小さくて、かわいいね

色白で、かわいいね

ほっぺがかわいいね

手がむちむちでかわいいね


かわいいね

かわいいね

かわいいね


かわいいの海に溺れて死にそうだ。

私はペットや人形じゃない。



匠は、一緒にいても勝手に触ってこない。

匠は、私の話をちゃんと聞いてくれて、一つ一つ誠実に答えてくれる。

匠は、私が自分で答えを見つけ出せる人間だと信じてくれている。


そう思っていた。



匠を……失いたくない。

自分が男に生まれていたら、こんな悩みはないだろう。

匠を尊敬して、労り合えるよき友人になれたと思う。


クソッ!

まただ!

女に生まれたばっかりに、友情を育めない!


男だったら、匠のことは大好きだよ!

匠が求めてくるなら、セックスに応じるくらい好きだよ!


でも、女としてはダメなんだ!

女の俺は、本当の俺じゃない!

本当の自分じゃないのを愛されたって、嬉しくない!


悲しい……


物質化した自分と、内側の自分がこんなにも離れている。


匠だけは……


「変わった子だね」と言う両親と違って、

子ども扱いする姉と違って、

扱いづらいと敬遠する上司と違って、

美春はすごいねと言ってくれる友人たちと違って、


本当の俺を見てくれていると、思っていたのに……



♢♢♢



「ファスティングやろうと思うんだ」


夫に話した。

自分は絶食に向けて、計画的に食事の中身を変え、量を減らしていく。


「俺もやる」


「ホントに? 仕事大変なのに、食べなくて大丈夫?」


「そんときは、そんときで」


夫は、すぐに私に影響される。

そんなに自分が無くて、大丈夫なんだろうか。



一週間かけて、アルコールやカフェインをなくし、主食をなくし、最後は肉、魚、卵もやめて、野菜だけにする。


案外順調に行き、たった1週間で6キロ痩せた。

夫も、3キロ減り、なんだかんだついてこれていた。

これまでの”食べなきゃ死ぬ”妄想は無くなり、食べなくても大丈夫なんだ、という体験ができた。


絶食は1日だけにして、後は宿便を出すための梅大根汁を飲む。

明らかに今までと違う便が出て、成功したということになる。


そこからまた少しずつ、食べるものを増やしていく。

このまま、添加物に気をつけた食生活になれば、生活習慣を変えたことになる。



自信がついた。

空腹に負けず、体にダイレクトに影響する食べ物を吟味することで、自分を大切にできた。

以前より、お酒やお菓子を欲しなくなった。

今まで、どれだけ狂っていたことか。

頭がおかしくなると、食事もおかしくなるのだ。


人生の優先順位が変わった。

心身の健康、人間関係、仕事。

あんなに無関心だった健康が一位に躍り出た。



夫は、臭わなくなった。

夫がほのかに臭いのが嫌だった。

どうやら、毎晩の晩酌のせいだったようだ。

ファスティング後も、夫は断酒を続けた。


酔っぱらいは嫌いだ。

話が通じなくなるし、気が大きくなって失礼になる。

昔ほど、酒が許される時代じゃなくなって嬉しい。


ベッドはセミダブルを二つくっつけているが、臭うときは近づかなかった。

ようやくまともにそばにいられるようになった。



「みーちゃん、好きだよ」


夫は、独り言でもそう言う。

私はそれを耳にしても、何も言わない。


夫の「好きだよ」は、鳴き声みたいなものだ。

悪い意味ではないが、深い意味はない。


夫の、何が好きで結婚したのか。


夫は、平和な世界の住人だ。

古き良き、人間社会の安全を信じて疑わない。

それは、素晴らしいことだ。


ある時から、同じ世界を眼に映していても、見ている階層が人によって違うということがわかった。

私と匠はおそらく同じ階層を見ている。

だから話が早いし、似ているのだ。


夫の見ている階層については、理解はしているし、おそらく自分たちの寿命程度でその世界が崩壊する可能性は低いだろう。

だから、私が何もこだわらず、そっちの世界にのれば良かったのだ。


結婚すれば、そうなるかと思ったが、ならなかった。

匠のせいではない。

おそらく匠は、私の幸せのために、そちらの世界で生きることを望んでいると思う。


黙って、

今まで通り、

かわいい女として、

生きればいいんだよ。


優しくて、

無知で、

かわいがられれば楽だ。


誰も傷つかない、

みんなが幸せになる、

さっさと子ども一人くらい

産めば済む話じゃないか。


10人育てろって言ってんじゃないんだよ。

産んだ後はなんとかなるよ。

何をそんなに、

抵抗しているんだ?



みんなの幸せのために子どもを産んだら、

俺の幸せはどこにあるんだろう。

俺は、子どもを産んだら、自然と幸せになるんだろうか。


また、誰かを優先して、自分を後回しにして、後悔しないんだろうか。

その後悔を、子どもにぶつけたりしないだろうか。


俺の幸せって、なんだろう。


匠と二人で幸せに暮らしたい。


美春の夫のことだって、嫌いじゃない。

友達としては、もったいないくらいだ。


美春は、結局夫のことが好きだ。

たくさんの思い出が証明している。

美春の希死念慮を取り払ったのは、なんだかんだで彼なんだ。


美春には、時間軸がなかった。

昨日を思い出す時、17歳のある日に接続されたり、三時間前を思い出す時、6歳のある日に接続されたりと、間の十数年がすっぽりとなかったかのようになっている。


記憶があったとしても、まるで誰かから「お前はこうだった」「お前はこうしていた」と、後から書き込まれたような実感のない情報だけだった。


美春は、ずっと感情がなかった。

意識的に反応の仕方を覚えて、人間らしく振る舞っていただけだ。

そんな毎日に、価値なんてあるわけないだろう。


そんな反応を、喜んで褒める大人はバカだ。

そんな反応を、利用する奴は悪党だ。

そんな反応を、変だなと思う大人はマトモだ。



あまりに美春が巧妙すぎて、多くの大人は騙された。

だから、美春は救われる機会を失った。



美春の夫は単純で、美春の巧妙なやりとりを理解できなかった。

結果的に、美春は”反応しなくても生きていける”ということを経験をして、自分の実体を取り戻しつつある。

同時に、匠は、美春の巧妙さに隠れていた俺らしさを受け入れてくれて、俺は俺という存在になろうとしている。


美春と俺は、奇妙なバランスを保ちながら上昇している。

今までの無意識下での殺し合いよりだいぶマシだ。


匠は、やっぱり美春が好きなんだろうか。

だとしたら、あいつも今までの男と変わりないってことだ。

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