第14話 3年越しに至った真実






 しばらくの間、俺たちは会話とスイーツを楽しんだ。

 まぁ、大きなパーティーの終わった夜だ、積もる話みたいのもあるわけで。


 一流のパティシエが手掛けたという菓子も相まって、実に楽しいひとときであった。


「せっかくならお茶も用意しましょうか」


 並べられた皿が空き始めると、少し遅い気もするがエレオノールはそういった。


 戸棚の方へ、彼女は自身の白く華奢な

 決して、伸ばして手の届くような距離ではない。


 当然、自分の手で取ろうとは思っているわけではないだろう、じゃあ今のは何をしたのか?


 答え合わせをするかのように、影がヌラりと蠢く。


 黒い触手。


 それが器用に戸棚を開けて、目的を持ったかのように漁り、その通り茶葉の入った木箱のみを全身で絡めとってこちらに持ってきた。


 別に、こういった自在に何かを操作してモノを運ぶ魔法というのは、珍しい部類ではない。俺だってやろうと思えば再現できるだろう。


 だが、その触手からはなんとも形容しがたい、根源的なを感じさせた。


「はい、アルクス?」


「…え、あ、あぁ。…って結局僕が淹れるんですね」


 彼女の声に我に返って、触手から木箱を受け取る。

 目で茶葉を選別し、魔法でお湯を生成して、ポットで淹れる。


 使用人になって何度もやってきた工程だ。

 今になってはスムーズにできる。できたはずだった。


 実際には、選別には手間取り、お湯の魔法は手元がくるって熱すぎたりぬるすぎたり。

 

 妙に上手くいかなかった。

 が、エレオノールはそれを見ても何か言うでもない。


 伏し目がちに、俺の様子を眺めるだけだった。


 ようやく上手くいってティーカップに注いだ後は、「はいどうぞ」「どうもありがとう」と短く言葉を交わしただけで、なんとも言い難い沈黙が流れた。

 

 幾許かそうして、エレオノールが3つ目のケーキに手を伸ばしたところで、俺は切り出す。


「あの、」


「な、なんですかっ?今日は無礼講ですので、いくつ食べても構わないでしょう?それに、すでに食べてしまった後なのですから、今更ひとつやふたつ数が変動したところで───」


「あ、いや。そうではなくてですね」


 俺の声に過剰反応して、彼女は矢継ぎ早にそう捲し立てる。

 あまりの気迫に調子が崩れて、笑ってしまいそうになるが…。


 明らかに、いつもより饒舌すぎる。


 切り出すタイミングも悪かったのだろうが、それを加味しても明らかな動揺というか…違和感を感じ取れた。



「先ほどの、魔法のことなんですけど…」


「…」


 俺が打ち切られた言葉を続けると、彼女は押し黙り、ケーキに伸ばしていた手を引っ込める。

 表情はなんだか寂し気で、なにか諦観のようなものをにじませながら、口を開いた。



「はい。私の…《邪神の黒》の固有魔法セレスティアですよ?」


 なんでもないかのように、彼女は言った。

 あくまで、ように、だ。唇の震えが、そんなわけないということを物語っている。



 個々人に授けられた、その者だけにしか使えない魔法…セレスティア。


 主人公にだって、レイザーやシーザーのような攻略対象にだって、もちろん俺にだって、それは備わっており、『セレスティア・キングダム』という作品を色づける重要な要素として確立されている。 


 別に、エレオノールがどのような魔法を持っているのかを知らなかったわけではない。

 作中でも、彼女のセレスティアは何度も出てきた。


 …無論、敵、もといの魔法として。


「なんだか不気味ですけどね…。でも、ちょっとだけ便利なんですよ?ほら、今みたいにモノを運んだりできて…」


 彼女が指で虚空をかき混ぜると、黒い触手はその動きの通り、ぐるぐると回って見せる。

 それだけ見ると、蛇を操る大道芸人のようではあるが、しかしその姿からはどうにも、忌避感とも言うべき何かを感じさせた。



「まぁ…良いところはそれだけですけどね。私のセレスティアは…、人を怖がらせてしまうみたいなので」

 

