召喚
柱姫を寝台に寝かせて、アトリは気が進まぬまま窓の外の暗闇に向き直った。
召集には逆らえない。
欠席して
せめて、あと一晩。
柱姫にはもてなしの三夜の供えが儀礼の通例だ。
他の魔術師が横からはいりこんで掻き回されて、ヨナを
それにしても、柱姫以外の漂流物とは厄介な。
柱姫自身が持ち込んだのであれば、それは聖なるものだろうか。それともやはり、邪悪なのだろうか。
自分には知識がない。
神に問うしかないだろうか。
重い吐息が出る。
会議をやり過ごすだけでも気が重いのに、ロギウスを訪ねねば。
奥の扉を開けて、ケテルの突き出した鼻面を撫でる。
昼は藤色の猫の姿をしている。
ある夜、青腐りの漁師からたまたま救ったら居着いた。
変化は好まないが、特に害もなくヨナもむしろ喜んだのでそのままにした。
青腐りの漁師は嵐生帯に巻き込まれた魔術師の成れの果て。どろどろと腐り崩れ流れる体で、そこらにいるものを網で根こそぎ絡めとりどこかへ連れ去っていく。
何度か消したが、元が魔術師だ。存在が強い。再び現れてくる。
完全に消し去るには、まだかかるだろう。
ケテルの首に提げた虫籠に召喚状を差し出す。
さりさりと音を立てて白く光りながら食べ尽くす。
虫籠を元の位置に戻す。
全てがあるべき場所にあることを確認する。
ヨナを困らせないように。
虫籠の代わりにケテルに灯火を吊らせて、アトリは用心深く夜に踏み出した。
大気も水も大地も、強いものには従う。
魔術師の会議は、見捨てられた町の議事堂で行われる。
姫を娶った魔術師が、姫を失って去った町。
廃墟となっても消失の気配なく、鮮明に昔日の姿を保っている。
姫の恩恵は偉大なのだ。
道化師が住み着いているが、さすがに今夜は離れているか身を隠しているだろう。
一者を
周辺地域にも揺らぎが少ないところを見れば、他の魔術師もほとんど到着しているのだろう。
柱姫には及ばないが、魔術師も場を安定させる力がある。
用心しながらケテルを隠し、議事堂の大扉をくぐると中には思い思いに魔術師たちが散らばっている。
魔術師は群れない。
出会えば、攻撃しあう。
互いの領分の確認のためである。
そして確定した縄張りの安定と保持に務める。
町の近くに住むアトリは異例ではあった。
町には柱姫がおり、その伴侶がいる。
近くの魔術師は警戒され、
柱姫を奪う可能性があるから。
神の取りなしで見逃されてはいるが、面白くない存在に違いない。
堂内にはいくつか松明が置かれていたが、魔術師は皆夜目が効き、気配に敏感だ。
床に伸びたいくつかの影、闇に溶け込んだいくつかの気配、舌打ち、咳払い。
魔術師の数は十数人。
ここに姿を見せないものは、もう消えてしまったのか。それともなにかを企んでいるのか。
アトリは柱姫に対して、魔術師は夜も人である、と説明した。幅がある。
大方、人であるというのが正しい。
魔術師の出現は「在れ」という意図が存在に伴う。
世界の気まぐれによるのではない。
また現れた姿が柱姫と交合できる、というのが絶対の条件となる。
手足や目鼻が二、三多かろうと少なかろうと問題はない。
全身被毛していようと、鱗肌だろうと、問題にならない。但し、下肢が人の外形と甚だしく異相だと
変容の世界ゆえに多様性がありすぎ美醜の観念はないが、魔術師の間では、眼2、鼻1、口1、耳2の適切な数、人らしい適切な配置の顔はとても良いとされている。体つきも同様である。
柱姫が自分の対の似姿として好くからである。
魔術師に女はいない。
稀に特殊な
アトリは誰彼にも近寄りすぎない位置に立つ。
魔術師は柱姫の訪れを待つものだが、柱姫は
滅多には出会えない。
よって力を求めるために、魔術師同士の共食いを狙う輩もいた。
魔術師は神の一部を担っている。
魔術師を食うことには、それなりの効果がある。
貴重な標準人型を獲得しているアトリは、標的にされやすかった。
一時的効果があっても、神の高次段階である時の安定がない。蓄積が為されない。
反動で不安定化し、弱体化することもある。
アトリは不確実な手法に引かれることはなかった。
失敗すれば、自分の半身に累が及ぶから。
鏡の奥から、自分を手を伸ばした少女。
日世は真実ではないとされる。
夢幻の世界のさらなる夢だと。
日世と夜世は対等ではない。
昼の光が映す自分の影のようなものだ。
日世には残酷も痛みもない。
夜のものは日世の記憶を持つが、逆はない。
そもそも日世は夜の存在を知らない、ヨナが例外なのだ。
夜が真実であり、昼が夢とされる。
更に言えば、魔術師こそ真なるものであり、その他は病んだ世界が見ている悪夢のようなものなのだ。
もしアトリが、自分の日世のために真剣に便宜を図っているのを知られたら物笑いの種となるだろう。
だが、彼女はアトリを知っている。
そして自分の半身だと思っている。
日世の記憶は当然夜世の自分のものでもあり、黄昏の記憶はアトリのものでもある。
黄昏の記憶は特殊なものだ。
アトリが神に目をかけられているのは、恐らくは黄昏と夜世の存在を認識するヨナのためだった。
存在の儚い世界で、自分を認識されることは貴重なことなのだ。
いつ変化するか消えるかわからない不安定な世界で自分を認識されることは大きな喜びと慰めなのである。
アトリは彼女の記憶の中で、はじめて自分の姿を見た。
彼女は自分を知り、尚且つ自分についてあれこれ物思う。
それをそっくり知ることになるアトリはしょっちゅう気まずい気分になる。
彼女は、アトリを善人だと思っている。
彼女の思い込みは、アトリの行動を縛る。
自分の行為がいつ何時、彼女の姿見をよぎるかわからないからだ。
アトリにはヨナを無視することができない。
自分の影として軽んずることもできない。
彼女が自分の存在を認めているから。
夜を越えられる存在である柱姫に
慎ましく言い出さないだけで。
なんで話さないのだろうとアトリもちょっと不満を感じている。かといって自分が催促するのも変な話だ。
もてなしの夜の最中でもある。言えない。
もてなしの夜を終えて一者になりさえすれば、きっと全ては解決するだろう。
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