第5話 従順のしもべ(仮)
連れられてやってきたのは、かつてエレオノールと初対面した応接室、の隣にある伯爵の執務室。
紙やインクの匂いが充満しており、そのとうりか大量の紙の書類や束があちこちに積まれている。
貴族様も大変なことだなぁ。
「以前、君が言っていたことが通りそうだよ」
黒光りのソファに腰かけたところで、アデルベーターはさっそく話を切り出した。
どうやら、俺が以前頼んでいた要望が通ったらしい。
「お、本当ですか?」
「あぁ、来週から君も、アンシャイネス家の人間だ」
そういって机に置かれたのは、湯気の立ったコーヒーカップと、
一目で良質なものとわかる、漆黒のタキシード。
同時にズボンや灰色のベストなんかが綺麗に畳まれた状態で、その下に置かれた。
「おぉ!なんだかセバスチャンって感じがしますね!有難うございます!!」
「セバス…? …うむ、まぁそれほど難しいものでもなかったからな。院長に頼んで、どの枠に入れるかを決めるだけだ」
俺が彼にお願いしたこと。
それは、俺がこの屋敷の使用人になるということだ。
エレオノールの友人となって数日後に、俺はそれを依頼した。
彼女と会ううえでも、また俺にとっても、そちらの方が何かと都合がよかったのだ。
「でも、本当によかったのか?そのような決断で」
コーヒーを一口飲み、資料なんかを探りながら彼はそう問う。
「もちろんですよ、というか僕がお聞きしたいくらいです。僕はわざわざ通う手間が省けますし、エレオノール様とすぐに会えるようになります。しかし伯爵様の方は、こんな子供を雇う羽目になりますし、いろいろと準備がいりますし───」
本当、受け入れてくれたのは嬉しい誤算のようなものだった。
この数週間、俺は街の宿屋に下宿しており、そこからこの屋敷に通っていた。
故郷の村から長い時間と馬鹿にならない費用をかけて通うわけにもいかなかったので、苦肉の策だ。
「住居程度ならば与えてやることも…できたというのに」
「いえ、それは僕の気が進みませんよ。平民の僕が特例というのも変ですし」
「…私は、階級など拘らない」
おっと。
アデルベーターは少し険しい顔をする。
彼は貴族には珍しく、それほど貴族平民などにはこだわらない節がある。
俺がここで働くことを願い出た時に、
「平民が屋敷に出入りするのは変ですよね、やはり使用人になった方がいろいろと…」という発言をした時も、今の様な態度をしていたっけ。
まぁそのおかげで俺は使用人の許可が下りたわけだし、大前提としてエレオノールと友人関係を築けているのだろうが。
「…そうでしたね。しかしまぁ、アデルベーター卿の権力を利用するみたいな真似はしたくありませんので」
キッパリとそう言うと、彼は少し不思議そうな顔をした後、ふっと微笑みを見せた。
「そうか。7歳という若さでそんなことを言えるとは、見上げたものだ」
「それを評価して、僕をエレオノール様と友人にしたのでしょう?」
「そこまで分かっていたのか、まぁ隠すつもりもなかったが」
孤児院の院長と彼の会話を聞いていれば、なんとなく推測できた。
どうやらアデルベーターはもとより、エレオノールの友人となる者を探していたらしい。
しかし、彼女の生まれ持ったあの力と姿に恐れを抱いて、同じ貴族や街の人間からは見つからなかったのだとか。
そこで、昔を知っており、貸しのあった院長に、見込みのありそうな子供を紹介してほしいと依頼。
結果として、頭脳も身体能力も普通の子供らしからぬ俺が、選出されたというわけだ。
「どうかこれからも宜しく頼む」
「もちろんですとも。掃除洗濯炊事まで、是非ともお任せくださいっ」
「…炊事は、君の担当ではないが」
少し呆れたように眉を垂らして、彼は苦笑する。
そのあとは、使用人契約やらなんやら、手続き……まぁ院長がサインした書類に本人確認をするだけだが、そういった諸々を済ませ。
