冷たい夜

水差しの置かれた場所にぽっとランプが灯り、ひらりと手紙が落ちた。

花が、手紙。雅趣がしゅある変化だ。


魔術師は顔をしかめて手紙をつまみ上げる。

「誰から? ヨナじゃなくあなた宛なの? 嫌な手紙?」

「嫌、とは」

「だってものすごく嫌そうな顔をしてるわ」


「召喚状だ。魔術師の会議がある」

「あなたの他にもたくさん魔術師がいるの?」

「多くはない」

「あまり仲良くはないの?」

「なぜ」

「そういう顔をしているから。昨日はすごく無表情だったのに」

「……」

夜については滔々と説明していたが、他の魔術師は話題にしたくないらしい。


「昼のものは修理したりは難しいの?」

「材料が手に入る夜が巡ってくるかどうかによる。なにかご所望なら伺うが」

「ヨナのところに壊れている鏡があったから」

一瞬、苦い間があった。

「彼女は薬女として占いもする。役に立てばと贈ったが、あれは、彼女にとって良くないものだった。直さないのは彼女の希望だ」

顔をそらして暗い声で呟く。だがすぐ、気を取り直したようこっちをみる。

「夜の病は平気なのか」

「うん。あの薬、効くのね。お菓子みたいな味だったけど」

「当然だ。彼女は薬女だから」



外から凄まじい風の音がした。

アトリが舌打ちする。

「今夜の天気は良くない。戸締まりしてくる」

そう言って奥に入っていく。


ガリガリと壁を引っ掻くような音がする。

風や嵐がドラゴンよりも厄介だと言っていたけれど、刃物でも舞っているのだろうか。

人を消すこともあるとは、実体を伴うのか。


ひらりとどこからか羽が膝に落ちる。

白い羽。伝令が連れていた鶏の羽がどこかについていたのだろうか。

外からものを持ち込んではいけないと、警告されたような…。

でも、昼と夜で何に変わるかわからないから、という理由だったような気がする。

これは変化していない。

体から離れると、昼から夜に変化するときに置いていかれるのだろうか?


突然空気の温度が急激に下がって、体をさする。

吐息が白い。

ランプに手をかざしても、慰みにもならない。

寝台から毛布を取ってきて包まるが、震えが止まらない。

戻ってきたアトリが、わたしの様子を見て炉の火をおこす。

火傷しそうににじりよっても、ふるえはおさまらない。


「まだ寒いのか」

意外そうに言われた。

興味深げに頷く。

「柱姫でも凍えるのだな」


彼本人は、針のような寒さは痛くも痒くも無さそうだ。

魔術師特権か。

「あなたに凍死してもらっては困る。失礼する」

近寄って、わたしの手を取る。

魔法でも使うのかと思ったが、触れただけで取り外したように寒さが消えたのでギクリとする。


「なに、これ」

「今夜は、〈冷たい夜〉。平穏な夜と称するものもいる。誰かといなければ乗りきれないから。中には、わたしのように全然影響のないものもいるのだが」

「一人きりだと凍死しちゃうってこと?」

「体の小さいものはよくそうなっているようだ。寒さに弱って捕食される例もままあるが」


「ヨナの猫は!?」

「虫をつけてある。昼はドアノブになっているな」

……なんかこれから触れなくなれそう。

「平穏な夜なら、今夜もヨナのお土産を取りに出掛けるの?」


アトリが首を振る。

「今夜は月がない。平穏な夜というのも所詮皮肉にしかならない。木や石など安全そうなものに擬態ぎたいした魔物が、凍えまいとすりよってきたものたちを捕食する絶好の狩り日和だ。魔物にしてみれば、凍えないためには一匹いればいい。後は入れ食いだ。正体の分からないものに凍死しないために触れるなら、二人っきりの状況にするのが最善だな。お互いがお互いの生命線になる。しかし、触れるだけで毒がまわったり呪いがかかったりするものもいる。口の中や胃袋にいれておいても、獲物が生きているうちは寒さは作用しない。確実に安全とは言えないな」


「くっつくのは木や石でも構わないの?」

勿論、と魔術師が答えた。

「昼は勝手が違うようだが、夜は全てが生きていると考えて良い。意識があるものなら平気だ。状況によっては自分の髪一筋や吐息すら油断ならない害をなす存在となることもこともままある」

「このテーブルも? ランプも?」

「この石卓を含めた住まいは、わたしの在り場所として付随して生じたものだ。存在の付随物として生じたものは、変容の危険はない。不安定にさらされれば、壊れるか消える。魔術師自身が消えた住みかを見たことがあるが、ゆっくりと薄れていくようだ」


ランプを持ち上げる。

「これは、わたしが加工したものだ。魔術師の加工は、付随物と同じ特質を持たせられる。ただし、本来の性質をよく見極めないと。付随物よりは、安定が弱いし変容の危険がある」

「変容?」

「ただ形が変わるだけの時もあるし、或いは意思を持ち魔物化するか、獣化するか」


思わずじーっと見つめてしまう。

「魔術師は、この世界で最も存在が安定した高位の存在だ。魔術師がいる地域も安定性が高まる。わたしの手掛けた加工品も余程のことがなければ、壊れたり変容したりはしない。突発的に規模の大きな嵐に襲われるようなことでもない限りは」


「昨日も危険だって言っていたけど、嵐って雨が降って風が吹くだけじゃないの?」

「それだけが災難なのだ。この世界は、儚い。この世界に存在するものは、さらに存在が弱い。確固として一つであることができない世界なのだ。存在は光量、湿度、温度、天候、地理などの条件によって影響され、変容するか、自我を保ったまま姿だけ変わるか、体の一部のみ変質するか消失するか」


「個体差もひどい。体質によって、赤いものをみると凶暴化したり、くしゃみで透明になったり。余程存在の弱いものは一歩歩く毎に存在を保てず形を変える。条件を組み合わせて変化する者もあるし、相殺しあって何の変化も及ぼさないこともある。風や嵐は、特に変化をもたらす危険をはらんだものだ」

── 風に吹かれるだけで、性格や容姿が変わる?

