三日目
過去のいましめ
「おはよう、ヨナ。ヨナ?!」
ひどく顔色が悪い。
「おはようございます、柱姫」
ふらついてもいる。
「大丈夫?」
「ええ、わたしは大丈夫です、でも、」
切迫した顔で腕を取られる。
「夜はなにかあったんでしょうか、ルテもいないんです。気紛れな子ですが、朝はいつも家にいるのに」
ヨナの足元にまとわりついていた猫が見当たらない。
「彼は会議があって出掛けたけど。わたし、その後は眠ったから」
アトリになにかあったんだろうか。
夜は馬になるあの子に騎乗して出掛けて事故にあったか、襲われたか。
「怪我も共有するの? 横になっていたほうが」
「いえ…」
「ごめん、出かけるときは普通だったと思うけど、」
覆いをかけた鏡が視界に入る。
「あの鏡、占い用のものって言ってたけど、使えば、夜に何があったか、知ることができる? わたしが来るのはわかったと言っていたけど。 猫の居場所とか。壊れていてはダメ?」
彼女が苦しげに喉元を押さえる。
「いえ、あれは戒めで……。わたしは、二度と……」
絞り出された声はか細く消え入るようだった。
頼りに思っている彼女があまりにも苦しそうで心細そうで、わたしも不安になる。
「何も知らなくてごめんなさい。なにかできることはある? 」
「いいえ、いいえ!……そう、きっとあなたがいらっしゃるから大丈夫、すぐに彼も元気になるはずです。きっと。彼が、あの子もすぐ見つけてくれるはず」
自分に言い聞かせるように彼女が言う。
わたしをつかんだ手は華奢なのに不安を握りつぶすように力が込められている。
「わたしは、なにもするべきじゃないんです」
「そんなこと……」
沈んだ声を否定しようとするが、彼女はそのまま続ける。
「あの鏡は、割れているんです」
「ヨナの希望でそのままにって」
「彼、そう言っていたんですね」
泣きそうな顔で微笑む。
「そのままにしておくべきなんです。彼はそうしてくれています、いつも彼はわたしの願いを知っていてくれるから。戒めのために」
「戒めって」
深く
「……わたし、彼を殺してしまうところだったんです」
いきなりすぎて、ポカンとする。
「ど、どうして? だって、」
彼女が襟首を下げ、首もとをさらした。
白い肌にギザギザの無惨な傷痕。
「それは──」
「わたしたちは会えない。昼と夜、変わるのは一瞬なのに境は永遠に越えられない。わたしが夜に行ける道は見つからなかった! だけど、鏡の向こうには彼が見えた、だからわたしは手を伸ばしたんです、鏡の中へ。彼に触れられるかもしれない、声が聞けるかもしれない、そう思って」
「だけど鏡の向こうには行けなかった。わたしは夜への道を探して求めて、どうしても夜に辿り着きたいと願って、願って──。どうしても彼に辿り着きたいあまりおかしくなっていたんです。でもあの時は夜への道を見つけたと思ってしまった。それはわたしの中にあると思ったんです。だから──、自分の中の夜の道へ入ろうと、わたしは、自分の首を、そばにあった
自ら自分の首を切り裂いた……?
「彼は傷ついて、鏡はひび割れました」
彼女が顔を覆った。
「昼にとって夜は知るのも禁忌。触れることは勿論叶わない。理に触れたんです。 鏡は割れて破片はわたしと、当惑していた彼を傷つけた。切り裂いた痛みだけではなく、全てが、全身が細切れになるような、砕け散るような──
、あれは消失の痛み。彼も同じ痛みを味わっていた。わたしたちだけではなく、周囲一体が恐怖で狂った悲鳴のあげていました。ただわかったし、感じました、消えていこうとしている、存在していた痕跡もなにもかも。自分が見知っていた景色すらもみんなみんな、巻き込んで無くなってしまう。わたしは全てをかき消そうとしたんです。自分だけじゃなく、彼も!」
「ヨナ…」
こんなに悲痛の人を前にして、黒の老婆はどうするのだろう。人間らしい言葉と対応とは?
