黄昏の話


「伝令はとても尊敬できるお仕事です。なかなかなり手がいないんですよ。皆、自分の場所を離れるのを嫌がりますから」

ヨナが説明してくれる。

薬を煮出しながら用意してくれた昼食をわたしが口にすると、とても嬉しそうにした。

「わたしの薬も彼が届けて下さっているんですよ。勇敢だし親切な方なんです」


ただの変な人ではなく、尊敬されている変な人らしい。

あまり共感できなかったので、別の話題をふる。

「ヨナは町に住もうとは思わないの? 一人きりだと不便じゃない?」

彼女は首を振って、にこやかな笑みを返す。

「一人きりではありません。わたしには彼がいますし、今は柱姫がいらっしゃっいます 。それに、わたしは夜の病を看るものです。頼りにはされますが、歓迎はされません。彼も多分、町は好きではないのではないかと 。なんとなくそう感じるんです。わたしはただここに在るものとして生じ、あるのですから」


「でもそれなら、はじめから一人きりの人はずっと一人きりでいなきゃならないみたい。話し相手とか結婚とかどうするの? 」

「わたしが、ですか?」

非常に戸惑った顔をされてしまった。

変なことを言っただろうか。


「結婚は、神のための神聖な行為だとされています」

語る表情は固い。察するに、──全然めでたくはないらしい。

「神が行うのに支障はありませんが、人々が試みるのは危険なことだとされています。わたしもよくは知りません 。噂では夜を引き込んでしまうとか、夜に引き入れられてしまうとか。あくまでも風聞ですけど。実例は知らないんです」


結婚とは怪談分類の、懸念けねんの表情を浮かべる事項らしい。

わたしの認識とは相当隔たりがあるようだ。

「夫婦の人はいないの、親子も?」

「いいえ、そういう人たちは最初から家族として在るんです。家族の人たちは町や集落に現れることが多いですね」

言い方に引っ掛かりを覚える。


「突然現れるってこと? 子どもは女性が生むわけではない?」

「ええ、皆それぞれの場所に生じ、そこで生きます。存在を失うまで。時々は子どもや兄弟が遅れて増えることもありますが、ほとんどは同時に現れます。そして勿論消えてしまうこともあります。夜に風や嵐があったときには。消えてしまうと、本人を中心にしてその人の記憶も消えてしまうそうです。たまに本人と関係の薄い辺縁に記憶が残っていたりするそうですが。夜は消失の契機となるとされますので不吉とされ忌避きひされるのです」


「消えたら、家族も存在を忘れてしまうってこと? そもそも 同じ場所に生じたら、それで家族と分かるの? 家族だという記憶を持って突然現れてくるということ? それで家族だとお互いに認識されるの?」

割り振られた役柄で、物語を生きるように。


「かれらのことはわたしにはあまりよく分かりません。レヴィさんにお尋ねするといいと思います。レヴィさんは覚えているのが好きだから、あちこちを移動する伝令になったそうです。忘却が起こるのは、存在する場所を中心とした円で、移動していると忘却は追ってこられないそうです」


本人が消えると、存在ごと忘れ去られる?

覚えてないのだけれど、わたしの知っていた世界とは大分異質だというのだけは分かる。

申し訳無さそうにヨナが答える。

「でも、そう、家族として生じるには、彼らは彼らなりに繋がるなにかを持っているんだと思います。わたしと彼のように。多分、共通する記憶を」

「共通する記憶?」


ヨナがとても大切そうに語る。

「わたしの初めての記憶は黄昏なんです」


「黄昏?」

「黄昏の記憶を持っているのはわたしだけだとレヴィさんは仰ってました。伝令のついでにあちこちで話を収集されているそうです。物語が好きだと仰っていました。黄昏はわたしたちの最初の記憶なんです」