 自嘲げに彼女は笑う。


 …知っている。

 それが、エレオノールという人物が『呪いの子』『人類の敵』だなんて呼ばれている所以だ。


 実際作中では、『人類の敵』にふさわしい所業をやってみせるのだから。


「…申し訳ございませんでした。今も、先ほども、アルクスのことを怖がらせようとしたわけではないんです。…本当ですよ?」


 先ほど、というのは、俺をこの部屋に入れた時か。

 あれもこの黒い触手によるものだったのだろう。


 そして、あの言いえない、彼女から感じられた威圧感も。


「……いつから、ですか?」


「、先月あたりでしょうか。朝目覚めたら、いつのまにかこれが溢れ出ていて…」


 言葉足らずの俺の問いを汲み取って、彼女は答えた。


 先月。わりと前から…なのか。

 今まで全然気づかなかったけれど。


「どうして、教えていただけなかったのですか?」


「そ、れは…」


 泣きそうな目で、彼女は俺を見た。

 目を隠したり、口元を隠したり、眉間を抑えたり。


 ようやく紡いだ言葉は、隠しきれないほどに震えていた。



…。アルクスに、嫌われてしまうのではないか…と思って」


 止めどなく、両目から涙を溢れさせる。

 思えば、エレオノールがこれほどまでに感情を爆発したところを、俺は見たことなかったかもしれない。


 咄嗟に背中をさすってやると、彼女はまるで縋るように、こちらに身を寄せる。


 

「どのみち気づかれるのだから、関係ないというのに。事実油断して、貴方を怖がらせてしまうのですから」


 少しだけ落ち着いたのだろうか、声は震えながらも、少しだけ密着の距離を広げる。

 しかし言葉の内容は依然と自身を嘲るようなものだった。


 …そして、俺はそれをハッキリと否定することができない。

 彼女の言う通り、俺は怖がってしまった。恐れをなしてしまった。


 今更何を言っても、口八丁にしかならない。


「今日…、アルクスが押し倒された時…、少しだけ、“これ”を発現させてしまったんです」


 右手を虚空へかざすと、黒の触手がそこから浮かび上がってくる。

 その様子を彼女は、どこか忌々しげに見つめている。


「そうしたら、みなさんの、が変わりました。まぁ、本当に少しだったので…あの場の騒動に居合わせた方々のみでしたが…」


 …。


 あのときの、彼らの奇異の視線は…俺とレイザーが取っ組みあってたこと、だけに対するものではなかったのか。


 どこか、恐れというか、蔑むような感情を感じられたけど、全ては彼女の固有魔法セレスティアによる…ものだったということか…?


「皆さんの…お話を聞いて。やっぱり、この力は駄目なんだと、思いました」


 はぁ、と息を吐きながら暗い部屋の天井を仰ぐ。


「そして同時に、確信しました。私はやはり呪われているんですね。いくら抑えようとしても、この触手が…まるで手足のように定着していて。息を吸うように、いつのまにか使ってしまっているんですから」


「…」 


「きっとこのまま、私は無意識にこれを使ってしまい…人々を怖がらせるのでしょうね。そして、きっと私の周りからは誰もいなくなる」


「…しかし、僕は」


「アルクス。あなたもきっと、


 このまま話し続けていると、どこまでも闇深くへいってしまいそうだ。引き留めようと声を出そうとするが、しかしそこで、バッと突き放される。


 瞳に光を宿さず、彼女は言葉を続けた。



「そう言って居なくなったのが、お母様ですから」



 母親…。


 エレオノールの母親は、作中に登場しない。アデルベーターも大概影は薄いが、テキストなんかでは多少名前が出ていた覚えがある。


 そして、転生したこの世界でも、俺は彼女の母親に一度も会ったことがない。

 思えば、屋敷にいて一度も母親の話題が出ていないことに、違和感をもつべきだったのかもしれない。


「お母様は、まだ魔力を制御できず、みなから忌避された私を抱いて、同じようなことを言ってくださいました」


 追憶するように、彼女の視線は虚空をなぞる。


「でも5歳になるころには、そんなお母様も私の目の前に姿を現すことはなくなりました。お父様が言うには、ご実家に帰られたそうです。婚姻はまだ破棄していないようですが…、きっともう、私と会うつもりはないでしょう」


 そんなことはない、だなんて易々と否定はできない。

 事実この3年間、一度も姿を現していないわけだ。


 おそらくその体験が、彼女の自信を…自己を肯定する心を失わせただろう。

 初めて出会った時のあの眼が、なによりの証拠である。

 心につけられた傷を、軽い気持ちで否定はできない。なかったことにすることはできない。



 …だけど。


 彼女自身をこと自体は、できるんじゃないか。


 母親に捨てられた…、のかもしれないけど、しかしそれはエレオノールに問題があったわけではない。

 すべては彼女にこんな力を与えた世界…と、その能力を不当に貶める風潮のせいだ。


 