そっと肩に手を添え彼女の髪を撫でる。
「落ち着いて。大丈夫」
「お願いです、柱姫。わたしは平気ですが、彼は重い傷を負っているかも。彼を助けて」
「今は昼だし、状態を確かめるには夜を待つしかないかも……」
ぱっと彼女が顔をあげる。
「町の柱姫がいらっしゃいます!」
「ヘ?」
「町は柱姫に捧げられてつくられるんです。柱姫の夫君は魔術師です。会議の様子を知っているかも。柱姫は夜も昼も等しく一者であられるし、その夫君も恩寵を受けて一者に上げられたとか」
「待って。他の柱姫がいるの?!」
「はい。カーリア様です。町もその名を冠したものです。彼女かその夫君なら夜を待たずともなにかできる手立てを持っているかも」
呆気にとられる。
よもや他に迷いこんだ異邦人が同時系列にいるとは、想定しようともしなかった。
しかも名前がある。記憶を持っているか、記憶を取り戻した?
「行きましょう」
「ヨナはダメよ、具合が悪そうだもの。休まないと。話を聞いてくるだけならわたしでもできるから」
「でも町の場所をご存じではないでしょう?」
「そーんなことでお悩みならば、やつがれがお役に立ちましょう!!」
盗み聞きでもしていたようなタイミングで、鈴を鳴らして赤いマントの不審者が窓を開いて現れた。
「昨日の変な人!」
「失敬な!」
「レヴィさん」
「安心なさってください、薬女様。柱姫のお望みとあらば火でも水でも潜り抜けてどこへなりとお連れしましょう!」
「レヴィさんがそう仰るなら心強いですが」
……謎の信頼の出所がいまいちわからない。
変な洗脳でもかけられていないか心配になる。
「どーんと任せて、薬女様はどうぞこれでも身につけて安静にお過ごし下さい」
窓枠から飛び降りて、ヨナに金のリンゴを差し出す。
「まあ、きれいな果実ですね」
「リンゴを身に付ける? 食べないの?」
「これは呪いと恨みの詰まったリンゴなので食べられません」
「弱ってるひとになんでそんな不吉なもの差し出してるの?!」
どや顔で解説される。
「身に付けておくと強烈な御守りになるんです、具合も良くなります。でもどこかに置きっぱなしにはしないで下さいね、寂しがり屋さんなので呪われます。この袋に入れておいて保管して下さい。扱いは優しく敬意を持ってすれば、悪さはしません」
「ありがとうございます」
「え、受けとるの?! 大丈夫なの?! いや、大丈夫じゃなくない?!」
「ははっ、信頼無いなあ」
「大丈夫です、レヴィさんは伝令ですし」
信頼基準が本気でわからない。
「さて、急いで出発しましょうか柱姫。今のうちにでないと、町に着く前に夜になってしまいます」
「ヨナは休んで──」
「いいえ、わたしも参ります! 彼を連れていかないと。あの方たちにここに来てもらうわけにはいかないでしょうし」
「お望みでしたらここに誘い出すのも無理ではないですけどねえ」
派手な帽子を傾けて鳴らしながら、伝令がヨナに渡した御守りの果実とやらに妙な視線を送る。
……なんだか含むことがあるような。
わたしの不信な視線にぶつかると、片目をつぶってひらひらと手袋をふる。
「まあ、町に行った方が双方会うのに手っ取り早いのは確かですよー」
結局押しきられ、ヨナが朝の食事と軽くつまめるものを包む。
「全部問題ないはずのものですが、夜が近づいた場合は埋めるか、水に沈めるかします。天候の悪い夜だと後をついてくるかもしれないので」
「うん。本当に大丈夫?」
「あなたがいらっしゃいますから。御守りもありますし」
「あ、もしそれを寄越せって人に遭遇したら捨てて逃げて下さいね。ものすごく貴重なものなのでそっちを追うはずですから」
軽い口調で伝令が不穏なアドバイスをする。
町に出立した。
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