第2話 頚輪

「私の仲間になりな。」


「仲間ァ...?」


「そう、チームメイト。あたしの悲願を叶えるにはちょっとばかし人員が足りなくてね。」


 烏丸と名乗った女が語った計画は、なんとも夢物語と言う他ないものだった。

 特異庁の活動は明確に公にはされていないが、目撃者が後を絶たず、動画や写真がいくらでもネットに転がっている。

 それを見たからこそ言える。あの組織に反旗を翻すような真似は自殺行為に等しいと。

 話を聞く限り烏丸は堅気の人間じゃない。そもそも財布に仕掛けていたチェーンもスリ目的で近づいてきた奴へのカウンター、そんでもって強請ゆすりをするためのものだという。

 俺はまんまとしてやられたってわけか。


「落ちないかつ引き抜きやすい程度に挟んでおいたつもりだったんだけどねぇ。」

「どうやってサイフ落とした?」


「俺の...能力だけど...」


「あー、やっぱそうなの?変だと思った。」


 どうやら強請ゆすりのターゲットになってしまったのはそうだが、能力を持っているというのは烏丸にとって予想外、かつ僥倖だったらしい。

 だからこそあえてあの時点では見逃し、住処を突き止め追ってきたという。


「まあ断ってもいいけど。その時はキミを警察に突き出すだけ~。」

「そのナリだと余罪も凄そうだねぇ。」


 退っ引きならない状況。図星ばかりを突きつけられ冷や汗が止まらない。

 提示された見逃すための条件、それはレジスタンスを組織し、俺をその一員に加えること。

 烏丸は世に流れる特異庁についての通説をある程度信じていると言い、実験動物は眉唾だとしても、まだ若い人間を死地へ向かわせている事実には間違いがなく。そのやり方に異議を唱えている。

 反逆の片棒を担ぐのは御免だが、断れば俺はこのままブタ箱行き。頷くしかなかった。


「やるよ...やりゃあいいんだろ...!?」


「わかれば良し。じゃ、ついてきて。」

「どうせこの家は勝手に住み着いてるとこなんでしょ?調べりゃわかるんだから。」

「あ、お金忘れんなよ。」


「...ああ?」


「別に私はスリを咎めるつもりないよ?強請ゆすりのダシにしようとしただけ。」

「使えるお金あるなら使えばいいじゃん?」


 面食らったが、道理はある。言われるがまま並べていた金をかき集める俺を尻目に、吸っていたタバコを捨てて踏み消す烏丸。

 そりゃ納得だ。普通の人間なら絶対に踏み越えずとどまる一線を既にいくつも、躊躇なくぶっちぎっている。

 玄関に散った吸い殻と灰に眉をしかめるが、おそらくここにはもう戻ってこないだろう。どうせ仮の住まいだ、未練もない。

 適当にまとめた荷物を持ち外へ出ていく背中を追うと、目立たない場所に軽自動車が停まっている。乗り込んだ烏丸は、手をこまねく俺に軽くクラクションを鳴らした。


 ドアを開け、助手席に腰を下ろそうとした瞬間むせ返るようなタバコの臭いについ口元を押さえてしまう。ドリンクホルダーに差した筒型の蓋つき灰皿にはこれでもかと吸い殻が詰め込まれている。


「捨てろよ...」


「後でねー。」

「やー、キミが灯りでも消してくれれば突撃のタイミングわかりやすかったんだけど。」

「持ってきてた分空けちったよ。」


「...電気はとっくに止められてる。」


「だろーね。早よ帰ろ、ヤニ切れヤニ切れ。」


 エンジンのかかった車は下町を発つ。街灯と自販機の明かりばかりに囲まれながら、住宅と住宅の間をそこそこのスピードで駆け抜ける。

 しかしあまり車窓からの町並みは変わらず。質の低い歓楽街を抜け、一棟の雑居ビルに備え付けられた駐車場で車が停まった。

 隅にホコリが積もり、虫の死骸も転がる階段を上がっていく。足を止める場所は一目で想像がついた。

 やや傾いた「烏丸探偵事務所」の縦看板。未だためらいを引きずりながら、俺は踵を履き潰した靴を脱ぎ中へ上がる。


 車内のだらしなさから察してはいたが、中もまあ汚いこと。口を絞っただけのゴミ袋、なにかの空き箱が所狭しと並び。透けて見えた中身は冷凍食品やテイクアウトの容器、酒の空き缶とタバコの空き箱ばかり。

