第5話 アナザーキー

────────7/31。AM1:57。


 どうにも寝つけず、意識が落ちたと思ったら夜中に起きてしまった。どれだけ長くここにいるかもわからないし、いい加減慣れないと精神的なダメージの蓄積がデカそうだ。

 軋むソファーから起き上がり、捻った首の関節を鳴らす。なんか、空気が重い。気分が落ち込んでるとかじゃなく物理的に。

 至るところにヤニが染み付いてるんだろう。ああ、呼吸する気すら失せる。とりあえずトイレ行ってもう一回寝てみるか。ダメなら外出て軽く散歩してから。

 烏丸は当分起きない。頬杖ついたまま推理と深酒をしこたまめてたから。頭も肝臓も酷使して泥のように眠っている。


「ふぅ~~っ...」

「.......」

「ッッだアァアッ!!?」


 不覚を取った。暗闇の中手探りで歩いていたら何かに脚の指を強打した。

 当然電灯はついてないしカーテンも閉め切っているから月明かりも入ってこない。おまけにトイレは玄関へ向かう曲がり角の先、わずかな光さえ届かない。

 目を擦り確認してみると、ホースが畳まれた掃除機が置いてあった。ただでさえゴミ袋だらけだから警戒していたのに、最悪だ。

 寝起きでふらついた足取りのせいで、かなりの勢いでぶつけた。爪先からくるぶしあたりまで痺れるような痛みが伝播する。


「な...なんだ...!?何かおかしッ...!」

「ッ、があアァアアああッあ...!?」


 しかし、せいぜい指くらいに収まると思っていた痛み、それがなぜか規模を大きく増し、一瞬にして全身に回ってきた。

 まるで血管に直接電流でも流し込まれたかのような激痛。耐え難い苦しみに手足が跳ね、呻き声を上げずにはいられない。

 ただぶつけただけじゃこうはならない。そんなこと誰だってわかる。今どうなってる、外部からの干渉なら見えるかもしれない。

 壁伝いにしがみつきながら、目的のトイレを背後に退け風呂場の洗面台へ。


「なんだ、これッ....!?」


 鏡に映った脂汗まみれのツラ。表面に薄く張った水垢越しの像、首のところに覚えのないものがへばりついていた。

 半透明の、鮮やかなピンク色をした首輪。喉仏に当たる部分にはマイクのようなものが取り付けられていた。

 表面が原色のマーブル模様を描き流動している。俺はすぐさまそれを外そうと指をかけるが、すり抜けてしまい触れられない。ただ狼狽え皮膚を掻きむしっただけ。


「やるしか...やるしかねェッ...」


 鍵を想像してつまんだ指を首輪に向け、捻る。俺の「万能鍵クラーヴィス」ならこいつを外せるかもしれないと思ったからだ。

 しかし、それも浅知恵に過ぎず。そもそも取り外す金具がどこにも見当たらない。緩むことすらなく徒労に終わった。

 どうする。触れられないのなら物理的な干渉は不可能と言い切れる。こうしている間にも全身に駆け巡る痛みはじわじわと増し飽和し始めていた。

 とりあえずこいつをどうにかする策は現状どこにもない。そもそも浮かぶ思考がことごとく激痛に弾かれてしまって使い物にならない。


 すっかり耐えかね、這いずるような形で烏丸のいる居間へ歩を進める。まずはアイツにこの事態を伝えなければならない。こいつは一人でどうこうできる問題じゃない。


「なにガチャガチャやってんの...」


 這いずり回って相当場を荒らした。騒音で目を覚ました烏丸が電灯を点け、寝ぼけた瞳でこちらを覗き込む。

 この状況を表現する語彙を手繰り寄せようとする間、テーブルの上に置かれたタバコにノールックで伸ばされた手が止まった。


「ぶッ、ははっ....ハハハハ...!?なっ!なんじゃその顔...!!」

「汗ダラッダラ~...!どーしたのさ!なんか悪いもんでも食ったの~?」


「人の気も知らねェでテメエ...!!」


「おもしれ~~...!ああヤバイ、変なツボ入っちゃった、あははは!!」


 俺のザマを嘲笑う声が響き、それが一際大きくなった瞬間。吐き出していた息がしゃっくりのようにヒュッと引っ込む。

 同時にシワの寄る眉間。違和感に気付き喉元を掻きむしる指。余裕綽々だったペースを一気に崩され、頭上に疑問符が見えた。

