二日目

赤の道化

「おはようございます、柱姫。朝ご飯の用意ができていますよ」


少女がやさしく微笑んでいる。

家には白い光が満ちている。

平和な光景すぎて逆に欺瞞ぎまんのようだ。


夢には願望が反映される…黒のお婆が言っていた。

この光景はわたしの望みに近いだろうか遠いだろうか。

──自分の望みを思い出せない。


「彼とは仲良くやれたんですね、おみやげもありがとうございます。」

昨晩、巨大なクモの巣から取ってきたものは、朱色あけいろの五束の紡糸に変わっている。

……やはり地続きの夢なのか。


「あなたは、彼なの?」

「はい」

たじろぐほどの輝く笑みで返答される。


別人に変わるのは自分にとっては奇妙なことにしか思えないが、アトリはヨナを気遣っているようだし、ヨナはアトリを信頼している。

共生が成功していれば、孤独に陥ることもない幸福な在り方なのかもしれない。


孤独。

吐き気を感じて慌てて外に出た。吐くものはなにもない。虚ろ。

「大丈夫ですか!? 夜に何か摂りました!?」

「ううん。ちょっと……動揺しただけ。食事は食べる気分じゃないみたい、ごめんなさい。準備してくれたのに」


ヨナが気遣わしげに頭を撫でてくれる。

「気にしなくていいんですよ。足元が揺れる感じはしますか?」

「え、ううん」

「では希薄感は。自分の周りの存在を薄っぺらいと感じたり、自分をあやふやに感じますか?」

心配そうにわたしを覗き込む彼女の目を見つめ返す。 耳をすませば物語を語り出す神秘的な泉のようだ。


「少し…。でもきっと夢が覚めないせいだから」

温かい手が頬に添えられる。

「夜の病にあてられたのかもしれません。柱姫は幸運でいらっしゃるけれど、それでもこの世界の夜は人を病ませるんです。森に行って薬を取ってきましょう。お茶だけでも飲めそうですか、気分が落ち着きます」

「夜の病」

「昼の者が何かの拍子に夜を知ってかかる病です。自分が揺らいでずっと不安に苛まれます。昼の者は本来、夜の存在を知りません。ただ不吉なものとして認識しています」

「そう、なの」

 

