町
ヨナは町に行ったことがないと言った。
薬女は不吉で嫌がられるからと。
伝令は道中あれこれ無駄話をしている。
無理をせず、途中お昼休憩もゆっくり取ったが、ヨナの顔色は悪い。
町は思ったより早く見えてきた。
「もっと遠いかと思った。一本道だし」
具合の悪いヨナのためにはよかったけど。
伝令は肩を竦める。
「あなたは柱姫ですから。この世界に歓迎されてるんですよ、勿論」
「わたしのために道が縮んだとでも?」
「おや、伸び縮みしない道は初めてですか、わたしなんかはいつも道の機嫌を取っているのに」
本当なのか冗談なのか。
道は、整えられていた。途次の景色も人の手が入っている気配を感じさせたが、誰にも出会わず、まるで映画や舞台のセットを歩いているような気がした。
黒や茶の筋が入った白の石壁が町をぐるりと囲んでいる。
壁の外に畑があって実りを収穫している人たちが遠くから恭しくこちらに礼をする。
「柱姫はどこにいても歓迎されるんです」
面食らうわたしに解説する。
「あの人たちとわたし、そんなに違っている? 遠目に見てもそんなにはっきり識別できるの、わたしが違う世界から来たって?」
「この世界のものなら柱姫はすぐわかりますよ。白い羊の群れに黒い羊が一匹いるみたいに」
「そうなの…」
アトリがくれたマントは身につけたままなのだが、昼は消えてしまう。
町の入り口は頑丈そうな門があったが解放されている。立ち番もいないようだ。
何の障害もなくすんなり町に入った、途端。
──お母さん。
ごく間近で声が聞こえた。見渡すが誰もいない。
空耳?
ぞわりと。
足がすくむ。
背中が粟立っている。
吐き気に襲われた。
おとぎ話のように平穏な風景なのに。
道は平たい茶色の石で舗装されている。
家は石造りで、壁と同じような筋の入った白い石の家もあれば、ピンクがかったもの、赤っぽいものもある。
むしろ可愛らしいと笑みが出るようなそんな光景なのに。
理由もわからず嫌悪を感じた。
「おっと」
倒れたヨナが伝令に支えられている。
「ヨナ?!」
「無理がたたりましたかね、どこかで休ませましょうか。あなたも顔色が悪い」
「ちょっと気持ち悪い、かも」
「意外ですね、柱姫にまで影響するとは。わたしもここは好きではありませんけど。ここはなんだか空気が悪くて。議場の町は居心地が良かったんですけど」
「そこにも柱姫が?」
「もういません。廃墟です。議場がありますけどね。彼も昨日そこに出かけましたよ。魔術師の会議はあそこに集まるので」
アトリもそこに出かけたのか。
「この町の魔術師もそこにいたのよね?」
「気になります? いけ好かない性格してますから、遭遇しないに限りますよ」
「そうなの? アトリに何があったか、訊きに来たんだけど。それにアトリがケガとかしてたら治し方わかるかどうかも」
「え、カーリア様に会いに来たのでは?」
「会っては見たいけど……、アトリが治せるならどちらでも。そもそもヨナが心配しているから昨日の夜の様子を知るために来たのよ。町の柱姫は会議がどうだったかは知らないんでしょう?」
「それなら最初からわたしにお聞きになれば良いのに。破壊霊のための儀式があって血を流したせいですよ。魔術師は程度の差はあれ、今日はみんなふらついてますが、今夜の深更には傷はふさがって破壊霊の捜索にでるはず」
「なんであなたがそんなこと知ってるの」
「道化師兼、伝令ですので」
……その回答でわたしに何が理解できると思っているのか。
不毛そうなので、その謎回答の追及は棚上げする。
とりあえず、ヨナを壁にもたれかけさせ休ませる。
「破壊霊ってなに?」
「災いです。通った後を根こそぎ消滅させる。恵みであるあなたとは対極の存在ですね。出現した場合、魔術師たちが対処する」
「対処のための儀式でアトリの具合も悪くてヨナがこんな風になっているってこと? なにもしなくても治るの」
「通常なら次の日の深更には元通りです。魔術師は揺らぎがほぼ無い種族なので。結構な痛手を負わせても変化することはないし──刺しても千切ってもなんなら殺しても、一晩すれば原型に回帰しますよ、ぴんぴんしてます。魔術師が魔術師を消す場合は、九日九晩くらいじっくり根気よく殺して消してましたけど。魔術師同士でも手間と根性入りますから、他の種では害するのはかなり難しい。まあ運悪く狂暴な嵐にでもあたって弱っている状態ならなんとかって感じですけど。何事があっても基本、丈夫なんですよ」
「でも、ヨナの猫もいなくなってるし他になにかあったんじゃ」
「あー……、忘れてました」
伝令が帽子を持ち上げると、弾丸のように藤色のなにかが飛び出して、道の先に消えていく。
「ちょっと、今のっ、ヨナの猫?!」
「あらら逃げちゃいましたね」
「探さないとっっ」
走り出そうとしたわたしの腕を伝令が取る。
「まあ、落ち着いて。あせってもろくなことはありませんよ」
誰のせいだと?!