「エレオノール様、」


「…良いのです。これが私の運命なのですから。きっと私は誰にも──」


「エレオノール様っ!」


 振り切って闇へ沈んで行ってしまいそうな彼女を、無理やり、肩を掴んで引き留める。

 突然の大きな声、あるいは急に掴んできたこと、あるいはその両方に驚いたのか、彼女はビクリと体を震わせて目を丸めた。


 だが、止まってくれたならそれでいい。


「たしかに、貴女の固有魔法セレスティアは…みなが忌避するものなのかもしれません。ですが…、でもっ」


 今はもう、方便とか敬語とかを捨てて、本心を伝えるべきだと思った。


 小さくて白くて華奢で、人に嫌われる恐怖に震えているその手を取る。


は、この手を…離さないからっ」


 目を丸めたまま、キョトン、というような表情を浮かべている。

 ぱちぱちと瞬きしてみせ、何を発するでもなくこちらの顔を見つめている。


(間違えた?いやまぁ確かに急にこんなこと言ったらキモいし…、いやでも本心だしっ…)


 空白の時間があまりに長く、台詞自体もなんだか気恥ずかしいものだったから、急速に自信を失っていく。


 しかしちょうどそこで、フッと噴き出すように彼女は笑った。


「ふふっ…、私は本当に駄目ですね」


 視線を伏せる。

 その笑いは、俺を馬鹿にするものではなく、むしろ自身に対するものだった。


「実は…、アルクスはそう言ってくれるのではないかって…期待してしまっていました。貴方の…優しさに…つけこんで」


「…、何度だって、言うさ。優しさとか、建前じゃなくて。…その、本心だから」



 言葉を探りながら俺がそう言うと、エレオノールは、もう一度泣いた。

 俺の胸に飛び込みながら、堪える様に、声を押し殺すように泣いた。


 その様子はまるで子供のようだったが、しかしその通り、彼女はまだ子供なのだ。

 だというのに、こんな能力を持ってしまったばかりに、彼女は不当に貶められてしまっているのだ。


 そっと、涙に暮れる彼女を抱き寄せる。

 キュッと、俺の手を握る強さが強まる。



 …守らなければならない。

 きっと彼女の身にはこれからも災いが降るのだろうし。 


 彼女の使用人として、友人として…

 

 として、彼女を決して、本編のような末路を辿らせるわけには…させるわけにはいかない。


 決意が、心の中で固まった。その折に。



 ふと、思い出した。


 先ほど、ナナイさんとの会話で思い起こされた、謎の思考のわだかまり。

 エレオノールの幼馴染…、本編にはいなかった、はずのソレ。


 本当に、居なかっただろうか?



 思考を助けるかのように、前世の記憶が別のワードを持ってくる。


 エレオノールが本編のような…

 人々を苦しめる存在になった闇堕ちをしたのは、なんでだ?

 

 幼少期からの不当な差別か?

 まぁ、なくはないだろう。 

 でも、それが全てと言えるのか?


 差別の結果彼女は自信を喪失し、何もかもを諦めてしまおうとした。

 それは今のやりとりでも推測できる。


 だが、そこに他者への攻撃性はさほど感じられない。あくまで、自身に向けた卑下の感情のみ。

 少し理由としては、足りないような気がする。


 じゃあほかに、何があるんだって話なんだけど…。


 そこでまたちょうど、前世の記憶がを持ち出してくる。

 あれは、そう。公式ファンブックに掲載されていた設定資料集にて、添えられていた一文。


 これは…。


 いや、そんな、まさか。


 

「…今のやりとりでわかりました」


 俺が急に絡まりだした思考にいる中、彼女は俺の胸の中でぽつりと言った。



「きっと私は、あなたがいなくなったら…のかもしれませんね」



「……え?」


 腹のあたりが、血の気がひくような感覚になった。


「その、もし、アルクスが私を突き放していたらと考えると…なんだか怖い想像をしてしまって───」


 エレオノールは弱弱しく笑った。

 あくまで、冗談めかしくそう言った。


 でも、それはきっと…冗談じゃない。

 現実になる、少なくとも本編では。



 動揺する。


 彼女の中での俺の大きさと、そしてこれから起こるであろう未来。


 エレオノールの闇堕ちの理由は、大切な人の…


 そしてその大切な人というのは、幼少の時代を過ごした幼馴染であり。

 そして今、その幼馴染であるのは、この、俺。

 

 記憶違いなんじゃないかって、何度も自問するけど、しかし妙に確信があった。

 そして今の彼女の発言が、よりその信憑性を高める。


 じゃあ、待て。


 つまり俺は、少なくとも本編開始の15歳…5年後までに、ってことか?

 そしてそのせいでエレオノールは、人々を苦しめる、ラスボスになる…?


「ねぇ、アルクス?」


 飛んでいきそうな意識が、彼女の声で引き留められる。

 

「先ほどの言葉、信じさせてくださいね?」


 “あぁ、当然だ”


 そんな一言が喉に詰まる。

 頷こうにも、首が震えて動かない。


 何か、強大なものが、俺の頭と首を抑え込んで…「お前は彼女を裏切る」と囁いているような気がした。

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