かくして俺はアンシャイネスの人間となった。
ぶっちゃけ、かなりの出世ではなかろうか。
なんのつながりもコネもない平民の孤児から、伯爵貴族の使用人。
いろいろ制約なんかはあるにせよ、少し前では考えられないステップアップである。
まぁその分、期待されたこと、以上のことはしていかないといけないけどな。
「、ところでですが」
諸々の話が終わったところで、別の話を切り出す。
「今、この制服を着て、エレオノール様に会ってもいいですか?」
伯爵は、キョトンというような顔をした。
***
扉をわずかに開いて、エレオノールおじょーさまの部屋を覗いてみる。
やはりというかなんというか、彼女はぶすっというような不満げな顔をしていた。
侍女さんが懸命に機嫌を取ろうと頑張っているが、俯いたまま一向に態度を変える様子はない。
う~ん、少し待たせすぎたか。
「エレオノール様、」
扉をゆっくりと開け放ち、彼女の名前を呼ぶ。
と、バッと勢いよくこちらを振り返り、自分への不幸や理不尽を訴えるかのような形相をした。
「アルクス様、遅いですっっ!!そんなにお父様とのお話が楽しかったのですか!?私がどのような思いで────」
矢継ぎ早に言葉をまくし立てるが、俺の姿を認識すると同時にぽかんと口を開けたまま静止する。
「遅れて申し訳ございません、お嬢様。この
精一杯のキラキラスマイルをつくり、いつか前世で見た創作のジェントルマンの作法を真似して挨拶をして見せる。
うん。
使用人になった理由の3割くらいは、これが目的だった。
俺の見た目はかなりイケメンではあるのだが、服はいかんせんダサかった。
いやまぁ、特に奇抜とかじゃなくて、伝統の民族衣装ではあったのだが、いかんせん貴族のエレオノールと並ぶと芋っぽさが目立つ。
俺の顔も、素朴イケメンというよりも貴公子イケメンって感じだったし。
その点、この使用人のタキシードなら、顔とベストマッチなイケメンジェントルマンである。
「な、なんで…?」
口をパクパクしながら、やっと言葉にできたのは当然ながらの疑問であった。
「えっと、ですね───」
結果と経緯を事細かに説明してやる。
衝撃が強すぎたのかずっと呆けた顔をしていたので、おそらく半分くらいしか頭に入っていないだろう。
「では、アルクス様は…私の使用人になった、ということですか?」
「まぁ、そうですね。雇用主はアデルベーター様ですが、エレオノール様の身の回りのことを任されているのでそういう言い方も─────」
突如、体がぐいっと引っ張られる。
今までそれなりの訓練をしてきたので並大抵の力で倒れるような体幹ではないはずなのだが、油断しきっていたことと予想外に力が大きいということもあって、体勢を崩してしまう。
そして俺を迎え入れたのは、右腕に感じる柔らかさと圧迫感、鼻をくすぐるような甘い香りであった。
「では、では、では。アルクス様は、アルクス様は私のものということですか…?」
「え?いや、それは…」
いや今の、エレオノールに引っ張られたのか…!?
油断してたとはいえ、こんな崩されるほどの力を……、というか右腕を抱く力が強えぇ!!
「ふふっ、では、これからもよろしくお願いしますね…?」
それに、笑う顔がなんというか…、なんというか怖いんですけどっ!?
瞳に光が宿ってないっ!
魔力を出してるんじゃないかってくらい笑顔が闇深い…っ!
「アルクス…」
背後から、呆れの感情が混ざった声。
「あ、アデルベーター様!ちょっと、エレオノール様を……」
「仲を深めているようで、何よりだよ」
いや、御父上!!
あなたも目が怖い!!
そんなところで親子の血を感じさせないでくれ!!
この後、エレオノールの腕組は一時間ほど続き、アデルベーター卿の俺の扱いが若干冷たくなった。
解せぬ。
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