無意識の癖なのか、彼女の白い指が覆われた自分の首もとを撫でる。

わたしたち、という時彼女はよくそうする気がする。

「わたしが初めて彼を見たのは、黄昏でした。それは最初の記憶です。わたしは黄昏から来たんです。次にはわたしはもうここにいて、薬女としてありました」



「待っていれば夜のように、黄昏にもなるの?」

「いいえ、どこにもなかったんです。知る限りでは。探そうとしたこともあったんですけれど、うまくいかなくて。きっと既に昼の薬女として現れてしまったわたしには行けない場所なんだと思います。始まりの、あの時だけの」

窓の外の遠くから、夜には潮騒に変わる草原に吹きわたる風の音がする。

最初の記憶。わたしにもあっただろうか。

わたしに語りかける彼女を見ていると、思い出せそうな気がする。異界にいる心細さ故の刷り込みだろうか。



「──黄昏は昼よりも様々な気配に溢れていました。遠くの方には夜の始まりが見えました」

想像してみる。

金と茜とオレンジと赤ともやがかった黄色とくすんだ白と。

遠くの端にうす藍が裾のように兆している。


「周り中がざわめいているのは分かるのに何にも聞こえないんです。とても静かで。たくさんのものがひしめいているのに、自分の近くだけぽっかり空いていて、手を伸ばしても何も触れられない。そこら中に気配があるのに。でも、自分にとって重要ななにかがあるはずだと信じていて、手を伸ばしてなにか掴もうとするのを止めないんです。周り中がそうしていました。なにか、絶対にあるはずだって。それはとても親しいもので、もっとずっと近い自分のようなものなんです」

 

「時々、黄昏は動きました。大きな川が流れるように。わたしたちはびっくりして手を止めて、それからまた何事もなかったようにあちこちと手を伸ばすんです、飽きずに。 それがずっと続きました。 なにかを見ようとするとぼやけて消えてしまうので、探すには手の感触だけが頼りでした。どれくらい時間が経ったのか、あそこには時間があったのか、」


「ある時、黄昏の上を舟が通りすぎたんです。 舟はたくさんの人の形をした影を乗せていました。そこに彼がいました。彼一人、影の姿ではありませんでした。彼とわたしの目があったんです」


 不思議な、夢のような話。


「わたしは手を伸ばしたんです、彼に。彼も鏡で姿を写したみたいに同じ事をしました。そしてわたしは一瞬の夜を通りすぎて、今いるここにありました、薬女として」


彼女は部屋の隅に目をやり、わたしも釣られて見た。

覆いのかけられた銀の縁取りの鏡がある。

ひび割れていて使い物にならずそのままにしているようだ。

整然と心地よく整えられた家なのでひどくそぐわない気がする。


「ヨナ?」

彼女からは、ただ静かな微笑みが返されて、疑問の言葉が流れてしまう。

最初の記憶。誰かがそんな笑みでわたしを見つめたような気がする。


 

伝令を襲っていた猫は片付けるヨナの足にまとわりついている。

わたしはヨナの作った薬をビンに詰め、包んでいた。

町に届けるものらしい。

「ありがとうございます。助かります」


手伝いながら、頭の整理をしていた。

この場合を夢の続きとするにはやはり相当無理がある。

世界の理と在り方が大分違う。

夢の道と繋がっていた別世界だ。

夢から出てしまったからには、黒の老婆の助けはあまり期待できない。


だが、わたしがここにいるということは蝶もここにいる可能性がある。

この世界はわたしにとって夢に近い、とアトリが言っていた。

夢に近いならば、あの蝶も迷い混んでいる可能性がある。

どのみちあの蝶がいなければさ迷う定めだ。どこに存在していようが同じこと。


コトン、とヨナが水差しに伝令から渡された花を活けてテーブルに置く。猫はどこかに行ったらしい。

「良ければ彼によろしくお伝えください。感謝は伝わっているとは感じるんですが」

冷たい空気を感じた。

水差しに霜が張っている。



一瞬の夕光が光った。






 

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