なら、消えてしまうことがあっても不思議ではない……のか。受け入れがたいが。


「特に狂暴な風や嵐は変容の激しい不安定な地域からもたらされる。酷い場所では、魔術師ですら融合と分離に巻き込まれ、絶えず変化しているだけの結局は何物でもないものになってしまう。危険な場だ。嵐生帯らんじょうたいとして忌避されている。ただ一定の場所に限らず、拡大することもあるし、突発的に発生することもある」


「なんだか滅茶苦茶な話にしか聞こえないけれど」

魔術師は重く頷く。

「存在は常に不安定にさらされている。だからこそ柱姫が望まれる。柱姫は魔術師ですら危険な大嵐や嵐生帯にも何の影響も受けず唯一の存在でいられる。自身が不変の存在であるばかりでなく、その安定を世界に分かち与えることができる。姫の降りた場は安定が増す。町を造ることもできる」


「魔術師は柱姫に準じる存在、それほどひどくない場なら安定させることもできるし、柱姫の恵みを世界に与えるための仲立ちをする。また、剣呑けんのんな夜において柱姫を守護するのも魔術師の務めだ」


「わたしは目立つって言っていたけど、それは他に異界から来るものも同じ?」

わたしの追いかけていた蝶が、もしこの世界に来ていたら、危険にさらされているのだろうか。


「柱姫以外に異界から流れ着くのは邪悪だけだ、滅多にないことではあるが。柱姫は不変の世界から夢路を通って降り下る、弱いこの世界のために何も持たずに、そしてこの世界のために恵みをもたらす。その他のものは、害悪しかもたらさない」


アトリが召喚状に目をやる。

「もし漂流物があれば、排除のために魔術師が動員される。あなたがこの世界にやってきた時、ついてきたものでもあったのか?」


正確には、わたしが蝶を追いかけていたのだが、口にすべきか迷う。

蝶を傷つけさせたくはない。が、このままわたしの知らないところでなにかあったら、全てを失う。


「わたしの蝶を探しているの。あれはわたしのもので、邪悪ではないわ。お願い、誰かに傷つけられる前に探すのを手伝って」

アトリが眉をひそめる。

「蝶?」

「わたしは蝶を追いかけてこの場所に辿り着いたの。だから、見つけないと。会議についていってはダメ? 他の魔術師に心当たりがあるかも」


「とんでもない!」

「どうして?」

「それは……。とにかく、例のないことだ。迂闊に決断は下せない」

「だけど 、」

「それがあなたの願いであることはわかった。柱姫の願いが無下にされることはない。だが、魔術師は世界を守る。

もし、それがこの世界に害を与えるものなら看過かんかできない」


「ただの蝶よ。わたしにとってだけ大事な」

「不変の世界から降り下るということが、あなたはわかっていない。 存在の堅固なものは、この不安定な世界で存在するだけで、他のものを踏みにじり壊すことができるということを。例えそのもの自身に害意がなくても、心根善きものであったとしても、世界にとって邪悪でしかない」

「そんな」

「とにかく、初めての例だ。少なくても、わたしは知らない。それが、あなたのものであるなら、この世界に害はもたらさないかもしれない。検討の必要がある」


「……」

「あなたのものであることは、極めて尊重される事柄だ。

こちらも害をなさないことが分かれば、手荒に扱うことは決してない。発見した場合もあなたの手元にあれば、無害化する可能性も考慮に入れる。だから軽はずみな行動を起こすことは控えて欲しい。わたし無しで夜に出ていくようなことは。探すのは手伝う。危険な可能性があるものを野放しにはできないから。約束してほしい、あなたを危険にさらすことはできない」


「……蝶を殺すなら、わたしを殺すようなものよ」

「それは……、困る」

「早く見つけるに越したことはないわ。他の魔術師に協力して貰うわけにはいかないの? どうしてわたしは魔術師の会議に行っては行けないの?」

「不可能だから」

「なんで?」

「昼は一つ限りだが、夜には層がある。柱姫の意識があるのは夜の始まりの層だけだ。会議は夜更けだ、あなたは眠っている。見聞する機会はない」

「そんなの、」

風向きが変わったのか、ガリガリと岩をほじくっているような音は、誰がが泣き叫ぶような音に変わった。


魔術師も耳を傾けて、

狼風ろうふうは行ったようだ。ベルローザも起きたな」

と言い、手を放して立ち上がる。

「〈冷たい夜〉は終わりだ」

確かに手を放されてももう寒くなかったし、意識がゆらゆらと落ちていくのを感じた。

でも、あの子を探さなければ。


「蝶を、探して」

訴えたけど、声は溶けてしまったような気がした。

意識が、沈む。

まぶたが、体が、重い。

話によれば 本当の肉体ではないのに。

いつもなら、眠りに沈んだ先であの子を探していたはずなのに。




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