第3話 知ってる餌

───────7/27、AM:8:49。


 微睡みの中にうっすらと見えてくる違和感。意識を叩き起こしたのはそんな景色だった。そして顔をしかめながら身を起こす俺の横で、無遠慮にカップラーメンを啜る寝間着の烏丸。


「おはよ。キミのもあるよ。」

「もうお湯入ってるから。」


 割り箸で指された先には、フタが閉まったままのカップラーメンがもう一杯置かれていた。箸を伝いモコモコした寝間着の膝に落ちた一滴のスープを手で擦り誤魔化す。

 朝一番の辟易を葬り。とりあえず容器に手を伸ばし上に乗せてあった割り箸を咥え割る。矢継ぎ早に浴びせられた、慣れ始めている自分が怖い。

 指摘もせず、スープを吸いに吸い伸びきった麺を口に運び啜る。こういう食い物は手間を省いている分金がかかる、タダで与えてくれるだけありがたいと思うことにしよう。


「狗養くん、能力あるんでしょ?」


「...まあ、一応。」


「どんなの?」


 もう嘘をついても逃れられないだろう。家を突き止めてまで追ってきたなら俺にそれだけの価値を見出だしたということ。

 俺は包み隠さず、今分かっているだけの詳細を全て話した。

 つまんだ鍵を差して左右に捻る動作をすると「施錠」と「開錠」をその対象に施せること。まだポケットを緩くすることくらいしか試したことがないからどれほどまで使えるのか、人間なんかは対象に出来るのかはまだわからないこと。


「なるほどなるほど、「万能鍵クラーヴィス」ね。」

「まああの程度にしか使えないのはわかるな。銀行の金庫開けてやろうと思っても、まずそこまでたどり着けないし。」


「ああ...そんで思いついたのがスリのアシストだった。」


「よっしゃ、試し撃ち行こっか。」


 食後の一服を燻らせる烏丸による、突拍子もない提案。己の力の限界を知ることは重要だと思うが、相手はどうしたらいい。

 眠りが浅く回らない頭で仕掛けようとした質問も間に合わず、善は急げと烏丸は薄着の装いに着替えて俺を外へ連れ出した。

 どこに向かうかと尋ねてものらりくらりとはぐらかすばかり。それどころかどんどん人気のないところへ進んでいく。

 壁の落書きやポイ捨ての痕跡。流石に頭の悪い俺でも察してきた。これ足で治安のグレード下げに向かってるな。


「お、いいのがいますねえ。」


 なにが"いいのが"だ。道端にしゃがみこんでタバコ吸ってるヤンキーじゃねぇか。別に正面から喧嘩すればそこそこいい勝負できそうなガタイではあるが、まさかな。

 よもや自ら喧嘩を売りに行って実験台にするなんて、そんなアホみたいな真似しないよな。


「ねえ~そこのお兄さんたち~。」

「この子と喧嘩してもし勝ったらぁ~、あたしのコト好きにしてもいいよぉ?」


 そうきたか。探偵が一体全体どこで覚えたのだろうか、くびれや谷間、女の武器を総動員してクネクネと悩殺ポーズを繰り出す。

 首輪つけられた立場のせいでこっちとしては折角の魅力も三割減だクソッタレ。コイツには恥じらいというものがないのか。

 というか、意気揚々と立ち上がった二人組、なにか雰囲気がおかしい。不良特有の軽薄さや威圧感は確かにある。だが眼光が違う。

 間違いない、半グレだ。そんじょそこらのヤンキーとは一線を画す残虐性。襟首の隙間から覗くヘビ柄のタトゥー。手を突っ込んだスタジャンのポケット、その裏側に見えた膨らみ。折り畳みナイフ。