「あなたが帽子に閉じこめていたせいでしょ! なんでそこにいたのよ!!」
「持ち主に届けるように怒られたので」
「届けるなら逃がしてどうするの!! ヨナの心配ごとが増えるじゃないの!! わたしが探すから、あなたはヨナを看ていて!」
「はぁ、あなたがお望みなら、無論喜んで。でもお気をつけて。ひょっとしたら町の柱姫にわたしたちは歓迎されていないのかもしれません。気を付けた方が良さそうです。道化なわたしはともかく、姫が体調を崩すことだって本来はないはず……、ここではあなたが豊かさの象徴ですから」
「今来たばかりで会ったこともない人に嫌われているってこと? 」
「確信はないですけど、どうか用心はおさおさ怠らずにお願いします。……町の柱姫は、幸せではないので」
不穏な言葉を聞いた。
柱姫が、幸せではない。
帰る方法を見つけられず、とどまるしかなかったから……?
「でもとりあえず
「そうですね。 不興をかっているのはわたしだけかもしれないですしね。陽動の意味もありますし、別行動は最適解かもしれません。他の者は気が付いているのに町の主にはあなたはまだ気付かれていない、彼は魔術師として腕がいい。どういう構造の目眩ましでしょう、夜の者に対して発動してるのかな?」
道化師兼、伝令が興味深そうにわたしの周りの空気を眺める。
「アトリのマント誉めてるの? 陽動って、なに。誰に対して?」
「さっき言ったいけ好かない魔術師に対して」
「この町の魔術師? 陽動が必要ってってマズイ状況なの?」
ふっふふーん、と楽しげに伝令が鼻を鳴らす。
「いやいや、一切問題ありませんよ、むしろ望むところ。今はあなたがいらっしゃってますし、無礼講です、無礼講。祝祭において羽目を外すのは正道です。良きことです。柱姫の来訪は最高の祝いですからね。祝いのために物事は思いきりかき回す方が良いし、混乱した方がより楽しい。滅多にない経験を積んで自らの肥やしにするが良いのです。あの魔術師たちの傲慢さには良い薬になるかもしれないですからね。道化の善意に溢れた、本領発揮の機会ですとも」
「善意より悪意を感じる……」
「悲しきかな、道化の真実はいつも誤解されやすいものですからね」
オーバーアクションの嘆きで首を振って、リンリンと鈴の鳴る赤い帽子をかぶり直す。
「ただ、あなた様が猫を探してもあの猫は
悔しいが、この二日間ふわもこの毛並みに熱望の眼差しを送るだけでろくに近寄ることもできなかったわたしは反論できない。
「町にいるなら夜に何者かに襲われることもな──、否、町の者以外の許可なき滞在は排除対象か」
「排除?!」
「猫の安全を確保するなら先にカーリア様の許可を取った方が良いかもですねえ」
歓迎されてないかもしれない相手と交渉できるだろうか。
それをするなら伝令の方が良い気がするが。
「柱姫であるあなたに限っては排除されることはあり得ません。つまり、交渉途中で害されることはないということです。わたしは一度不敬罪で処罰されてますし、彼女の夫君に見つかれば、今回は解体されそうだなあ」
「前科者なの?! しかも解体って、なにしたの」
「前回は悪口、ですかね」
「は!?」
「まあ、なにぶん柱姫は貴い存在でいらっしゃるので、その威光を受けた魔術師も偉そうになりがちなんですよねえ。薬女さんも町の魔術師に見つかればまずいです。自分の柱姫に他の魔術師が近づくのは警戒されるし敵意持たれますので」
「わたしが町の柱姫に交渉するしかない、と」
「話の流れ的にそうなりましたね」
「ヨナが危険だとわかってて町に連れてきたの!?」
「あなたがお望みなら、それが何より優先されることなので」
つまり、わたしのせいだと。
「物は考えようです。交渉によってはカーリア様をうまくここに連れてこれたら夜を待たずに即座に治せますよ。カーリア様は今の夫君とは不仲だし、他の魔術師に手を貸す可能性はある。カーリア様だけに会えれば、或いは。ま、敢えて面倒な道を選ばなくても今日の夜にはちゃんと治りますけどね。そっちの方がめちゃくちゃな楽しい混乱した無礼講になるというだけで。いなくなる柱姫に現れる柱姫、ついでに破壊霊! さらにその上事態をかき回す道化師と来たら、魔術師たちはどこを追いかけるかなあ」
楽しそうで、こちらは苛立たしい。
「いいわ、町の柱姫と会う! あなたはちゃんとヨナを看ていて、なにかあったら守るのよ!」
道化師兼、伝令は小憎らしい笑顔を浮かべて、チリンチリンと優雅にお辞儀を返してくる。
「伝令の職分でも道化の本分でもありませんけど、あなたがお望みなら精一杯務めさせて頂きますね。わたしなりのやり方で、あなたへの敬慕を込めて。くれぐれもお気をつけて」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます