白い蛇は夢を見る

バルバルさん

夢の果てに白蛇は

 白い蛇は夢を見る。


 長い永い夢を見る。昔々の夢を見る。


 一人の少女がいた。その少女は村一番の器量良しだった。


 一人の少女がいた。その少女は村一番の祈祷師だった。


 一人の少女がいた。その少女は人あらざる者の声が聞けた。


 少女がいた。少女がいた……


 白い蛇が見るのは少女たちの夢。少女たちの人生の夢。



 ある少女は村一番の器量良し。だが、顔や体を見て声をかけてくる男どもをはねのけるくらいには勝気だった。


 どんなに顔がいい男だろうが、醜い男だろうが関係ない。男というものは皆、私の顔や肉体だけ見て惚れるのだ。そう思うと、何だか悲しくて、悔しくて。男なんて有象無象だ。そんな感情を抱いて過ごす。


 ある日、少女は素朴な青年に恋をした。切っ掛けは、滝の傍の神社での雨宿りの夜。お互いに顔の見えない状態で過ごした一夜の中で、別の村から来たという青年が語ってくれた話はとても楽しく、何よりその青年からは、男が自分に対して出してくる肉欲というものが、ほとんどなかった。


 お互いが見えない夜だからかとも思ったが、その後、日の当たる下で出会っても、そういった少女が醜いと思う感情が感じられない。


 とても新鮮な感情を感じた。もしかしたら、この感情が恋と言うものかもしれない。


「自分の器量だけに惚れる有象無象の男どもなんか知るもんか。私はこの人と添い遂げたい」


 そう願って日々を過ごす少女の人生。それは唐突に終わる。


 神社近くの滝の上。そこには数人の男に迫られる、少女の姿があった。器量が良いというのは、決して良いことばかりではない。こうして異性の嫉妬や、醜い感情の的になってしまう。


 だが、少女はタダで男どもの手中におさまる気はなかった。


「近づくな来るな来るな! お前らなんかに手籠めにされるくらいだったら、舌を噛み切って滝つぼに落ちてやる」


 厭らしく笑う男が、どうせそんなことできはしまいと、一歩足を進める。


 少女は勝気だった。彼以外の男に触れられ、穢されるくらいなら……


 命を絶つことに躊躇しない程度には、勝気だった。


 滝つぼに落ちて行く人影を、神社の中、一匹の白蛇が眺めていた。


 ある少女は村で一番の祈祷師だった。様々な願いを聞き、村に豊穣や子孫繁栄など様々な利益を与えてきた。


 そんな少女も年頃である。気になる男性の一人や二人はいるものだ。


 あの人が格好いい。あの人は優しい。なんて同じ年の少女に混じって語り合うのが夢だった。


 ある日、そんな気になるのレベルをはるかに超えて、一人の男性を好きになってしまった。


 その男性は滝の近くの神社の神主。彼の笑顔に人柄に惚れてしまった少女。


 彼女は初めて感じて抱いたこの優しく、それでいて激しい感情に困惑しながらも身を委ねた。


「あぁ。私は初めて自分のために祈祷したくなりました。あの人との縁を結ぶ。そのためだけに」


 そんな少女は、隠れながらも神主に会うために色んな努力を重ねた。年頃の少女の、可愛らしい努力だなと村の人々は頬をほころばせたという。


 そんな少女の人生の終りは唐突にやってくる。


 村が大干ばつに襲われた。作物は育たず、米も今年は期待できない。それほどの干ばつが。


 村を救う祈祷。その儀式ために必要なのは祈祷師の命だった。


 その儀式の前日。その頃には少女と恋仲になっていた神主は、必死に少女をとどめようとした。


「ダメです。私は、少女である前に祈祷師なのです。だから明日。滝つぼに身を投げます。神に身を捧げる名誉な儀式なんです……でも、どうか許してくれるのなら、今だけ、ただの少女でいさせて……怖い。怖いよぉ」


 そうすすり泣く少女を、神主は抱きしめるめるしかなかった。


 無力感を噛み締め、ただ抱きしめるしかなかった。


 その次の日、儀式は厳かに執り行われ、少女は滝つぼへと身を投げた。


 その様子を、白い蛇がじっと見つめていた。



 その少女は様々なものの声が聞けた。と言っても自然に聞こえるわけではなく、集中してやっと聞こえる程度なのだが。


 川の声が聞こえた。家の声が聞こえた。風の声が聞こえた。そして霊の声が聞こえた。


 少女は死した者の魂の声まで聴くことができた。そんな少女を気に掛ける、一人の霊がいた。というよりも、少女を気にかけるのがその霊しかいなかったというべきか。


 今日も少女は霊と語り合う。


 端から見れば虚空と語り合う、気味の悪い光景。


 だが少女にとって、自分を気にかけてくれるこの霊との語り合いは、何よりも楽しく大切な時間だった。


「あー楽しいなぁ。アナタと話す時間だけが私の心を潤わせてくれる。本当に大好き!」


 気味悪がられ、ほとんど村八分の少女の生きがいはこの霊と語り合うだけの時間。


 春は桜の話。夏は向日葵の話。秋は紅葉の話。冬は雪の下の新芽の話。


 一年の移り変わりをその霊と語り合う。


 そんな少女の終わりは、少女が18歳になったとある日の事。


 霊が少女を呼ぶ。霊の立つ場所は滝つぼの上。


 おいで、おいでと霊は言う。それを聞いて少女は。


 ふわり、そう花のような笑みを浮かべ口を開く。


「あー。やっとそっちに呼んでくれたね。わかった。今そっちに行くよ」


 と言って滝つぼへと、一歩、一歩と歩いていく。


 少女の歩みを、近くの神社から一匹の白い蛇が見ていた。



 白い蛇は夢を見る。見る夢は全て、少女の夢。蛇が眠る神社の近く。その滝へと沈んでいった少女たちの記憶。


 何年も、何十年も夢を見る。


 滝が飲みこんだ少女たちは、形は違えど「誰かを愛していた」


 そんな、誰かを愛する女の夢の中で白蛇は思った。


「女とは不思議な生き物だ。我も彼らのような体験がしてみたい。夢ではなく実際に」


 そう思った瞬間、白蛇は……


 山奥も山奥。かつては近くに村があったようだが、既に廃村となって久しい山奥の滝。


 ここは心霊マニアにこう呼ばれている。少女の滝と。


 名前は可愛らしいが、その実態は昔に何十人もの少女を飲みこんだ魔の滝だという。


 そんな滝の傍に神社がある。


 その神社の古ぼけた戸が、今ゆっくりと開いた。


 その扉の向こうには、白く美しい、一人の少女が立っていた。


 紅い、蛇のような目をした少女は、ゆっくりと滝つぼの方へと……

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