 そのくせ奥に構える事務机は一丁前で、書類こそ乱雑に積まれているが、設置されたデスクトップPCは使い込まれた形跡があった。フレームがヤニですっかり黄ばんでしまっているのが玉に瑕、というか最悪だが。


「はーい、ここがキミの新たな家でーす。」

「そこのソファー、背もたれ倒したらベッドにもなるからそこで寝てもらうからねー。」


「...アンタは?」


「あたしも別にそこで寝るけど?」

「...あ、今スケベなこと考えたっしょ?」


「いやそういうんじゃねえわ!!」

「汚すぎんだろうが部屋が!!マジで女の住んでる場所かよこれが!」


「これでも女の部屋ですがなにか~?」


 ダメだ、開き直ってやがる。ここに住むとはこれ以上ない酸鼻を極める宣告だ。

 倒せばっつーか倒しっぱなしのソファー。散らばったゴミが侵食してきている。二人が寝そべるにはそれらを掻き分けなきゃならない。

 否定こそすれ、邪な妄想がよぎってしまったのは事実である。それもそのはず、さっきまでは暗闇の中だったからハッキリと見えなかったが、カバーのないシーリングライトに照らされる顔はなかなかの美人だった。

 化粧も薄く、誰の手も加わっていない二重の瞳。それをあえて細めて悪戯っぽい表情をする。立場が立場なんだから、獣でもそんな相手に手を出さない。


「わ~い♪︎」


 素性を踏まえた今、それは残念と言う他ないんだが。薄手の上着に包まれていながらプロポーションも抜群。そういえば祭りで遭遇した時も、俺はビビり上がっていたが確かにその片鱗を覗かせていた。

 無邪気に笑い机の上から箱を取り、中に突っ込んであったライターを引っ張り出してまた新たな一本に火をつける。燻らせる紫煙。

 多分、壁紙も元々こういう色じゃなかった。よく見れば灰皿もおかしい。一斗缶のてっぺんをくりぬいて足元に設置しそこに灰を落としている。

 机に腰掛け長い足を組む。背後の棚にも新品のタバコがカートンで詰まっていた。

 別にタバコについてはやいのやいのと言うつもりはないが、ここまでヘビースモーカーの貫禄を見せつけられれば誰でも避けたくなる。


「...アンタ、一日いくんだよ。」


「んん?単位がおかしいなあ~?」


「いや、ありえねぇだろ普通に考えて...」


「失礼だねぇ。探偵ってのは身体が資本なんだよ?最近じゃ順調に禁煙に向かっているさ。」


「嘘つくんじゃねえよ...たった今禁煙失敗しただろうが。」


「おや、20分は好記録なのに手厳しいな。」


「...クソが...で、何箱だ。」


「二箱半。」


「クソがア!!」


 後悔のベクトルが違う。これ一緒にいる限り所構わず吸いまくるじゃねぇか。しかも深く長く吸うせいで煙の量がハンパじゃない。

 断る選択肢がなかったにしろ、本当にこの女についていって大丈夫なのだろうか。俺が言えたクチじゃないが、行動力だけあるとんでもないダメ人間だ。


「そういや名前聞いてなかったねぇ。」

「なんてーの?」


「....知らねえ奴に名前言えるか。」


「ふーん。」

「よろしく、狗養イヌカイ 護流マモルくん。」


「はっ、え...はあ...ッ!?」


「探偵なめんな。」


 煙が立ち上るタバコを指で持ったまま作ったVサインを見せつける烏丸。まあ、確かにこのリサーチ力は探偵として一流だと認めざるを得ない。しかし鬼に金棒、気狂いに刃物だ。

 情報の元手がどこから漏れたのか考えるのももう面倒臭くなってきた。


「...聞くけどよ、寝ていいんだな?」

「一応こっちは夜中に叩き起こされてるんだからな...」


「いいよー。あたしも張り込みで疲れた。」


 ベッドに被さるゴミを手の甲で払い、空き缶が床に転がり落ちる甲高い音が響く。

 仕方なく空いたスペースに身体を沈めると、見た目は普通なのに妙な不快感がある。なんか変に湿ってる。

 最悪だ。ひどく疲れた。まあ、まともに電気が通ってる家に移れただけマシと考えるべきかもしれない。

 一切の逡巡を見せず隣に寝転んでくるこのガサツ女さえいなければ。

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