第9話 これが、乙女ゲームのキャラクターだ


 数分後、俺はエレオノールの隣に座っていた。


 主役の席に、謎の使用人がすぐ傍にいるという状況。

 もちろん注目を浴びるわけで、俺は胃がキリキリするような思いであった。というか今もそうだ。


 余興の踊り子たちの演目によって、一時的にこの場のみなの視線は別のところに向けられているが、さきほど俺がエレオノールのところへ駆け寄ったときはヤバかった。


 何か雑用なのかと思ったらなぜか席を用意して座り始めるのだから、そりゃあ注目もするだろう。

 アイツは何者なんだってな。


「アル」


 呑気に踊りを鑑賞することなんてできず、頬の裏を噛みながら足元に視線を釘付けしていると、なんだか心配そうに名を呼ばれた。


「はい。どうされました?」


「どこか悪いのですか?顔色が優れていませんが」


 視線をそちらに向けると、覗き込むようにしたエレオノールの顔が映る。

 ドキッと胸がはねて、慌てて姿勢を正す。


 いやしかしその質問は。


「…いったい誰のせいだと」


「ふふっ。そういうだろうと思いました。でも、アルクスが悪いのですよ?」


 静かに席をこちらに寄せ、彼女は悪戯っぽく笑う。


「僕のせいですか?」


「だってアルクス、私の執事でありながら、ずっと私の側にいなかったじゃないですか」


 責めるような口調と視線。

 ただ本気という感じではなく、頬を膨らませながら冗談めかした物言いである。

 

 ずいぶんと気品あふれる姿ではあるものの、やはりこういうところでは、あどけなさを感じさせる。


「僕はちょっと、別の仕事があったもので…。その代わり、ナナイさんが居たじゃないですか」


「彼女はお父様の使用人ではないですか。アルクスは私の執事、代わりはいません」


「そういうものですか…?」


 俺もナナイさんも使用人契約相手は彼女の父親、アデルベーター卿なのだが…、でもそういう話ではないのだろう。


 しかしどちらもエレオノールの担当ではあるし、それほど違いはないんだけどなぁ。まぁたしかに、教育係とお世話係、どちらがずっと近くにいるべきかと言われたら、後者ではありそうなのだが。


