雨夜

他の魔術師に襲われぬうちにと、よろめきながら議事堂を離れケテルの元へ向かう。

祭具は悪しき気配を発している。

やはりこれは他のものに近づけぬがいい。

黒く降る雨が余計に体力を奪う。

止血はしたが町のまわりには血を嗅ぎ付けた輩が既に集っていると警戒した方がいい。


町外れの納屋では、ケテルが落ちつかなげに足踏みしていた。

町に侵入したものはいないようだし、廃墟の町に湧くとされる悪霊の気配もない。

手綱を解いて、早々に町を離れる。

祭具はローブにくるんでケテルに触れないよう背負う。

宙に高く踏み出す。

雨に紛れて町の周りに黒いものが群がっているのが見える。



不意の衝撃を受けて空に放り出される。町に落下するより早く空の中途で何かに激突する。

網。

吊り下げられている。

離れたところでケテルがもがいている。

青腐りの漁師か。あれは一度逃した獲物に執着する性質だったか。

更に状況把握しようと視野を広げると、ケテルの横で青黒い皮膚のものがもがいている。

白いいばらに絡めとられて。

青腐りの漁師?


「ばあ」

視界が白い巻き毛に覆われる。

にこりと笑んだ顔が逆さにアトリを覗き込んでいる。

アトリの顔が強ばった。


「わたし個人になにかご用ですか、イェレト」


白い衣をまとった無垢にも無害にも見える少年。

白は、神の証だ。

立神したものが身につける色だった。

彼は現れた時から、神になることが定められていたように白い色彩をまとった魔術師だった。

白皙の肌に純白の髪、瞳も白銀。

そして今や悠然と神の衣をまとっている。

柱姫を娶って立神した。

闇に浮かび上がるような純白。



「お前はちっとも驚かないね、六番目」

「顔に出ないだけです」

「道化師を捕まえようと思っていたんだけど、お前でもいいかなって。これが網を張っていたから、ちょうどいいやと思って突き落としたんだ」

「道化師なら会議の席にいましたが」

「あいつが僕に出ろって命令するから行きたくなかったんだよ」


イェレトは専横の振る舞いが多く、それを度々ロギウスがいさめることからけむたく思っている。

「そうですか。聞きたいこととは」

「噂をね」

「魔術師についてですか」

「いいや、七番目についてだよ」

「なんのことだかわかりません」

「お前の昼間には道化師がちょくちょく立ち寄るだろう、あれは噂を集めるのが好きだから」

「ならば道化を捕まえるのが早道では」

「あれは逃げ足が速いんだよ、僕のことを怖がっているから」


「七番目とはなんについての噂でしょう」

「お前が六番目だからなにか知ってるかと思ってさ」

「あなたがわたしをそう呼ぶ理由すら知りませんが、それはなんなのですか」


イェレトが幼い顔で含み笑いする。

くるんと身を翻し、空に張った網の上を身軽く歩く。


「知らないのか、僕の勘違いかなあ。現れていたらよかったんだけど。ねぇ?」

イェレトの手に握りしめられたものががぴいぴいと鳴く。


「現れるとは、魔術師のことですか」

目をそらしながらアトリが聞く。


同意の求めはアトリに向けられたものではない。

イェレトの胸元にある小鳥の鳴き声をあげる心臓に向かって語りかけられたものだ。

柱姫の心臓。


彼はいつもそれを身につけて持ち歩いていた。見せびらかすように。

その行為を不敬だと言ったから、この街の道化師は皮を剥がれてさらされた、わざわざ議場の町まで呼びつけられたアトリ達の前で。

一者を騙ったという名目で。

一者だと名乗ろうが、誰も気にしていなかったのに。

道化師などおかしなことをするものだと決まっているのだから。

魔術師達への牽制だろう。そして示威か。

この町の主であった立神者ロギウスへ向けての。

町に住み着いても咎められないのは、神の目こぼしがあるからだろうとあえて道化師は手を出されていなかった。

魔術師たちを挑発する行為が多々あったにも関わらず。

道化師が不敬と訴えた時から、心臓の鳴き声は助けを求めているように聞こえる。



「見つけられたら、僕はあいつよりずっと偉大な神になれるのに。あいつは失敗した神なんだしさ」

聞こえぬ風でイェレトが巻き毛をいじる。

雨は血を洗い流しても彼を避けるようで、濡れた様子はない。


ケテルが気にかかる。

このまま雨に触れていたら変容を起こすかもしれない。

「でももし、あいつが七番目を見つけたら?」

ひときわ甲高く心臓が悲鳴をあげる。

「そうか。そうかも、あいつが奪って隠したのかも!

