んだように感じられた。


「───ちょっとっ、失礼しますっ!」


「うぉっ、なんだ?」

「アルクスっ?」


 居ても立っても居られなくなり、話を無理やりに打ち切ってその場を駆け出した。

 エレオノールたちはさぞ困惑しただろうし、事実そのような感情が声から感じられたが、しかし説明できるわけもない。


 構わず走った。


 …どこへ行けばいいんだ。死なないためには。

 力をつける…にはあまり時間は残ってない。


 いや、もうできることをやるしかない。


 わしゃわしゃと頭を掻きむしる。

 ひとまずは、館の書庫へと向かって。




***



 どうしてこうも、時間が過ぎるのは早いのだろうか。


 あれからひと月が経ち、試練の儀式という、俺にとっては死刑執行のようなものが翌日に控えようとしていた。


 できることは全てやった。と思う。


 試練を行う場所の地形、地理的特徴、生態系はすべて叩き込んだ。

 書庫にあった魔法書は全て網羅したし、剣の鍛錬も今まで以上にこなしてきた。


 普通は試練の儀式のためにこんなにまで努力しないし、しようとも思わないし、する必要もない。

 

 だが俺の場合は、どの角度から俺を殺しに来るかわかったものではないのだ。

 ここまでやっても、まだ足りないかもしれない。

 そしたら俺は、明日死んでしまうのだ。


 そう考えると、もはや安眠することなんて到底無理なことだった。


「はぁ…」


 のそりと起き上がって、ベッドから出る。

 

 外はまだ暗い。

 雨が降っているらしく、余計に闇は深くなっていた。


 水滴が屋根や地面にぶつかる音が搔き乱してきて、余計に眠る気が失せてくる。

 明日少しでも万全な状態でいるためには、絶対に睡眠はとる必要があるのに。


 

 脱力しながら、天井を見上げた状態でベッドに飛び込む。


 明日、死ぬのだろうか。俺は。

 まぁ、明日ではないのかもしれないけれど。


 死因とタイミングさえわかっていれば、まだやりようも心持ちも変わってくるというのに…。


 こんな無理ゲーはあんまりだ。


「アルクス。お前はどうやって死んだんだ…。あの、エレオノールを闇堕ちさせるほどの、死に方なんてして…」


 俺のうわ言は、誰に届くでもなく虚空に吸い込まれていく。


 誰も、俺の問いに答えるものはいない。



***



 天気が悪い。


 空には太陽の姿がなく、代わりに分厚い灰色の雲が占拠している。

 昨夜の雨は上がったようだが、いつまた降るかわかったものではない。


 …縁起が悪いな。



***




「この森の奥へと辿り着けば…良いのですよね?」


 若干怖気づいたような声色で、エレオノールはそう言う。

 

「はい、そうですね」


「そう、ですか。そう…ですよね…」


 う~ん、と困ったように彼女は唸った。

 まぁ、無理もないよな…。



 試練の儀式、当日だ。


 俺たちは、試練を行う場所である、アンシャイネスの屋敷があるエーゲンハルトから少し離れたところの森林と対峙していた。 


 前日に雨が降っていたこともあってか、あたりはジメジメとしており、雰囲気もなんだか鬱蒼としている。

 もちろん果てもわからない闇が奥の方まで続いているので、相当肝の据わった者でないと、この先を進むのは抵抗があるだろう。


「、安心してください。エレオノール様は僕が守りますから」


 微笑みながらそう答える。

 しかし彼女の表情はまだ曇っている。


 信用してない…わけではないのだろうけど。


 恐る恐るという風に彼女は口を開く。


「アルクスは…、怖くないのですか?」


 怖くない。


 わけがない。

 恐ろしいに決まってる。どこから死の鉄槌が下されるのかわからないし、5分後にはただの肉塊に変わり果てているのではないか、なんて考えに至って押しつぶされそうだ。


 それで死から逃げられるわけではないだろうけど、今すぐこの場から逃げ出したい気分である。


 だが、この感情をおくびにも出すわけにはいかない。

 彼女を意味なく怖がらせることになる。それはあまり好ましくない。


「…いえ、怖くない…ことはないですよ。しかし、エレオノール様に危害が加わることの方がもっと恐ろしいので」


 だから俺は、毅然とした態度でこう返した。


 エレオノールは若干照れるような仕草を見せるが、依然と恐怖はぬぐえていないのだろう、黙ったままこちらに身を寄せてきた。


「で、では…いざとなったら。お願いしますよ…?」


 不安そうに上目遣いをする。


 少し火力が強かったもので、思わず目を逸らしてしまうが…。


 “いざとなったら”

 そんな事態が起きたら、俺は死んでしまうのだろうか。

 そうしたら彼女は…。


 …駄目だ。

 思考が後ろ向きだと、事態までが後ろに向かいそうだ。

 ここまで来たら、もう己を信じるしかない。


 フルフルと頭を振るい、そして自信をもって頷いて見せる。


「任せてくださいっ」


 ちゃんと、声の震えは抑えられていただろうか。

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