「おーおー、いいの?こんなガキ。」


「いーよいーよ。やっちゃってっ!」


 ギラついた目がこちらを睨めつける。引き抜かれた手には凶器が握られておらず。ボロい条件の逆ナンパ、ファイティングポーズを取り拳のみで仕留めにかかるつもりだ。

 数の利を確信してナメきっている。だが圧倒できる自信もない。半グレとなれば話が変わってくる。こっちはリスクを避けた手段でセコく稼いできた身なんだ。場数が違う。

 烏丸のヤツ、失敗したらどうするつもりなんだ。既に片割れが構えを取ったままこっちに突っ込んできている。


「ふざけんなよ...ッ!」

「「施錠ロック」!!」


 踏み込む足に指を向け、"鍵"を捻る。その瞬間男はいきたりぐらりと体勢を崩しうつ伏せにスッ転んだ。

 鼻血を流しつつも立ち上がろうとするが、上手くいかない。右足の裏が地面に貼り付いたようになったまま動かせないようだ。

 効いた。人体にも。完全に片足の主導権を奪い、その場に固定している。やるしかない。狼狽え四つん這いの体勢になっているここしか、反撃のチャンスは。


「恨むなら...ッ」

「そこの女にしろよ...!!」


 振り上げようとした頭を掴み、顔面に膝を叩き込む。生まれて始めての膝蹴り、手応えはそこそこ。

 二発、三発とダメ押しを見舞う。いつこの「施錠」が解けてしまうかすら知らないんだ、やられる前にやってやる。

 膝にべっとりとこびりついた血が糸を引き、意識喪失。なんとか伸したようだ。続けざまに気合いの咆哮が浴びせられ、ナイフを逆手に握ったもう一人の男が仕掛けて来る。


「「施錠」...!!」


 今度はそのナイフを狙う。振り下ろされた刃がなぜか中空に固定され、握った手の含んだ勢いだけが先走りし手のひらで刀身を撫でながらスライドした。

 結果として、自分で自らの手を切り裂いた。痛みにそれを手放し、流血し震える我が手を訳がわからないといった様子で見つめている。

 想像以上のポテンシャルだ。自分の意思次第で固定はかなり融通が利くらしい。

 だが目が生きている、殺意だ。痛みが焚き付けた殺意が増長されていくのを五感で感じる。そして同時に、倒れた男の片足が自由になっているのを視界の端に見た。

 同時に固められるのは一つまでか。


「はあい、お疲れー。」

「なかなか頑張ったじゃん?二人とも。」


 いつの間にかナイフを手放した男の背後に回っていた烏丸。指でピースの形を作ると、その間には風変わりなタバコが現れた。

 立ち上る煙は最早見慣れたものだが、まだらに黒く残る灰の裏側、先端で燻る火が蒼い。

 フィルターに口をつけ深く吸い込み、乱暴に男の髪を掴むとマウストゥマウスで吐き出した煙を流し込んでいく。

 途端、もがき苦しむ男。むせるほど濃い煙であることは確かだったが、そんなに歪めた指で爪を立て叫ぶほどじゃないはずだ。


「そんなキミにはご褒美プレゼント~。」

「「銀燐煙管チラーフューム」、「BAISER'Sベーゼ」。」


 膝から崩れ落ち、口から白い煙をもくもく吐きながらのたうち回っている。

 違う。煙じゃない。出ていく度に消えていく。これは冷気だ。それも極低温の。死に瀕しながらも烏丸の足にすがり付く男へ、タバコの煙をさらにもう一吹き。


「「SPOIL'Sスポイル」。」


 皮膚が瞬く間に凍てつき、白く霜が降りる。温度差で表面がひび割れ出血までも抑制し、半透明の氷膜の裏にピンク色をした筋肉が見え。

 身体が凍っている。何をした、しかし言うまでもない。あのタバコこそが烏丸の超能力。そのまま靴の先で鳩尾を突くように蹴飛ばすと、中で砕ける音がしついに男は事切れた。

 殺しやがった。裏側の社会、より表に近い上澄みで生きてきた俺に、突きつけられた死は強く衝撃を与えるには十分だった。

 後処理は、警察の追跡は。様々な不安が頭の中を逡巡する中、烏丸は物怖じすることなくスマホを取り出して誰かに掛けた。


「あー、もしもし。あたし。」

「ちょっと二人くらい殺っちまったからさー、運んでくれない?」

「うん。男だよー。肉付きいい感じ。持ってってくれたら食べちゃっていいから。」


「食べる...?」


「んー。はいよー、それじゃーね。」

「来てくれるって。」


「誰が...?」


安曇アズミくん。あたしの死体処理担当。」

「人間を料理して食べるのが趣味なの。ウィンウィンでしょ?」


「は...はあ...?烏丸...アンタ、マジか...?」


 ようやくわかった。この女はイカれている。ただの悪徳探偵だなんてレベルじゃない、殺しすら厭わない、タガが外れてやがる。

 同時に悟った事実。俺はもう逃げられない。殺しの片棒を担いでしまった。警察に突き出された時のリスクが跳ね上がった、なんなら捕まった方がマシと思えるくらいに。

 下手に逆らう真似をすれば俺は、その安曇とやらの胃袋に収められることになる。今後取るべき選択肢は一つしかない。

 絶対に、隷従を続けることだ。


「烏...丸ァア...」


 すると、膝蹴りを何度も浴びせられ息も絶え絶えだった男が這いながら呻いた。その名を耳にして震え上がってもいた。

 そして追い縋った烏丸に首を反転させられ折られる直前。その恐ろしい二つ名を口にした。


「「屍肉漁りスカベンジャー」の...カラスがア...ッ!!」

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