「でも、ここに座らせる必要はないじゃないですか?主役の隣に単なる使用人が座るなど…」


 俺がそう言うと、彼女は少しムッとしながらさらに距離を詰める。

 友人であるという了解がみなにあるならまだしも、何も知らない人間が多くいるこの状況では、少し不自然な距離感だ。


 俺は少し距離を取ろうとするが、腰の動きだけでは思うように席が動かず、失敗する。


 そんな俺のことはなんでもないかのように、エレオノールは耳元で聞こえる程度の声量でささやいた。


「アルクスは単なる使用人ではありません」


「…それはありがたいのですが、しかし来賓の方々は───」


「それにっ」


 彼女の声が少し上擦って、声量が大きくなる。

 周りに聞こえたのではないかと、そちらに視界を移すが、みな踊りに夢中なようであったらしく、こちらの様子を窺っている者はいない。


 小さく深呼吸して息を整え、彼女はもう一度口を開いた。


「ア、アルクスも、祝われる…べきだと思うので、」


 声が少し震えている。緊張によるものか、照れによるものか。

 彼女の表情を見るに、おそらく後者の方が比重を占めているに違いない。


「僕も…?」


「アルクスは、私と同い年なのですよね?」


「えぇ、おそらくは」


「なのに……、アルクスは誰にも祝われていない…ではありませんかっ」



 ……あぁ、なるほど。

 彼女なりの、思いやり…みたいなものか。


 たしかに、俺は10歳になるというのに誰にも祝われていない。


 今年が始まる時、「お前10歳になるのか、おめでとう」と使用人の同僚に言われただけで、本格的に、何か物を贈られるとかパーティーをするとかはなかった。


 明確な誕生日がわからなくて、かつ使用人という立場なのだから、無理はない。


 それを、彼女は疑問に思ったのだろう。あるいは、俺に同情をした。


 だから、同じ主役のように扱われるように、隣に座らせた…ということだろう。



 あぁ、なんて美しき心。美しき精神。

 友人として、従者として、感無量と言う他はない。

 あの時、暗く悲観していた彼女が、ここまで人を思いやれるようになるなんてっ。


 ならば、それを無下になんてできない。


「エレオノール様…、非常に、光栄でございます」


「…」


 赤面しながら、視線をきょろきょろと泳がせるエレオノール。


 なんだか愛おしく感じられて、子供扱いしてしまうようだが、そんな彼女の頭を撫でようとする。


 だが、セットした髪を崩してしまうかもしれない、空に伸ばした手をやや下に下げて頬に触れようとするが、しかしこれも化粧を崩してしまうかもしれない。


 ということで、最終的に彼女の肩に着地させた。

 素肌ということもあって、手袋しているとはいえ、ほどよい体温がこちらまで伝わってくる。


 びくりと体を震わす彼女に、俺は微笑みながら口を開いた。


「しかし、僕は…いやは良いのです。貴方のそばに居られれば、それで構わない。それに……、」


 肩に添えた手を撫でるように放し、そっと、彼女の膝に置かれた手を握る。

 

 これまた、猫のように体を震わせる。

 だが硬直もしてしまっているエレオノールに、優しく囁く。



は、エレオノール様が祝ってくださるだけで、十分ですから」




 いや、けっこう、かなり、小恥ずかしいことは言っている。

 もし前世の俺だったら、思い切りビンタされていたような気がしてならない。


 だが今世の顔をもって、かつ関係も深い相手に言い放ったその台詞は、かなりの火力を有していたようだ。


「そ、そ、そそう…、そうです、か。そう…ですか」


 茹でダコのように赤面する彼女の呂律は、壊れた機械のように狂っていた。

 宝石のごとき黒い瞳をグルグルとさせ、俺の手を握り返す。


「はい、ですから…」


 その手を握ったまま、俺はゆっくりと腰を浮かせる。しかしそれを瞬時に察知したのか、はたまた、たまたまか。


 エレオノールは俺の体をぐいっと引っ張った。


「で、では。私が皆様のぶんまで、祝って差し上げます。ですから…、今日はずっと私の隣ですっ」


 混乱は解けていないが、しかし芯ある光を宿した眼で、俺を見つめる。

 思わず俺は言葉を失い、その状態で硬直してしまう。


「わ、かり…ました」


 その瞳に吸い込まれるように、視線をそのままに、俺は腰をもう一度席に着地させた。


 ……まったく、適わない。


 気持ちを無下にはせずに受け入れつつ、その場を去るという手法をとってみたはいいが、効果はなかったか。


 『セレスティア・キングダム』のキャラのものだが…、主人公相手にしか効果はないのか。


 もしくは、俺の意思を反映させすぎたか。

 本家を完コピしようとしたが、つい一人称が僕になったり、つい感情を込めすぎたりしてしまった。


 だがしかし、あの状況で完コピというのも無理があったな。あんな言葉をもらったら、感無量すぎて繕えない。


 この特等席を、甘んじて受け入れるしかない…か。



 落ち着きを払おうと、机に置かれた水に手を伸ばす。

 

 そこで、ふと気が付いた。


 会場に、どよめきが戻っている。

 さきほどまで、踊りに夢中で静かになっていたのに。


 そしてもうひとつ。


 こちらに視線が向いている。

 この会場の響めきがすべて俺たちに対するものとはいえないが、しかし少なくとも、幾人かは俺たちの様子に気づき、ひそひそと誰かと耳打っていた。


 

 あー…っと、これは、良くない。


「あ、あの。エレオノール様、少し」


 もはや密着している彼女に、離れてもらうよう進言しようとした。


 しようとした、というだけ。

 

 俺の言葉は次の瞬間、別の言葉に遮られた。




「なァ」




 それは、ずいぶんと乱暴な口調だった。いうなれば、クソガキともいうべき口調だった。

 俺とエレオノールは、同時に視線をそちらに送る。


 彼女は、何者かと訝しむようであった。

 しかし俺のほうは…、どちらかというと、驚愕、という感情であった。



「エレオノール・アンシャイネス伯爵令嬢、この俺と、踊れよ」


 続く、やはり乱暴な物言い。

 しかしそれは、俺が思い描いていたものとまさに一致している態度であった。


 視線の先には、俺と同じ、あるいは少し低い身長で、暗めの金髪と眼を携える、憎たらしい笑みを浮かべた少年。


 先ほど俺の目にとまった、あのふたりの少年のうちのひとりであった。


 そして今、あの時感じた記憶のわだかまりの正体が判明する。そしてそれは、目の前の彼の正体でもあった。



「あなたは……レイザー・キルモンド…子爵令息」

 

 例によって年齢は低いものの、『セレスティア・キングダム』の登場人物にして、の姿が、そこにはあった。

 


 


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