だってあいつはもう儀式ができない。七番目は生まれない、だから僕を妬んで隠したのかも!それとも僕の七番目でもあいつに効果はあるのか?」

心臓が悲鳴を上げ続けるなかでイェレトがぶつぶつと呟く。聞いていられない。


噂。

町の噂なら知っている。

イェレトの町と近在に住むものたちは夜の悲鳴の悪夢を見るのだ。

だからヨナがしょっちゅう夜の病のための薬を処方する。

壁に遮られても、遠くまで響く。神の悲鳴だから。

神には手を出せない。神は消せない。

同じ神なら別だが。

再びイェレトが距離を詰めて、膝をついているアトリの顔を間近に覗き込む。



「ねえ」

銀の複眼。きろきろと動く。虫の眼はあらゆることを同時に見ることができるという。

「お前、行ってきてよ。七番目のことを探っておいで。

道化師があいつにべらべら喋っているかもしれないし、お前になら口が軽くなるかも。水馬と漁師は預かっておくから」

「漁師はわたしの所有物ではありませんが」

「なんだっていいよ。僕が探してることを漏らさないように、あいつが七番目についてなにか知らないか探ってくるんだよ」

輝く笑みを見せる。

「そうじゃなければ、僕はお前を昼間に尋ねることもできるんだからね。破壊霊が出たなら僕は町をあまり離れるわけにはいかないんだけど」

向かうしかなかった。



「どこへ行くのさ」

よろめいて動き出そうとしたアトリをイェレトが呼び止める。

「議場へ」

「いないよ。そもそも本体は来てない」

「では墓へ…」

「もう森みたいになってるけどね。丘だったけど。あいつ自身なんになるつもりやら。世界を保持する役割を果たさずに景色を変えるなんて、ホントにろくでもない奇矯の神、」

チリンと鈴の音。

「こーんばーんわー」

場違いに陽気な声が響いた。



「道化師!?」

「ひょっとしてわたしの噂をしていませんでした? くしゃみが止まらなくって」

赤いマントを翻して道化師が陽気に空でタップする。

雨に当たってプスプスとマントが白い煙を上げている。

「僕の前にノコノコ出てくるなんていい度胸だね、道化師」

陽気なお辞儀が返される。

「無礼講のお許しが出たので」

「なんだって?」


道化師がマントを開いて白い羽毛をばらまく。

白い羽は雨に当たり、黒い虫に変わってこちら側に降ってきた。

「小さな儚いものにも神や魔術師をかじるチャンスを。お祭りは皆で楽しまないと。上の者は下の者の無礼に目をつむるのが無礼講の作法だそうですよ 」

「なにを」

雨に混じって虫の羽音が押し寄せてくる。

アトリは思わず顔を覆った。

彼女の顔に傷を残すことになったら…!


「さっさとお帰りなさい、ロギウス様はあなたに期待してるんですから」

囁きが聞こえて放り出される。

イェレトの怒りの叫びが聞こえた。


道化師が手に柱姫の心臓を持って掲げている。

ケテルに飛び乗って遠くへ駆けていく。

イェレトが雨の夜を白い光で切り裂きながら追いかけて行く。

あの道化師は気が狂ったのか。



「大事ないか」

自分の背後に立った黒い影が言った。

「ロギウス様!?」

「あまり子殺しをするものでないとあの子には言ったのだが」

「道化師をあなたがそそのかしたのか」

「私はあの子は小さいのだから多めに見てやれと言い聞かせてはいるのだが、あれは私があの子に甘いといつも不満そうなのだ。公平ではないと。 無礼講も鬱憤うっぷんを晴らす意味ではないというのに。話すのは難しい」

見上げたマントの中は木目の顔をしていた。

「その姿は」

「依り代だ。私は不動の者になった。本体は移動が出来ない。道化があちこちに依り代の種を撒くからあちこちにひこばえして移動できるが」

奇矯ききょうの神にふさわしいセリフが吐かれた。

そんな神の在り方は聞いたことがない。


「早く帰るがいい。お前は取り出すものが多かったから流す血も多かった。休む必要がある。破壊霊が現れたならさすがにあの子も町から離れまい」

「七番目とはなんのことかあなたはご存じか?」

「七番目? 現れたのか?」

「イェレトが探しています、あなたに探りをいれろと」

「とすると、破壊霊の痕跡が七番目ということがあり得るのか…」

「? 七番目とは何ですか」

「お前の弟だろう」

「おと…!? 」

「それは神事の知識だったか。私はあれの父神だが、お前にとってはイェレトが父神に当たる。 お前はあの子の神事で生じた六番目の子どもで、七番目の祭事を行ったが、その子は姿が見えないが現れている可能性があるということか。あの子はそれをさがしている、と。なるほど、わかった、了承しておこう。お前はもうお帰り」


「馬を道化師から取り戻さないと。あれは彼女ヨナの愛猫です。彼女が心配する」

「私が取り上げておこう。弱ったままで破壊霊に遭遇しては良くない。お前は姫をもてなす役も担うのだから、早く帰りなさい」

ばれている。

「柱姫が蝶を探しているのだが、破壊霊が彼女の探し物である可能性があるだろうか」

「蝶を?」

「蝶を追ってここに迷い混んだと」

「……おそらく蝶は、いない」

「だが」

「探しても無駄だろう。姫には心配ないと伝えるがいい。姫の一部として認識される。破壊霊として駆逐くちくされることはない」

「前にもこんな例が?」

「柱姫の影だけ別れた例がある、良くない結果に終わってしまったが」

「それは」

「今は祝祭に集中しなさい、柱姫の来訪と破壊霊の狩りに。昔話が聞きたければ、後でわたしを訪ねて来るといい。お前のために道を開けてあげよう、さあうちへお帰り」






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