鶴亀社はユ社に社名を変更しました

六野みさお

第1話 ユ

 俺には三分以内にやらなければならないことがあった。なんとしても三分以内に終わらせなければ、終電に乗り遅れてしまう。


 うまい具合に、道端に電話ボックスが見つかった。俺はバタバタと電話ボックスの中に駆け込み、大急ぎでダイヤルを回す。三桁の緊急用電話番号ならいいのだが、あいにく俺がいまから電話をかけようとしているところは、普通の桁数の番号だ。こうしている間にも時間は減っていく。よく使う電話番号だけ電話ボックスが記憶してくれていたらいいのに。だが、それは無理な相談だ。……やっと繋がった。


「もしもし、ユ社です」

「あっ、もしもし、あの、ちょっと投稿をしたいのですが」

「あっ、あのー……」


 電話に出た女性は少し言い澱んで、


「そのですね、ユ社が鶴亀社から改名したときに、『投稿』は『発信』に名前が変更されていますが、『発信』をされるということでよろしいですか」


 そうだった。最近ユ社は鶴亀社から改名したのである。鶴亀社の創業者が交通事故で急死してしまったので、新しい社長が人心を一新するために社名を変更したのだ。そして、それに伴ってサービスの名前がいろいろ変わったのである。俺もいまだに言い間違えてしまう。だが、今は時間がない。


「ええ、その発信です。急いでいますから、至急お願いします」

「わかりました。それでは、まずはお客様の名義をお聞かせください」

「俺は六野トロピカルだ」

「六野トロピカルさんですね。では、発信内容をお聞かせください」

「えーと、総理が自動車大手企業から賄賂を受け取っていたのはけしからん。俺の三年分の給料に匹敵する高級自動車『フレミング』に乗って、運転手と警備員つきで国会に出ているくせに、選挙支援の見返りに賄賂を受け取るとは何事か。即刻辞職せよ、そして俺は今後絶対にあの会社の車は買わん」

「はい、わかりました、それでは発信内容の確認をさせていただきます。総理が自動車大手企業から賄賂を受け取っていたのはけしからん。俺の三年分の……」

「あっ、繰り返すのはいいから、時間がないんだ」

「いえ、これは間違い発信を防ぐために重要なことですから、省略することはできません。……俺の三年分の給料に匹敵する自動車に乗って……」


 俺はちらちらと時計を見る。あと二分しかない。早くしてくれ。


「……そして俺は今後絶対にあの会社の車は買わん。これでよろしいですか」

「はい、大丈夫です、ええと、それから、続いて再投稿をしたいのですが」

「あっ、すみません、実は『再投稿』も『再発信』に名前が変わったのですが、お客様は再発信をするということでよろしいですか」

「はい、その再発信です、それで再発信の内容は、今日の大相撲の横綱伊勢のいせのさとの取組結果を再発信してください、例の大相撲公式名義のものでお願いします」

「了解しました、大相撲の横綱伊勢の里の取組結果の大相撲公式名義のものを再発信することでよろしいですね」

「はい、それです、では……」


 俺はやることを全てやり終え、電話を切ろうとする。まだ終電まで一分三十秒ある、なんとか間に合いそうだ。


「ああ、そういえば、伊勢の里は負けましたよ」

「なんだって!?」


 俺は受話器から手を放そうとしていたのをやめた。


「また黒鵬こくほうが優勝してしまったのか! あいつは強すぎるから面白くない。どうせ理事に根を回して不正を働いているんだ……そうだ、これも投稿、いや、発信してくれないか」

「了解いたしました。では、発信内容を確認させていただきます。また黒鵬が……」

「あっ!」


 俺は戦慄した。いつのまにか終電の出発まで一分を切っていたのである。


「…………!」


 俺は受話器をガシャンと電話機に叩きつけ、電話ボックスを飛び出した。投稿確認が最後までされなかったが、終電に遅れるわけにはいかない。それに、今の俺の投稿、いや発信は、我ながら機知に富んだものだった。当然明日の朝刊ユに載るはずだし、読者からの反響が大きければ日間優秀賞、いや週間優秀賞だって夢ではない。そのような素晴らしい発信を、あのオペレーターが投稿確認をしなかったという理由で握り潰すはずがない。良い発信の電話を受けられるかは、オペレーターの昇進に関わってくるのだ。あの若い女性も、いつまでもオペレーターでは終わりたくないはずだ。『今日の流行語』について侃侃諤諤の議論を行い、そしていずれは鶴の一声で今日の流行語を決める立場になれるのだ。まあ、その前に優秀なオペレーターというので、良い旦那が見つかるかもしれないが。


⭐︎


 その翌朝、俺は日刊ユの朝刊を読んでいた。昨日終電のドアが閉まる三秒前になんとか飛び乗るほどギリギリで発信したものが、果たして掲載されているか確かめるためだ。まず俺は政治欄を開く。


「よし、あるぞ!」


 俺は小躍りした。だが、まだ喜ぶには早い。ユ(当時はまだ鶴亀)の去年末の人気投票で二桁順位にランクインしている俺なら、政治部門の日間優秀賞を獲得できる力はあるのだ。俺は他の有力な奴の発信を順に見ていく。


「うおっ、なんだこれは! 『総理などフレミングに轢かれて死んでしまえばいいんだ。そうしたらそのフレミングを俺が買い取ってやる。事故車だから安いはずだ!』だと!?   ぐむむ、やはりこいつか、政治部門人気投票一位、七草粥ななくさがゆ! くそっ、うますぎる! 一般サラリーマンの悲哀を描きつつ、総理を完璧に糾弾している!」


 これでは俺の政治部門日間優秀賞は絶望的だ。だが、スポーツ部門ならまだチャンスがあるはずだ。俺は必死にページをめくる。


「な、なんだって!? まさかそんなことが……」


 ところが、スポーツ部門の発信をパッと見た瞬間、俺は驚きを隠せなかった。


「なに、豊島茂治とよしましげはるが結婚しただと!? 俺はそんなニュースは知らないぞ!」


 豊島茂治はプロ野球球団書読かくよむリーダーズの四番打者であり、今年のホームラン王争いで首位を独走している強打者だ。もちろん野球選手の中でトップクラスの人気を誇る。彼が結婚したなら、人々の興味はその話題一色になるだろう。もちろんユへの発信もその話題で埋まってしまう。俺はわずかな希望を捨てずに自分の発信を探したが、案の定俺の投稿はどこにもなかった。


「……おのれ、明日こそは!」


 俺は勢いよく立ち上がり、家の電話機を手に取った。


「もしもし、ユ社の方ですか……ええ、俺です、六野トロピカルです。こう発信してくださいーー豊島茂治の結婚なんて知らなかった! そのせいで俺の昨日の発信が掲載されなかったんだ、俺は自分の社畜ぶりが嫌になるーー」

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鶴亀社はユ社に社名を変更しました 六野みさお @rikunomisao

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