夢 〈去る男と嘆く女〉

夢の中で夢を見た。


暗い空間に険悪な雰囲気の男と女の声。

行くか留まるかで問答している。


女は「ここだ」と言い、

男は「もっと先だ」と言う。

女はことごとく先にある可能性を否定するが、

男は先へ進むといって譲らない。


女は「ここから動かない」といって泣き落としにかかる。

酷薄こくはくなあなた、独りきりにしてわたしを置いて行くつもりなのですか」


女は両手に顔を埋めて、長くうねる髪をうち震わせておいおいと泣く。

女はいつものように男が折れてくるのを待っている。

が、期待に反して男は激怒する。

いつもいつも自分と反対のことばかり言う、と女を非難する。


ここにいたければそうするがいい、言い放って背を向けばしゃばしゃと水を蹴って先に進み始める。

男と女が立っていたのは、暗い水面。

女は驚愕きょうがくして、蒼白になって男に追いすがる。

今度は本物の涙を流して。

「わたしを置いて行くのですか。わたしを捨てて行くのですか」


男は振り返りもせず、すがった手を振り払う。

「あなたが怯んだ時、

励ましを与えたのは誰でしょうか。

あなたがくじけた時、

慰めを与えたのは誰でしょうか。

あなたが揺らいだ時、

支えを与えたのは誰でしょうか。

あなたが倒れた時、

抱き起こしたのは力を持たないこの細腕ではなかったでしょうか」



男は振り返らない。

ただただ男と女の距離は開いていく。

女が叫ぶ。


「あなたが傷ついた時、

いやしたのはこのわたしでした。

あなたが凍えた時、

ぬくめたのはこのわたしでした。

あなたが猛々しさに己を失った時、

なだめたのはこのわたしでした。

常に傍らにあったのは、このわたしでした」


男は振り返らない。遠ざかっていく。

女は断絶を感じ取った。

永遠に、涙しても懇願を訴えても、女には、女の聡さで男が戻らないことがわかった。


「わたしを捨てていくのですね」

女は男を呪った。


男のせなが闇に消え去り、水の音が消えてもなお長く長く怨嗟おんさの声が続いた。

瞳は冷たい怒りに青く輝き、胸は恨めしさに抉られて沸騰した血と想いが渦巻き、女のまわりにもやが立ち込める。

それでも男が消えて長い時間の経った後、しばらくして女に実務的な自分が帰ってくる。



男がほこを持っていってしまったので、女は糸を編み卵を生むことにした。

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