 俺と同じ首輪を見つけたわけじゃないが、あまりにも似通ったリアクション。察するに余りある苦しみようだ。


「おあぁあああ!?何じゃこりゃぁああ!!」

「コレッ、これお前...お前も...!?」


「そうだよッだから言ってんだろ!?」


「言ってはねーだろ!!マジか...なんだこれ、痛すぎるじゃん...!!」

「痛ってッ、マジで痛えな...!?」

「コレあれだよなあ...!あの音楽家のせいだよなあ...お前も、そう思うよなア!?」


 この女、完全にブチギレてやがる。大声で痛みを掻き消して、火をつけたタバコをいつも以上に深く吸い込んで、吐く。

 そして財布と車のキーを引ったくって、回した腕を俺の首にかけ引きずりながら外へ出る。ただでさえクソ痛いのに息苦しい。烏丸の息は荒く、怒りを湛えたつり上がった口角が隷従するべき俺の立場を強調する。

 車に乗り込むと、烏丸は俺にスマホを乱暴な手付きで押し付けた。


「SNS、調べろ...まだ動いてるかわからんけど、投稿があったら基にして特定する...」

「そんで、有らん限りの尋問かましてやる...」


 やり口には感心しないが、これだけの痛みを与えられれば倫理観も鈍るってもの。単純に言ってしまえば「ムカついてる」。

 しっぺ返しの応酬、そんな様相を呈し始めている。恫喝に近い形で降りかけた宣戦布告、こうして返ってきた理不尽な痛み。そして今度はこっちが攻撃を仕掛けようとしている。

 奴がアカウントを持つSNSを片っ端から検索していき、ヒットしたリンクに飛んでは最新の投稿を確認。

 これもダメ、これもダメだ。どこに向かうかもわからない車中で見漁るブルーライト、ようやく見つけた画面に写る自撮り写真。


「あった...あったぞ、ホラ...」


「でかしたァアアッ、痛って...!!」


 三の字に抉られた防音材が互い違いに壁を埋め尽くしている部屋。一見借りたスタジオのようにも見えるが、今はもうきっと運営時間外だろう。

 作曲活動に勤しんでいるらしい。それに決定的なのは、添えられた眠れないだのという文言に「自宅」とあったこと。しかし俺達はまだ住所の特定には至っていない。


「家に居ンのはわかったけど...お前ッ、場所わかってんのかよ...?」


「あ...?当たり前っしょそんなん...」

「とっくに根回ししてるし、その受け取り兼ねて行くトコあるから...」


 車は方向を変えず、繁華街へ入っていく。煌びやかなネオンサインと派手な男女が歩く道、とっくに飽き飽きするほど見てきた。

 その奥の奥の方、ただ夜に歩くだけで心細い薄闇が立ち込める路地。

 知らないだけで、一体どれだけ得体の知れない人間が住む場所があるのだろうか、思わず既視感を生む雑居ビルの前に乗り付け目の前に広がる階段を下りていく。

 地下だ。だんだん法則がわかってきた。裏側に住みつく後ろ暗い事情のある人間は大概こういう場所に根城を構える。


「....当たり前か。」


 看板もなにもないくすんだ扉を烏丸が雑にノックすると、しばらくしてから甲高い電子音、続けてガシャンと何かが外れる音がした。

 潜った先には、切れかけて点滅する蛍光灯、生活ごみが詰まったゴミ袋の山。やめてくれと願うが、解剖台の向こうから顔を出した気だるげな姿に早速虫酸が走る。

 やたらと長い黒髪を垂らした、黄ばんだ白衣を羽織る下着姿の女。薄い生地がわずかにはためく度、透けるレースの装飾が見え隠れする。

 それより目を引くのは、左眼の眼窩がぽっかり空いたまま、乾いた赤黒い皮下組織が露出しているところだ。


 「枯れた」ような雰囲気を纏い片方だけの瞳で値踏みを決め込みながら、ポケットから取り出したソフトパッケージのタバコを引っ張り出し、咥えて着火した。

 類よ、頼むから友を呼ばないでくれ。


旭光アサヒぃ~...助けてぇ~ん...」


「気持ち悪い...」

「こっちは叩き起こされてンだぞ、とっとと用件言え。そんでもって出てけ。」

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