夢のようなもの。

全てが終わったら夢を歩いていたことは忘れる、とお婆が言っていたことを思い出す。

わたしが夢を歩くことは、生き始めるためには必要。

だけれど、生きるためには必要がないから。



「森についていってもいい? 外を歩いた方が気が紛れそう」

草原の風に当たり、森のひんやりした木陰に入ると大分気分がましになった。

「静かね、生き物もいないし」

「この森は夜が停泊すると言われていて、人も動物も近寄りません」

「ヨナは夜が怖くないのね」

「薬女ですから。暗い場所や影差す場所を恐れることはありません」


空に太陽は見当たらない。

伝説にはあるそうだ。

夜を越えられる存在を妬まれて逃げ回るのを哀れんで女神がその姿を見えなくした。

それでも夜は太陽を見つけようとあちこちに手を伸ばす。

が、触れると太陽は光る衣を脱ぎ逃げ去ってしまう。


話しながら、彼女は夜を薄めるという薬草を手際よくかごに集めていく。

手伝いたかったが、正直キテレツな形態ばかりな植物の見分けがまるでつかない。

草原の見える森の際ならば歩き回ってもいいと言われる。


言葉に甘えてぶらつく。

夢から迷い込んでこの場所に来た。それは間違いない。

自分のことはあいまいだが、黒のお婆の所在を探すことに苦労したこと、更に黒のお婆に要求を通すことはその倍も苦労したことを覚えている。


黒の老婆は世界と自分の有り様を告げる。境界に糸を通す。夢に忘れてきたものを取り戻させる。

黒のお婆はわたしには無理だと言ったのだ。

わたしの場合は夢に呑まれてしまうだけで、やるだけ無駄だと。


実際言われた通りになっているようだ。

ここが夢なのか、夢と繋がった違う世界なのかまるっきり分からないが。

無駄であろうが無理であろうが、わたしには他にしようがなかった。


足が止まる。

そうなのだ、わたしにはなにもない。

柱姫は名前を持たない? わたしには、そもそも名前が存在しない。

自分のことがあやふやなのも道理だ、はじめから何一つ持ってない。

蝶はどこに行ったのだろう。

なにもない場所に戻れたところで意味はないのだ。

蝶を探さなければ。


陰気な森を見渡すと、どこからかチリリン、と鈴の音がした。


「ごきげんよう、柱姫」

音の出所を探してうろつくと、突然声が降ってくる。

見上げて、目がチカチカした。


金モールと鈴のついた鍔ひろの赤い帽子、金の縁取りをした赤の片目の眼帯、革ベルトの装飾のついた赤マント、とんがった爪先のくたびれた朱のブーツ。

きんきらと、赤い。


赤い男が陰気な森の木の上で立ち上がり帽子をとって、優雅に陽気に浮かれた芝居じみた礼をする。

「幸いのお方がつつがなく世界に恵みを与えて下さいますように! お会いできて僥倖ぎょうこうの至り。何かお役に立つことがあればなんなりとお申し付けを !!」


鳴き声がして視線を下げると、赤い男のいる木の根元を藤色の猫が立ち上がって切なそうに眺めている。

あれは、ヨナの猫ではないだろうか。


「しっしっ、君はあっちにお行き。飼い主以外に懐こうとするとはなんと浮気性な」

猫は訴えかけるように鳴くが、苔が滑るらしく木を上れないようだ。

ちょっとショックを受ける。

わたしには素っ気なくて撫でることもできなかったのだが、あの男はお気に入りのようだ。


猫も登れない木の上にいるとは、軽業師だろうか。

「手助けした方がいいのかしら…」

「是非に!」

呟きに速攻で返答が入る。


これは正当きわまりない人助けだ、と言い聞かせてウキウキしながら猫をもふりにいくとあっさり逃げてしまった。

──落ち込む。


「あぁ、あなたはまさに女神だ! わたしの命の恩人です!!」

男が下りてくる。

チリンチリン、帽子の鈴を鳴らしガシッと手をつかまれて情熱的に感謝されるが気が晴れない。

どうしてわたしがダメでこっちの男がいいのだろう、お礼に不審な男の帽子の金モールでもむしりとってオモチャにすれば寄り付いて貰えるだろうか。


「猫に嫌われたと落ち込んでいらっしゃる? お気になさらず。あれは臆病で慎重で賢く用心深い種族なんです。この世界に柱姫を嫌うものなんて存在しませんよ!! あなたは幸運で豊穣ほうじょうで祝福なんですから。ただ下手に柱姫の気配をつけてしまうと、追っかけ回されてしまいますからね昼も夜も。そうすると魔術師に危険を呼び込むと判断されて始末されてしまいますから」


「あなたは、誰?」

「よくぞお尋ねくださいました!! わたくしめは道化師として生じたものの聞くも涙、語るも涙な艱難辛苦かんなんしんくの中から悟りを得て、崇高なる意思で伝令の職をしながらの旅人という存在を自ら選び取ったこの世界の唯一無二の、ぐえっ」


謎のテンションが突如へし折られる。

胸を抑えて屈みこむ。

「ううっ、わかった、わかったから、仕事するからくちばしで心臓をえぐるんじゃないぃ」

マントをめくると、花を一輪加えた赤くてやたら目付きの鋭い雄鶏が現れる。

え、鶏?

金の冠まで被っている。

なんか……、意味が通らない情報量の多い人だな……。

退避行動をとるべきだろうか。


「くっ、薬女の、お嬢、さんへ、お、お届けです」

とりあえず距離の確保のため後ずさろうとしていたら、息も絶え絶えな声と共に、ぐいっと雄鶏にくちばしで花を差し出される。

鶏の無言の圧迫と目付きの鋭さに気圧されて思わず受け取ってしまう。

嘴が血に濡れていてめっちゃ怖い。

いや、 これは、受け取って大丈夫だろうか。


「さあさあ、仕事を終えたのだから姫君と尽きぬ感謝と賛美の歓談の続きを!」

あっさり陽気さを取り戻した彼が マントが閉じきる間もなく、悲鳴にのたうちまわる。

「わ、わかったから!まだ仕事あるの思い出したから!! ──ううぅ、名残は尽きませんが、お別れです、姫君!! ああ、当夜は温かくお過ごしを!!」

血をたらしながら森の奥に去っていくのを見守る。

鋭い嘴のペットをマントの内側で飼うべきではないと思う。

大丈夫だろうか。


しかし見るからに変な人だし追っていくのは自分が危険だ。控えた方が良い。

ヨナがいっぱいになったかごを持って現れる。

「中天ですからもう戻りましょうか」

花を差し出す。

「ああ、レヴィさんがいらっしゃったんですか」












 







 

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