魔術師

ポッ、とテーブルの上のランプが灯る。

夢が変わった。


ついさっきまで彼女がいた場所。──目の前に、銅色の髪をした無表情の青年が座っている。

背後にはき出しの岩壁。

壁を穿うがっただけの夜が見える窓。

聞こえてくる潮騒のような風の音だけが共通している。

心なしか森を漂っていた潮の香りも夜気に混じって流れ込んでいる。



「こんばんは、柱姫」


事態じたいが上手く呑み込めない。

これが、黒のお婆が危惧きぐしていたことなのだろうか。

夢と現実を往復する機能が壊れて只ひたすらに、夢の支離滅裂しりめつれつさに取り残され続ける。

あちらとこちら、世界と自分の境界の認識も壊れて、最後には自分が自分ですらなくなってしまう。



「ここは柱姫にとって、夢と幻に当たる。さしあたっては夢幻の世界と考えておくのがよろしい」

灯火の揺らぎと困惑するわたしを目に映しながら、ひどく素っ気ない表情の青年が言葉を発する。

相手の方がわたしの状況を把握しているのだろうか。


「あなたは柱姫で、柱姫は幸運としてこの世界にやって来る。この世界に祝福を与えるために。慶賀けいがすべきことだ、ヨナ同様、あなたを歓迎する」

こちらの理解を推し測るように、ゆっくり言葉が発音される。


柱姫、と彼女もわたしのことを同じように呼んだ。

さっきの夢とこの夢はつながっているのだろうか。

「彼女は、どこに消えてしまったの? さっきまでの部屋は?」

左右を見回しても先ほどまでいた場所の名残は見えない。


「彼女は消えてなどいない。ここにはいない。昼の世界の住人だから」

わたしはキョトンとして彼を眺める。

「ここには、昼の世界と夜の世界がある。わたしは、アトリ。魔術師だ。 夜、この姿、この人格で生きる」

彼が自分を示す。

「《日世ひせ》、つまり昼の姿は、ヨナ。あなたが昼間出会った少女だ」


「わたしたちは、二人でひとつの存在を共有している。

この世界の者は、基本的に《日世》と《夜世やせ》の二つの姿をそなえている。存在を占有する力がないものはそれ以上の複数の姿になる」

ぽかんとしていると、魔術師と堂々と名乗った青年がもう一度、一単語ずつつちで打ち込むように正確に反復した。

「この世界は儚いのだ。だから、柱姫が望まれる」


「つまり、あなたが彼女なの?」

青年が頷く。

ヨナが頼もしげに言っていた『彼』は彼のことらしい。

「あなたはわたしを助けてくれるの?」

「魔術師はこの世界の知識者で柱姫をこの世界から庇護ひごするためにある。柱姫はこの世界に恵みをもたらす賓客ひんきゃくだから」


「わたしを夢からましてくれるということ?」

「この世界は柱姫にとっては夢のようなものだと申し上げた。この不安定で定まらない世界はあなたよりも存在が弱いから。だからこの世界の住人であるわたしがあなたの世界に干渉をはかることは難しい」

要するにムリだ、と言われたのだが妙に納得する。

やはり黒のお婆のような存在はかなり特殊なのだろう。


アトリが首を傾け、ザアザアと風の音がする闇のかかった窓を見た。

「散歩に行こう、多分今夜はヨナのために巣を取ってこれる」

立ち上がり手を差し出す。

「今夜は月が明るい。夜に明かりがある時はいくらか平穏だから危険も少ない。魔術師を襲うような性の悪いものは明るい夜にはいない」

懸念けねんするようなことを言う。

「 この世界がどんなものか実際に見た方が理解できる」

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